出立―2

「広間には誰もいないんですね」

「ああ、警備のためのアンデッドとガーゴイルだけだ。公用以外では、特に用の無い部屋だからな」

「じゃあ、どうしてここに来たんですか?」

「……俺の部下がここにいるはずなんだが」


 ギーアは石の床をこつこつとブーツの足音を立てながら、最奥にある玉座の壇に上がった。

 そこからの眺めはやはり壮観である。この広間は戦争時には作戦室に様変わりし、ヘプタグラム全体へ直接指示を出すときに使う。来客のないギーアは、そういった理由もなくこの部屋に訪れることは少なかった。

 何となく感慨深い思いに浸っていると、部屋の奥からぼうっと鈍い音がした。


「フローリア、いるのか?」


 ギーアの一声を受けて、柱の陰から黒いオーラの塊がゆらりと出てくる。

 目の前に現れた亡霊(ファントム)であるフローリアは、とても衣服とは呼べない黒い布をまとっている。粗末な布に過ぎないが、全市から漂う黒いオーラのおかげで露出は少なかった。

 生者からかけ離れた灰色っぽい肌に金色に輝く目。

 生気持たぬ亡霊にありながらも、端整な顔が織りなす可憐な表情にはむしろ血色など不要だった。

 大人の美貌を形成するすらりとした四肢。彼女もまたヘプタグラムの一員である。


「こんなところにお越しとは珍しいですね、ギーア様」

「ああ、ここならお前がいるだろうと思って来てみたんだ」

「そうですか。そちらの可愛らしい子は……どなたかしら?」

「あ、シエラ=アイレーネですっ! よろしくお願いします!」


 フローリアは妖艶な眼差しにハッとしたシエラがたどたどしく名乗る。そのうやうやしい態度を見るや、にこやかに一礼する。


「礼儀正しい子は好きよ。私はフローリア、この城を守っているファントムなの。よろしくね」

「はいっ!」


 フローリアは幼子を見て微笑む母親のような風貌から、こちらを見て妖艶な女へと様変わりした。どうやら、シエラとの相性は良いようだ。


「それでギーア様、今日はどうしてこのような場所へおいでになったのですか? そろそろ魔界全土をせしめる野心が芽生えてきましたか?」


 フローリアはいたずらな目をこちらに向けている。そんな野心を持つとは微塵も思っていないのだろうか。


「半分、正解だな」

「あら、意外ですわ。雑兵を連れて行軍なんて柄ではないのかと思っておりましたもの」

「それは間違っちゃいないさ。兵の足に合わせての移動なんてまだるっこしいことは合理性に欠ける」

「それもそうですわね、ギーア様はいつも女を侍らせておりますものね」

「そいつは心外だな。まるで女好きとでも言いたげじゃないか」


 ギーアは「嫉妬でもしているのか」とでも言いたげにフローリアを見返す。しかし、向こうもこちらの挑戦的な眼差しに負ける気はないらしく、艶美な笑みを崩さない。


 フローリアは入口の方へと目を向ける。すると、ドアノブのレバーがゆっくりと下がった。

 そろりと開いた扉の隙間から、一匹の犬がすたすたと軽快に入り込む。

 黒くてふさふさの毛を揺らしながら、腰ほどの体高を持つ大きな犬がギーアのもとへと走ってくる。よく見るとその体はたくましい筋肉が備わっていた・。

 ヘルハウンドのヘアル。こう見えてもヘプタグラムの一員である。


「何でヘアルがここにいる?」

「外界に赴くとのことで、見送りに来たのでは?」

「見送りも何も、気が向けば転移して帰ってくるんだぞ。剣豪の旅修行じゃあるまいしな」

「あら、そうでしたか」


 ヘアルは何やら嬉しそうに三人を見てばふっと吠えた。ふさふさの尻尾を左右に振ってその感情を表す。

 シエラはぱっと晴れたように笑みを浮かべ、ヘアルの首元に振れる。柔らかい毛に指が沈み込み、手が毛流れにそって流れていく。ヘアルの嬉しそうな表情は、忠犬のそれだった。


