出立―1
不意に部屋のドアがノックされた。すぐさまマジックアイテムの箱を閉じ、キャビネットの定位置に戻した。
「オルドでございます」
「入っていいぞ」
ギーアの一声にオルドがゆっくりと中へ入ってくる。妙に改まっていて、何か言いづらいことを喉奥に隠し持っているようだ。
「どうかしたのか、オルド?」
「実はお客人……いえ、新入りと言いますかな……」
「誰か新しく従業員を雇うということか?」
オルドが言葉に詰まる様子を見るのは珍しかった。いつもなら緩やかなリズムで言葉を連ねる饒舌さを持っているはずなのだが。
ギーアは怪訝な様子で老人を見守った。
「ええ、それが……派遣されてきたのです」
「誰からだ?」
オルドが生唾を飲み込み、ごくりと音を立てる。
「ギーア様のお母上様、ラオドリア様です」
ギーアは全身に稲妻を受けたような衝撃が走った。
なぜ、何のためにあいつが……!
戸惑いや焦燥が一気に襲い掛かってくる。オルドが言葉に詰まっていたのはこのことだったのだ。まるで奇襲攻撃にさらされたような気分だった。
その様子に焦るオルドは、急いで低頭する。
「申し訳ございません、ギーア様。突然の訪問だったので、断り切れず……」
「いや、構わない。あなたも元々はラオドリアに仕えていた身だ。無理もないだろう」
オルドは再び頭を下げた。そして頭を上げるや、扉の陰にひっそりと隠れていた者に出てくるよう促した。
一体どんな奴が来たのだろう。
その目的は何だ。
ギーアの頭の中は警戒でいっぱいだった。もしも偵察や内通のために送り込まれてきたのだとしたら、そう思うと憂鬱な気分になった。
ただでさえ、魔界内部には群雄割拠の現状があるのだ。ギーアは内心で身構えた。
ところが、現れたのは意外にも威圧感のない少女だった。16歳くらいの人間の姿をしており、金髪の頭には山羊の捻じれた角が生えている。少しばかり装飾の施された綺麗な身なりを見ると、厚遇はされていたのだ。
種族は山羊の魔獣カプリコーンだろう。
あどけない少女は見た目通りの幼さか、おどおどとギーアの顔色を伺っている。
「え、ええと……シエラ=アイレーネです。今日から、こちらでお世話になります!」
「まだ、そう決まったわけじゃない」
「ええッ⁉ でも……」
ギーアが冷たく切り捨てると、まるで断られる可能性を全く考慮していなかったかのような驚き方をする。覇気のない様子や強力な魔物を見慣れていないであろう態度。
力のある魔物は自分の実力や特性を隠すために形を変える習慣がある。もっとも、人間の規格で作られた建物に適応するためでもあるのだが、殺気立った外見を隠すには最適である。
この娘の実年齢は外見に比例しているのか、とギーアは内心で怪しんだ。
「なら、家事はできるのか?」
「いいえ……」
「戦闘の経験はあるか?」
「いいえ……」
シエラはギーアの質問に悉く首を振って否定する。少しばかりうつむいて、ギーアの履いているブーツを眺めているかのよう。
「……特技は?」
「これといっては……ないです」
ギーアはしばし熟考し、シエラに向かって指をさす。
「使えないから捨てられたな!」
「ち、違いますよッ!」
シエラは唐突な罵倒をとっさに否定した。顔がほんのりと紅潮し、さほど否定にもなっていない。
「戦闘経験もないなんてのは、このご時世では珍しいほうだろう。よく生きていられたものだな」
「そう……ですよね」
「魔法は使えるだろう?」
「いえ、全く」
ギーアは深くため息をついた。
「本当に使えないんだな!」
「うう……すみません!」
シエラはひたすらに申し訳なさそうな表情で頭を下げる。一切の能力を持たない凡夫ではあるものの、謝ることだけは慣れているようだ。
ギーアは微かに酔っていたのだと自覚した。ラオドリアの名前を聞いた途端に全身から汗が噴き出てくるような感覚に襲われ、視界は先ほどまでよりも明瞭になっている。
当然、シエラが密偵であることを予想しなければならないのだが、ラオドリアがそのような些末事をするようにも思えずにいた。
「しかし、こんな奴をどう扱えばいいんだ……」
ギーアは小さくこぼした。肩をすぼめて小さくなったシエラを尻目にオルドに視線をやる。
「オルドのもとで教育を受けさせるのが一番だと思うんだが、手は空いているか?」
