第3話 危ないですね

 今日は、四月十五日。

 学校が始まって一週間が過ぎたところだった。


 始まったばかりの高校生活にテンションが高めだったクラスメートたちも落ち着きを取り戻し、逆に中学とは難易度が違う教科書に恐れおののき始めていた。


 しかし、この俺にそんなことは関係ない。


 このクラスに入った初日からブレることなく、全ての授業が終わると同時に俺は、クラスメートの誰とも喋ることなく、そしてクラスメートの誰からも声をかけられることもないまま、素早く鞄に荷物を詰めて席を立った。



 学校から出て徒歩で帰っていた俺を、自転車通学の他クラスの生徒たちが数人ずつ連れ立って追い抜いていく。


 俺が通う刻文院こくぶんいん学園からたち高校は、全校生徒が三千人を超える、いわゆるマンモス校だ。

 当然、敷地も大きいので、学校は市街地から少し離れた場所にある。

 そのため、ほとんどの生徒が自転車か公共交通機関を利用して通学していた。

 徒歩で通う生徒は学校の近所に住む生徒ぐらいしかいない。


 そんな中、俺は徒歩での通学に一時間ほどかけている。

 徒歩で通うには、結構な距離と時間と言えた。


 かくいう俺も、入学当初は自転車通学だった。

 しかし今は、徒歩通学をしている。


「えwww? たかが前髪のためにわざわざ歩きで通ってるのwww?」


 もし、徒歩通学の理由をクラスメートの誰かに教えれば、そう言ってバカにされることだろう。

 だが、俺は無敵のぼっち。

 徒歩通学の理由を聞いてくるようなクラスメートなど俺にはいない。

 こういうとき、ぼっちは便利だ。

 無駄な説明をする手間が省ける。



 今日もすでに四十分ほど歩いた帰り道。

 俺の家まで残り二十分の距離で、四車線の少し広めの道路に出る。


 この道は信号と路線バスの影響で、朝や夕方はよく渋滞を起こす。

 そのため、赤信号に引っかからないようスピードを上げて信号を渡ろうとする車が多い。

 たまに老人が信号のない所を無理やり横断しようとして、車にクラクションを鳴らされているのを見る。

 ちょっと荒っぽい雰囲気のする道路であることは間違いない。


 かといって、きちんと脇の歩道を歩いている分には問題のない道路でもある。

 俺は家へ向けて、ペースを変えることなく歩を進めていた。




 話が狂い始めたのはここからだ。


 家へ向かって歩いている途中で、俺は「ある声」を聞いた。

 声を聞いた瞬間、俺は思わず立ち止まり、目までかかった前髪の隙間を縫うように素早く左右を見渡す。



 どこだ!

 どこにいる⁉



 目標を探すため、前後左右を素早く見渡し――そして、俺は見つけた。



 四車線道路の分離帯の真ん中で、震えながら立ち往生して鳴いているを!



 か、かわえぇぇぇえ……♡



 普段は不愛想な俺の顔が思わず緩む。

 鳴いているのは恐らく生後数か月ほどの子猫だ。

 雑種と思われる茶の縞模様の子猫は、ミューミューと儚げな鳴き声を出していた。


 そう。何を隠そう、俺は無類の猫好きである。

 どれぐらい好きかというと、もし世界中から人間が一人もいなくなっても今の俺なら別に困らないが、猫がいなくなったら生きる気力を失うほどだ。


 あの潤んだ大きな瞳。

 あの独特な臭いと感触の肉球。

 あの背筋から尻尾への美しいS字ライン。

 そして、あの最高に甘えた鳴き声。


 神はなぜ、あれほどまでに愛くるしい生き物をこの世に産み落とされたのだろう。

 神、すげぇ。


 今はアパート暮らしで猫が飼えないため、YouTubeで猫動画を見たり、野良や他の家の飼い猫をたまにでさせていただいたりするぐらいだが、本当なら家に猫をお迎えして、朝から晩までその姿を眺めていたいほど好きなのだ。


 だから俺はこの時も、普段ならまっすぐ急ぐ家路を子猫の鳴き声のお陰で思わず足止めされた訳だ。



 閑話休題それはさておき


 どうやら子猫は中央線の分離帯まで道を渡ったあと、もう半分の道を越えられずに立ち止まってしまったようだ。

 困った猫を助けるのはやぶさかではないが、学校終わりのこの時間は道路が混みあう時刻でもあり、なかなか行き交う車が途切れない。

 ヘタに声をかけて子猫が車を無視してこちらに向かって来られては逆に危険だし、俺もどう対応していいものか悩んでいた。


 そこへ……。



「猫ちゃん、危ないですね」


 いきなり隣で声がしたので、俺は驚いて横を見た。

 そこには、いつ現れたのか子猫を心配そうに眺める一人の女性がいた。 


 この女性が狩野くるみだった。


 だが、この時の俺にはまだ彼女の名前を知る由はない。

 俺よりも頭一つほど小さい彼女は、ネイビーのストライプ柄のシャツに、紺のジャケットと白のパンツ姿で、いかにも仕事帰りのOLといった雰囲気だった。


 俺は、今日一日で初めて俺に声をかけてきた人間に驚いてしまい、答える言葉がなく、


「はあ……」


と相槌を打つのが精一杯だった。

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