「可愛い!」

「そいつはヘルハウンドのヘアルだ。噛まれると、どエラいことになるから気をつけろよ」

「そうなんですか? まったく狂暴そうには見えませんけど」

「自分を可愛がってくれる相手を噛むことはないわよ。あと、可愛い子もね」


 ヘアルは肯定するが如くばふっと吠える。


「で、犬が誰に似るって?」


 その言葉にフローリアが妖艶な笑みを浮かべる。そのままヘアルに向き直り手を差し出した。


「ヘアル、お手」


 動作といい、言葉といい、節々に艶めかしさをふんだんに取り入れた所作はさながらサキュバスのようだった。

 ヘアルは何のためらいもなくフローリアの手のひらにその足を乗せた。あまりにも素直なその様子にヘルハウンドの面影はなく、まごうことなき忠犬である。

 彼女がしてやったと言わんばかりに見てくるので、ギーアはフローリアの前に出てヘアルに手を伸ばした。


 が、ヘアルは軽くギーアを一瞥するや「お前に興味はない」と冷たい眼差しであしらった。フローリアのほうへ視線を移すと、でれでれと尻尾を振って愛嬌のある表情をする。

 どうやら色のない者には興味がないらしい。


「言った通りでしょう、ギーア様?」

「俺は美女相手に尻尾を振ったりはしないぞ。まったく、主人に敬意のない部下がいたもんだ」

「ふふふ……それは失敬。ヘアルも賢いから、今の自分に最も利益をもたらしてくれるのが誰かを嗅ぎ分けられるのよね」


 シエラがふふっと笑う。

 損得勘定のできる賢い犬、それとは裏腹に飼い主に対する敬意のない見事な忠犬だ。ギーアは心中で毒づいた。


「何を笑っているんだ、シエラ?」

「い、いえ、別に」

 

 ギーアの毒を含んだような言葉に、シエラはそれとなく否定する。が、それでも含み笑いを拭うことができずにいた。

 奔放な連中だ、とギーアは苦笑する。


 ヘアルはフローリアに頭を撫でられて気持ちよさそうな表情を浮かべる。これではただの愛玩犬ではないか。なんと威厳のないオスだろう。

 とはいえ、彼女にはそれを当然とするほどの美貌が備わっていた。犬にも有効だったとは驚いたが。


 再び広間のドアが開けられメリエルが入ってきた。

 メリエルは腰に携えた長剣と短剣、鋭利な爪のついた籠手をローブで隠して人間の姿に扮していた。人間の住む土地に入るということもあって、特別な鎧をみにまとうということもない。

ギーアは彼女のほうを向いて立ち上がった。準備をしておけと言っておきながらもほったらかしにしていたことを反省する。


「……誰ですか、その魔物は?」


 冷たさを帯びた言葉に反応し、シエラは再び名前を名乗る。すると、メリエルはちらりとギーアの方を見て、少しばかりばつの悪そうな顔をした。

 おそらく神経質な話であると理解しているのだろう。

 

「ああ、あなたがシエラね。オルドから聞いたわ。よろしく」


 先ほどまでの冷たい言葉が嘘のように穏やかな表情で接している。存外にも、面倒見が良いのかもしれない。

 

