第4話 どうしましょう
「猫ちゃん、危ないですね」
「はあ……」
しかし、当のくるみは俺の相槌が聞こえたのか聞こえなかったのか、俺の方を見るでもなくソワソワした様子でいる。
「どうしましょう、助けた方がいいですよね。でも車、なかなか止まんないですよね」
彼女はオロオロしつつ、ずっとブツブツつぶやいている。
どうやら彼女は、別に俺へ向けて声をかけたのではなく、独り言のように声に出しながら今の状況を確認しているだけのようだ。
な、なんだよ、俺に話しかけてきたんじゃねぇのか。
返事しなくてよかった……。
危うく赤ッ恥かくところだった。
そう思いながら、俺は彼女と子猫の様子を交互に見た。
くるみは道路を渡ろうと、数十メートル先の信号まで行きかけて戻ってきたり、なんとか車の往来を止めようと、両手を挙げて大きく左右に振ったりした。
だが、そのどれもが子猫を救うには至らなかった。
「あーん、どうしよう……」
彼女はオロオロし続ける。
一方、子猫の方は彼女の苦労も気づかぬまま、変わらず道路の真ん中でミーミーと鳴いて、いよいよ毛繕いまで始めた。
のん気なものだ。
かわいい。
正義。
それにしても、周りを気にせず一人で野良猫のため必死になって思いつくまま右へ左へ動く彼女の姿は、俺の頭になんとなく猫をイメージさせた。
くるみを眺めながら、俺は久しぶりに猫以外の生き物に好感を抱いていた。
だが……。
この女性が、あの子猫を助けるっていうのなら俺が出る必要はないか。
好意を持ったからと言って、俺が彼女と一緒に猫を助ける行動に出るかと言えば、それは別の話。
子猫の様子は心配だったが、わざわざ彼女と一緒に俺まで出しゃばる必要はないと考え、俺は一歩下がることにした。
それに、俺が何かを助けようとしたって
それで痛い目にも遭った。
もう、あんな想いはするまい。
俺は鞄を持ち直して、家の方向へ身体を向けた。
ちょうどそのとき、俺たち側の車道の車通りが急に止んだ。
赤信号と、バスの停留所停車のタイミングが重なったようだ。
「あ! 今かも!」
くるみは声に出すと、その一瞬を逃さず道路に走り出た。
独り言を喋っている彼女の雰囲気からは想像できなかったが、思ったよりもくるみの動きは俊敏だった。
そんなところも猫っぽい。
「猫ちゃん、おいで」
中央線にたどり着いたくるみが子猫を抱き寄せる。
子猫は「ミャア」と一つ鳴くと、彼女の胸の中に収まった。
よかった、これで一件落着だ。
子猫も助かって、俺はホッとした。
――のも束の間。
くるみの胸に挟まれたのが息苦しかったのか、子猫は「フイィ」と唸ってくるみの胸元から飛び降りた。
そしてそのまま、行き交う車の隙間を抜けて向こうの歩道まで駆けていってしまった。
「あっ。待って、猫ちゃん」
くるみが猫を追って、ふっと反対車線側に踏み出した。
おい、バカ。
なにやってんだ、危な――
瞬間、耳をつんざくようなトラックのクラクションが周囲に鳴り響いた。
クラクションの方を見ると、急に道路へ飛び出したくるみに貨物用の大型トラックが迫っていた。
先ほど見せた俊敏な動きはどこへやら、くるみは金縛りにあったように突っ立ってしまっている。
このままだと間違いなく彼女には、トラックに撥ねられる結末しか待っていなかった――
普段の俺なら、絶対に動いていなかった。
さっきも言った通り、今の俺にとっては他人なんかよりも猫の方がよほど救うべき存在だ。
それに相手が知り合いならまだしも、見知らぬ他人であるくるみがいくらトラックに撥ねられそうだといっても、反射的に動くことなど俺にはないはずだった。
しかし、数分前までは俺も子猫を助けようとしていた気持ちが、頭のどこかに残っていたのかもしれない。
くるみの雰囲気が猫っぽかったのもあったのかもしれない。
そして、昨年から色々あった自分の人生が背中を押したのかもしれない。
気付くと俺は道路を一気に横断し、大型トラックの進行方向からくるみを突き飛ばしていた。
俺に突き飛ばされたくるみが、驚いた顔をこちらに向けたのが見えた。
その顔がまた猫っぽくて、最期に俺は少し笑った。
「――ぁいたっ」
そして俺は、くるみの代わりにトラックに撥ねられたのだった。
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