ゴッホの絵は特別なタッチで描かれ、おいそれと真似できる才能ではない。
それと同じように真の天才というものは凡人とはかけ離れた別の世界を見る事が出来、そこで生きていくことが出来る人なのだ。
それは周りの一般人からしたら…つまらない人だったり、非社交的だったりするのかもしれないけれど。それは天才というものがそもそも枠に収まりきらない存在だからそんな風に軽んじられてしまうものなのだ。
この作品はそんなゴッホのような世界に生きる彼と恋愛できるのはどんな人なのかを扱った恋愛小説です。天才と恋仲になれるのは「彼を理解できる才能」を持った人なのでしょう。彼女は一番のファンであり、理解者であり、特別な人なのだ。
芸術家にとってこれ以上に幸せな出会いなどないのでは?
天才の恋愛模様に興味がある方は是非!
つい、物語の内容の方に気を取られがちになります。けれどもその筆力には、独特のモノを感じます。
カクヨム内で文章力が高い方は、何名か出会ったことがあります。ただ、作者様は単に文章力が高いというのとは違うような……?
語彙力の問題なのでしょうか? 上手く言えないのです。拙い言葉で申し訳ないのですが、表現させて頂きます。
野々ちえ先生の文章は芸術的だなと感じるのです。
私がフォローさせて頂いている作家様の中でも、かなり珍しいタイプ。
ほとんどの作家様は、物語を記述するために文章を書かれています。
それに対して、野々ちえ様は。
――文章それ自体が芸術のように感じられる――
のです。もちろん、物語の記述もされています。けれども、表現される文章それ自体に、芸術性を感じるのです。
他の作家様の文章が【音】であるとするなら、野々ちえ様の文章は【歌】――
『何言ってるかわからない』?
奇遇ですね。私も、何書いてるのかわかりません(え?)
なので、本作の文章は感じてみて下さい。伝達記号以上の何かを感じられるはずです。
作中の薄井友画伯の絵が圧倒的なら、作中の“あたし”の語りも同じく圧倒的に感じます。