第5話 フィルム

 夕べから、ひどく強い風が吹いている。雨戸は夜通しがたがたと鳴りつづけていた。朝になってもまだ止まない。

 分厚い木の雨戸をすべらせて店を開く。それが一日の始まりである。父親の死後に店を継いでから三十四年、毎朝繰り返してきた。

 洋館風の店構えは父親の代から変えていない。建具も壁もどこといって傷んだところは無いし、ペンキも時々塗り替えている。だが二万日という時間は決して後戻りすることなく建物を老いさせ、すべての柱や窓枠に少しずつ丸みを帯びさせてゆく。あたりの町並みもまるで様変わりした。

 もちろん時間は身体を老いさせずにはおかない。老眼鏡は手放せないし、七年前に妻に先立たれたころから、力の衰えを感じることも多くなった。幸い、日々の仕事を負担に感じることはまだ少ない。厚い雨戸は軽くはないが、今のところ苦にはならない。だが七十歳を過ぎれば、毎朝のこの作業を辛いと感じる様になるやも知れない。その時には店を畳むことになろう。街を離れて二十年になる長男や、名古屋に嫁いで久しい長女が店を継ぐことはあるまい。写真館という商売自体が斜陽だ。人生の節目ごとに写真を撮ろうという客も少なくなったし、そもそもこの街の住民は急速に数を減らしつつある。

 雨戸を開けると、ショーケースのガラスがまともに風を受けて震えた。

 ショーウィンドウに飾られた写真の多くは何十年も前のもので、店頭に置かれるのに相応しからぬ程に色あせている。しかし取り替えようという気は起こらない。ほとんどが、この街の人たちの成人式や入学式、結婚式の写真だ。県立高校の白い制服の少女や、洋装の新郎新婦や、振袖の娘さん。誰もが晴れがましく、誇らしげな面持ちでフレームに収まっている。

 記念写真を撮った人々の多くは、何年か後には街を出ていった。彼らはこの店先で自らの記念写真をしばし眺めてから、切符を手に改札口へ消えた。そのころは店の目の前に国鉄の駅があり、ここは駅前商店街だった。店頭に座っていると毎日のように、街を去る人と、見送りの人の姿を見かけた。

 鉄道が廃止されると、商店街からは店舗が消えていった。空家や空き地になった場所も多い。歩く人もめっきりと減った。数年前までは、木造の駅舎だけが残されて、朽ちるに任されていた。緑のペンキに無数の細かいひびが入り、剥がれ落ちては風に運ばれていた。ガラスの無い窓はうつろな眼窩のように黒くぽっかりと開いていた。しかしその廃墟も今は無い。線路は道路になり、駅のあった場所は駐車場となった。今や数少なくなったこの街の子供や若者たちは、ここに駅があったことすら知るまい。そしてその彼らも、大人になるまでにバスに乗って街を出てゆくのであろう。

 雨戸をすべて開けてしまい、アルバムやフィルムを並べたワゴンを店頭に出す。強風はまだ止まず、かつて駅だった駐車場に茂った丈の長い草をなびかせていた。

 カウンターの後ろに座り、駅の跡地を見つめて私は目を細めた。駅は消え、何も残さずに忘れ去られようとしている。ここから兵士たちが出征してゆくのを見た幼き日の記憶さえ鮮明に残っているというのに。やがて商店街も無くなり、この街そのものが失われてしまうのだとしたら、われわれがここで生きて死んだという事実もどこかへ霧散するのであろうか。

 最初の客が来たのは昼前だった。クリーニング屋の主人が来て三十六枚撮りのフィルムを五本買った。

「今年ももうすぐ県立高校前の桜が咲くからね」とクリーニング屋は言った。「大菩薩寺の大桜は、今年はもう駄目かもしれん。花芽もろくについておらんし、あれは枯れるのを待つばかりだ」

 もうそんな季節なのだ。クリーニング店主は毎年この時期にフィルムをまとめて買ってゆき、桜の写真をたくさん撮って現像を頼みに来る。二十年来ずっと繰り返されていることだが、あと何年続くだろうか。遠くない将来に店を畳むことになるかもしれないし、クリーニング屋の方も若くはない。

 今年の気候や商店街の動向についてしばらく話をしたあと、クリーニング屋は帰っていった。

 ひとりになったとき、脳裏にふと一つの景色が浮かんだ。

 青々とした山並の広がりに、刻み込まれた深い渓谷。南観音山や宝珠山といった、この近辺の見覚えのある山容は見出せるものの、谷に沿って広がっている筈の町並みが見えない。市街のあるべき場所は緑の森に覆われていた。

 それは何十年、あるいは何百年か後の世界であった。

 すでに街から住民は消え去っている。駅の跡にはブナの大木が茂り、その根元にはわずかに残ったアスファルトの破片が土から覗いている。深い竹林の中では、かつて町役場の壁だったものの一部が、苔に覆われて朽ち果てようとしている。橋は橋脚だけを残して崩れ落ち、急流に洗われた川底には橋桁の破片すら見当たらない。あちこち崩れた大菩薩寺の石垣からは清水が湧き出し、県道の路面に深い沢を刻んで川へと流れ落ちている。国道のトンネルは砂礫に埋まり、わずかに残った隙間は狐の住処となった。

 そして春が来る。歴史を終え、原初の森に帰りつつある街の、かつて学校や公園だった場所で、誰一人とて見る者なくとも、花を咲かせる、何百本もの桜の木。



(かげりゆく場所・終わり)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

かげりゆく場所 猫村まぬる @nkdmnr

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