ハラキリ(その7)
早朝。深川清住の大坂屋の妾宅で、寝室の布団の上で、牢人者が死んでいる。春霞もいなくなった、と万兵衛が届け出た。
血をたっぷり吸った白絹の布団の上で、刀を手にした牢人者がうつ伏せになって死に、障子や襖には血潮が飛び散っているのを、岡埜は眉を寄せて見やった。
若い牢人者が握った刀の切っ先は、血で汚れていた。
・・・寝室で派手な斬り合いがあったようだ。
「これだと相打ちか」
飛び散った血の量からして、岡埜はそう思った。
さほど広くない屋敷と庭を調べたが、春霞の姿はなかった。
万兵衛は、日ごろの豪胆さに似合わず、蒼ざめて立ち尽くしていた。
「今朝、通いの女中が、このさまを見つけて店に駆けつけ・・・」
それで、奉行所に届け出た。昨晩はおろか、春霞に妾宅を手配してから一度もここへ来たことはない、と万兵衛はいった。
・・・好色を絵にかいたような万兵衛にしては、考えられないことだ。
念願かなって春霞を落籍したのに、急に腎虚になったか、はたまた内儀が怖いのか?
「岡埜さま、表へ」
呼び寄せた浮多郎が、玄関あたりで声をかけた。
真夜中に雨が降ったせいか、玄関から門に向かって足袋のままの大きな足跡が点々と泥の上に続いていた。
「おまけに血の跡も・・・」
浮多郎が指さすのを見ると、足跡に沿って乾いた血の塊も足跡のそばに落ちていた。
「これは、けっこうな血の量だな」
岡埜は、うなずきながら見て、
「こいつが、あの牢人と斬り合ったのか」
と、ぶつぶついう。
「こっちに、女の裸足の跡があります」
浮多郎が指差す先を見た岡埜は、
「春霞の足跡か」
と、うめいた。
門の外は固い地面になっていたので、そこから先の足跡は追えなかった。
岡埜が手招きするので、浮多郎は寝室へ入った。
ふたりで牢人を抱き起こし、仰向けにすると、左首の付け根から右わき腹へ見事に袈裟に斬れていた。
首はほとんで落ちそうだった。
「たいした腕前だな」
念流の遣い手でもある岡埜は感心した。
「この男、・・・春霞の弟の片山正一郎も相当な剛腕です」
浮多郎は、大橋のたもとでその剣の強さを、まざまざと見せつけられた。
「おい、こいつの剣先を見ろよ。逃げた男に相当な深手を負わせたのはまちがいない。この男が先に喉か胸を突いたのを、袈裟に斬り返したのだろうよ」
「正一郎は、父親の敵討ちをする身です」
「その仇とここで斬り合ったというのかい。いくらなんでもそいつは・・・」
そこへ、表で岡埜を呼ぶ声がした。
小者が、「対岸の鳥越明神の浜で女が死んでいると、番屋に届けた屋形船の船頭がいます」と叫んだ。
それを聞いた万兵衛は、へなへなとその場に崩れ落ちた。
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