「申し訳ございません。こちらの方でも手一杯でして……」
「そうか……」
「僭越ながら、ギーア様のお傍に置かれるのがよろしいのでは?」
「おいおい、それはいくら何でも馬鹿げているだろう。矢除けにもならないぞ」
「ですから、ご自身で彼女の育成を行うのです。一勢力の指導者というお立場である以上、力の無い者を理解するという訓練が必要かと」
「もっともらしい意見だな。今のところは……それで採用するとしよう」
オルドは一通り述べ、「余計なことでしたらご容赦を」と付け加えて部屋を後にした。半ば逃げるような足取りで、廊下を歩く足音がいつもより早い。
盤上を駆ける駒のように兵を動かすことには慣れていたものの、兵を育成させる経験ばかりはない。ましてや、戦闘の経験がない魔物を見ることもなかった。
自分はどうやって育ったのだろうかと回顧してみても、脳裏に浮かぶのは魔物の群れの蠢く草原や血塗れの四肢ばかり。記憶があやふやになるほどの年月を戦いに費やしてきたのかと思うと憂鬱だった。
ギーアは軽く咳払いをして、言葉を整える。
「どういう目的で派遣されてきたのかは知らないが、今日から俺と行動を共にしてもらうぞ、いいな?」
「え、でも私……何をどうしたら……」
「それは俺も知りたいところだな。とにかく、俺の近くにいろよ? 馬鹿な真似をするようなら、容赦はしないぞ」
「は、はい! ギーアさん……いえ、様ッ!」
大丈夫かこいつは、と言わんばかりの表情で頷いた。
決して安定した時勢ではないのだが、シエラの無能が偽りとも感じられない。ラオドリアという名のデーモンについて理解しているつもりだったが、あまりに不可解である。
外套を羽織り、身支度を済ませたギーアはシエラを手招きして城の広間へと足を運んだ。
シエラは見慣れない景色に意識を奪われ、世話しなく目をあちらこちらへ巡らせている。ぽかんと開けた口、少ない瞬きがさらに子供っぽさを感じさせた。
「これから俺とお前、あとメリエルが大陸の方に向かうことになっている。人間を見たことはあるか?」
「はい、ラオドリア様が見せてくださいました」
しまった、とギーアは思った。
魔獣である彼女が人間に近い姿に変身しているのなら、人間を見たことがあるのは明白。ラオドリアの名前を聞いて無駄に憂鬱な気分を味わうことになってしまった。
ギーアはただ、ラオドリアと下手に関わりたくないのだ。
すれ違うメイドの多くは人型である。ホムンクルスやゴブリン、人間の規格で作られた城はやはり人間の形状をした彼らが適任であった。服の採寸やデザインに気を遣う余裕ができたとはいえ、形状がバラバラではあまりにも対応が難しい。
ここにいるだけでも十分に人間界ではないかと、我ながらに思う。
「色んな魔物が一か所に集まっているなんて、思えば不思議ですよね。姿形も全然違うのに」
「違う種族だという理由で争うことに疲れたんだ。だから、今度はもっと生産的な方法で生き延びることを求め、協力し合っているんだ。強いリーダーのもとでな」
「それが自分のことだと?」
「ああ、そうだ。何か文句でもあるのか?」
「い、いえ、別に」
ギーアの不遜な態度に驚いていた様子ではあったものの、半ば不信に近い呆れを浮かべているように見えた。
広間には沈黙が走っていた。
シャンデリアの灯りが広間を照らしてはいるものの、この時間帯となっては清掃係も仕事を終えている。
広々とした空間の左右に大きな柱が等間隔に並んで、この巨大な天井を支えている。壁や天井には申し訳程度の装飾が施されていて、手入れだけはしているとでも言いたげである。
壁際に並ぶアンデッドの鎧たち、天井に控えているガーゴイル、無言を貫く魔物たちによって警備が行われているため決して無防備ではない。
ここ最近になって城のありがたみというものがわかってきた。
単に強さを誇張するも、砦としての堅牢さも役割の一つに過ぎない。欠かさぬ手入れを日々続ける姿勢が、城主が定住及び防衛する意思の表れとして集落の魔物たちに伝わるのである。
金食い虫になりがちな装飾だが一定の効果があるとすれば、配下の士気の維持という面だ。主君への忠誠など、本来ならばあてにすべきではないのかもしれない。
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