「ギーア様、ここにおられたのですね。準備が整いました、いつでも出発可能です」

「ああ、悪いな。ちょっとした小話をしていたところだ」


 フローリアはメリエルに対しても挑戦的な目を向けた。


「あら、メリエルじゃない。あなたはいつも忙しそうね。今度は人間の真似事だなんて御大層なお仕事ね」

「全く、またそうやってギーア様のお手を煩わせていたんでしょう? それにヘアルまで……」


ヘアルはメリエルの言葉に首を傾げながらもぱたぱたと尻尾を振る。


「そんなことしてないわよ、ちょっと遊んでただけ」

「まあ、主人への敬意を見せてもらったってところかな」

「ふふっ、もちろんギーア様こそ我々ヘプタグラムを従えるにふさわしきお方ですわ。例え犬に懐かれなかったとしても」


 嫌みったらしい言葉だが、犬が必ずしも素直でないというのは正しかった。ヘアルは重要な命令とそうでない命令を嗅ぎ分け、後者では自由奔放に振る舞う。

 心なしかヘアルがにっこりと笑っているように見えた。


「やはり首輪でもつけておくべきだったか」


ギーアは苦笑した。言ったこととは裏腹、ヘアルが首輪やら鎖やらで自由を制限される様がどうしても思い浮かばなかったからだ。

 フローリアとヘアルのそんな様子を見たメリエルは、その代わり映えのしない鉄仮面を僅かながら歪める。


「フローリア、そろそろヘプタグラムの一員であるという自覚を持ってほしいわね。いつまでも上っ調子じゃ締まりがないわ」

「何よ、メリエル。真面目も過ぎるとシワのもとよ」

「何ですって?」


 メリエルは気色ばんだ。いつもならば冷静沈着が売りの彼女であるが、相手がフローリアとなるとペースを維持するのが難しいらしい。冷静な時とのギャップか、眉間を歪める彼女の表情は獲物を蔑むと時のようである。

 しかし、フローリアが「おお怖い」と全く意に介していないようだった。


「もう十分だ。メリエル、待たせて悪かったな」

「いえ、とんでもございません」


 ヘアルに仲裁を期待できないため、ギーアは早めに会話を切った。


「そろそろ出発するとしよう、もう日が暮れてるからな」

「しかし、シエラをどうされるのですか? まさか外界に連れるなんて……」

「信用はしていないさ。だから、目の届く範囲内に置いておく必要があるだろう」


 持っている魔力や技量を推し量ることは可能である。しかし、ラオドリアが何らかの意図を持っていたとしたら、それを探知する魔法もかいくぐる可能性は否定できない。

 不在を狙った襲撃は今までに何度も会ったが、内部から攻撃されたことばかりはなかった。


「そろそろ出発するとしよう、もう日が暮れてるからな」

「はっ」


 ギーアは広間の中央に向かって手を向ける。

 

《トランスゲート/転移門》


 詠唱を行った瞬間、何もない空(くう)に禍々しい黒い穴がぽっかりと開いた。その穴を覗いてもその先に何があるのかはわからない。

 

「フローリア、宝物庫の警備は厳重に行ってくれ。この先、あれを奪われるようなことがあるなら……すぐにでも戦争を起こさなきゃならなくなる」


 この城の最下層に存在する宝物庫。動乱期に魔界各地で使用された強力なマジックアイテムの保管場所である。魔力を秘めた剣や鎧、無数の魔物を召喚する宝具などが収められており、これが敵勢力に渡ればさらなる紛争の再開を意味する。

 故に実力者たる七芒星の一員に管理を委ねるのである。


「もちろん存じておりますとも。お任せください、ギーア様」


 ファントムの快い忠誠を確認すると、今度はにっこりとした表情のヘアルに目を向ける。


「ヘアル、俺がいない間はお前が城を守ってくれ。信頼しているぞ」


 黒きヘルハウンドは一瞬だけ凛々しい表情をして、ばふっと吠える。二人のおふざけもつかの間、双方ともに忠誠心と実力を備えたヘプタグラムとなっていた。

 メリエルは隅でひっそりとしているシエラを招き、一足先に転移門をくぐっていく。ギーアは配下の忠誠に軽く頷いて、続いて転移門へと足を向ける。すると、フローリアが自分を呼び止める。


「ギーア様、答え合わせがまだ済んでいませんよ」


 その言葉に足を止め、にやりとした表情を浮かべて背後を振り返る。


「……俺が求めるのは玉座だ。魔界には納まりきらない野心を据えるためのな」


 ギーアの言葉に一瞬だけ驚きの色を見せたフローリアだったが、期待や喜びの色を滲ませた邪悪な笑みを浮かべる。

 この先の展開には、殺戮の必然があることを知っているのだ。魔界に跋扈する魔物、大陸にひしめく人間、過去に戦い交えた竜族への破滅と支配の願望である。


 亡霊と地獄犬は、ゆるゆると穴が縮んでいき再び玉座の広間に沈黙が走るのを見つめていた。


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