第2話 裏庭のぞうきん



 裏庭。それはかつて園芸部が花や野菜を育てていた夢の果て。チューリップの絵が描かれた花壇は枯れ草が幅をきかせている。今は何も育てていない。なぜなら、園芸部が部員不足で何年も休部状態だからだ。活動していないのに未だに廃部にならないのは謎だが、裏庭は忘れ去られた空間なのだ。

花壇の横には朽ちたニワトリ小屋があり、これまた何も飼っていない廃墟である。何十年前の卒業生が寄贈したものらしいが、ニワトリを飼うという話は聞いたことがない。それに仮に飼うとしても、この朽ち果てた小屋では飼えまい。

ことほど左様に退廃的な空間である裏庭。誰も近寄らない場所で猫を見つけた利根川さんはやはり珍妙な人だ。

三毛猫はあまりにも汚い見た目をしていたのでぞうきんと名付けることにした。いや、私がぞうきんみたいと言ったのを利根川さんがそのまま名前にしてしまった。

あの放課後から一週間。ぞうきんは利根川さんによって、丁寧にブラッシングされ、目ヤニを取られ随分まともな猫に近づいていた。

「ねえ、利根川さんはどうやってぞうきんを見つけたんだい?」

私の問いかけに「裏庭が好きなの」とだけ答えて彼女は黙った。

答えになっていなかったが、利根川さんにはよくある事だった。彼女との会話は暖簾に腕押しというか、暖簾に話しかけてるようなふわふわした会話になる。

ぞうきんはとても大人しい猫だ。鳴かないし、爪を立てることもない。たまに掠れた可愛げのない声で「ふー」っと鳴く。これが絶妙に可愛くない。私はもっぱら眺めるだけだった。確かに猫は好きだったが、大好きというわけではなかった。それに情けないことだが、私は猫相手に人見知りを、いや、猫見知りをしてしまって、どうも、ぞうきんを前にするとまごついてしまう。ぞうきんもぞうきんで私には懐かなかった。私が抱きあげようとすると、身をよじって抵抗するのだ。だから、私は眺めるだけ。裏庭に誰か来ないか警戒する係だ。昼休みと放課後にぞうきんの世話して帰る。帰る前にぞうきんをぼろ小屋にいれて夜分の餌を置いて帰る。

「あんた、最近帰りが遅いけどなにしてるの?」

母は私の変化を見逃さない。ずっと、居残りで遅くなったと嘘をついていたが、嘘だと見抜いていた。しかし、猫の世話で遅くなったと正直に言って母が許してくれるとは思えない。世の中のルールというものに厳しい母だ。学校に内緒で猫を飼ってるなんて、それも野良猫を餌付けしてるなんて言えるわけがない。

なにより、利根川さんがぞうきんを前にした時だけ生き生きしてみえたのが私には重要なことだった。彼女にも大切なものや好きなものがあると思うと親しみを抱かずにはいられなかった。

私はいつの間にか利根川さんを友と思っていた。彼女が何を考えているか分からなくても!

だから、母に嘘をついた。

「実は部活の見学をしてるんだよね」あからさまに声が上ずった。

「それだったらそうと言いなさいよ。隠すことないじゃない」母は語気を強めた。

「ごめんなさい」私は目に涙が溜まるを感じた。怒られたことよりも、母に嘘をついたことが苦しかった。

「何部に入りたいの?だいたい部活やりたいなんで一言も言ってなかったのに」

なんとか涙を堪えて思いつきで言った。

「人形劇部に入りたい」

自分でもとっさに人形劇部が口から出たことに驚いた。体育会系に力を入れてる我が校では圧倒的に影の薄い部活だ。

「人形劇?そんなのあったの?」母も呆気にとられている。こうして、私は嘘に真実味をつけるために人形劇部に体験入部することになってしまった。


翌日の放課後、利根川さんに事情を説明し、さっそく人形劇部の部室を訪ねた。部室とは家庭科室のことだ。裁縫は苦手だった。克服するよりもどうせ、できないからと諦める方が傷つかなくて楽だ。

部屋に入るやいなや、ハキハキとした発音の正確な声で「こんにちは!」と挨拶された。

「こ、こんちは」おずおずと答えている私に構わず、机で作業しながらハキハキ声の女の子は話し始めた。

「まあまあ、座って座って。私が人形劇部団長『おかゆ』こと岡由美です!三年生です!いやはや、誰も来なくて寂しくてうさぎのように死んでしまうとこだったよ。ところであなたはどなた?」

「あの、平松っていいます。あ、平松愛理です。二年生です」

いつのまにか、岡さんはメモ帳を取り出してせっせとメモを取りだした。

「うんうん、平松愛理さんね、それから?」

「え?それからといいますと?」

「なんでここに来たの?」

「あの、体験入部に」

岡さんは黒目がちの瞳をパチクリ素早く瞬きした。隣に座り両肩に手をやると何度も私を揺さぶった。

「よく来た!でかした!捕まえた!」ブンブン揺さぶられながら私は来ては行けないところに来たのではないかと不安を抱かずにはいられなかった。

人形劇部は現在部員は二人。三年の岡さんと、一年の山守さん。女の子二人。三年の岡さんは本来は引退して受験に専念しないといけないはずだったが、一年の山守さん一人では可哀想と引退せずに団長を続けているらしい。活動は年に四回、市立図書館の児童室で公演をしている。今は今年最後の冬公演に向けた最終調整の時期だという。岡さんは冬公演が終われば正式に引退することになっていた。一年の山守さん一人になるため休部か廃部の瀬戸際だったのだ。

そこまで、部の現状を聞いたところで、一年生の山守さんが現れた。色白の小柄な女の子だった。

私に気づくと遠慮がちにお辞儀した。実に一年生らしい初々しい姿だ。私もぎこちないお辞儀をした。実は後輩という存在との接し方を知らない。

「こちら、山守美穂さんだ」と岡団長は紹介した。山守さんが不安気な上目遣いでまたお辞儀をするので、私もさっきよりぎこちなくお辞儀をした。

「美穂ちゃん、この方は二年生の平松愛理さん。略してひらりさんだ。体験入部に来てくれたぞ!」勝手に略された。ま、いいけども。

「山守美穂、略してやまみです」

山守さんは恥ずかしげに名乗った。初々しくてよろしい。こうして、メンバーが揃った所で、話は思わぬ方向に発展した。

しばらく、談笑していると、山守さんことやまみちゃんが学校の七不思議の一つ裏庭の幽霊について語りだした。

「実は私、見たんです。幽霊」

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