人間と魔物―1


 柔らかな風が吹くや、鬱蒼とした木々の葉擦れの音が波を打った。薄らと雲のかかった青空に浮かぶ真昼の光が森に突き刺さっている。

 木々の葉っぱに隠され、陰となった森の中で小さな鳥や虫があちこちで飛翔していた。草むらの陰を獣が通り過ぎていくのが見える。

 辺りに魔物がいる様子はなく、自分たちが現れても侵入を喚く生き物はいないようだ。魔界においては動植物であっても魔物の影響下にあり、鳴子の役割を果たしていた。


 転移門を抜けた三人は夕闇から解き放たれ、明るくて清涼な空気のもとにさらされた。ほんのりと涼しい風が木々の隙間から流れてくる。

 四方八方にはどこまでも森の深淵が続いており、出口を思わせる光芒もない。

 辺りをきょろきょろと見まわしながらシエラが言う。


「森の中……?」

「ああ、いきなり人間の巣の中に飛び込むのは危険だろうと思って、位置をずらしたんだ。魔物の集落でも見つかればよかったのだが……」


 魔界は人間の住む大陸の遥か西に位置しているため、時差の影響もあって辺りはまだ明るい。

 見晴らしの良い草原にでも転移出来たらよかったのだが、何分はじめての土地ではどうも思いの通りの転移ができない。マジックビジョンを用いて偵察の一つでもしておくべきだった。


「要はずらし過ぎてしまったと?」

「うん、そうなんだ」


 メリエルの配慮なき指摘をそのまま受け止めた。彼女は表情を変えず、呆れとも表現しづらい様子で一度うつむく。

 魔獣であるメリエルとしては、特段に不慣れということもない。だが、シエラはぽかんとした表情で辺りを見渡しているばかりで、慣れを推察することは難しかった。


「どうされますか? この土地に住む魔物か人間に接触を試みますか?」

「優先は人間だ。ここの魔物は魔界と違って言葉を理解してくれない可能性があるからな。できる限り無駄な敵対は避けたい。まあ、場所が場所だけに魔物を探した方が早いだろうがな」

「わかりました。もし攻撃を受けたらどうされますか?」

「その時は魔物でも人間でも容赦なく殺せ。だが、意思疎通が可能なら情報を引き出してみるか」

「はっ」


 同じ魔族とはいえども、魔物を殺すことに戸惑いは感じていなかった。

 動乱期に同族の殺害を繰り返していたことの経験か、あるいは根本的な種の違いなのか、いずれにしても敵対する者には力で以て対抗するのは当然だと思っていたからだろう。人間相手ならば言わずもがなだ。


 一行は歩みを始める。道があるわけでもなく方角もあやふやではあるものの、至る所でもっさりと生えた草木をかき分けていく。

 鬱蒼とした茂みや丈夫な大木、ゴブリンがコロニーを作って繁殖するにはうってつけの場所だろう。そう考えると、これだけ閑散としているのは違和感がある。


「出迎えの一つでもあるかと思ったんだがな」

「魔物どころか、獣の臭いすらしませんね。人間の住む土地なら、森林内部の魔物にまで影響力を及ぼすことはないとばかり思っていましたが……」

「そうなんですか?」

「ああ、人間は基本的に開けた場所を好む。そこに都市を作り、互いに集まることで徐々に勢力を拡大するんだ。魔界でもそういう傾向がある」


 魔界においては個体数の増加は問題の一つだった。人型の魔物たちは集落を形成して安定的に繁殖をする。そのため、森の中に生息する魔獣と衝突することもしばしばあり、仲裁と住み分けが必要となっている。

 人間は多くが開けた平地に住んでいるものだとばかり思っていたが、存外にも自然の中に遠征することも多いのかもしれない。


 ギーアは生命探知の魔法を用いて目を赤く光らせ、生き物を探した。

 少し暗くなった視界の中、鳥や虫などの小動物が赤いオーラをまとって壁越しに映し出される。しかしその中に、魔物の大きな姿を確認することはできない。

 動乱期のことを思い出して微かな当惑を感じた。ここまで静かなのは敵が罠を張って奥深くまで入り込むの待っているからだ。ここが魔界ではないのが分かっていても、経験というドロドロとした液体が心身から取り払われることはない。


 数分ほど進んだ時、足もとの土が湿っているのに気が付いた。空気には微かに湿り気を帯びている。

 河川でもあるのだろうと思っていると、岩場の近くに等間隔で大きなくぼみができているのを見つけた。近づいてみると爪か指のような尖った形状をしており、花や草が潰されている。

 くぼみはギーアの足よりもずっと大きい。


「トロールかオーガといったところでしょうか。かなり大型の魔物ですね」

「ああ、そうだな……ん?」


 ギーアはふと言葉を殺し、シエラとメリエルを手で制した。

 ここから少し離れたところで鳥たちが飛び立つ翼の羽ばたく音や、小枝がへし折れる音が聞こえる。徐々に地面を突いたような振動が伝わり、その存在が顕著になっていった。

 一つではなく複数の轟音が森の中をかく乱する。

 そして大木の陰から現れた者に目を見やると意外にもそれは巨人の類ではなく、一人の少女――人間であった。


「あれは……人間か?」


 ギーアは怪訝に思いこぼした。こんな手の付けられていない環境の中になぜ人間などがいるのか。泥まみれの服を着ているが決してボロくはないので、野良ではないだろう。

 人間を見慣れているはすのオーガがここまで激高する理由も皆目見当がつかない。いくら知能が低くても、下手に人間を刺激することが悪手であることは理解できているはずなのだ。

それでもメリエルは一切の驚きもなく、あたふたする魔物を横に事態を平然と眺めていた。どこか冷たい眼差しで人間の方を睨むように見ている。


 少女は顔に涙と汗を多分に浮かべ、鬼気迫る表情で走る。その後ろをオーガが三体ほど猛りを見せながら追いかけていく。岩の如き巨体、丸太のような足が地面を殴りつける。

 オーガの顔には稲妻のような血管が浮き出しており、明らかに激高していた。薄汚れた体の全域に筋肉の鎧、巨大なこん棒で少女を叩き潰そうというのだ。

そうなればあの子供は原型を留めることなく肉体は霧散する。


「どうされますか?」

「まずはオーガと接触を試みよう。無理ならあの人間と話をするとしようか」

「はい」


 その返事で端を発したように二人は大地を蹴った。

 森の中を特異なスピードで飛び、小枝や木の葉を風圧で破壊しながら少女の背後に回り込み、オーガと対峙する。


「止まれ、オーガ!」

「ガアアア!」

「これ……通じていないってことじゃ⁉」


 二人に置き去りにされたシエラが絶叫する。


「交渉は無理みたいだな。期待はしていなかったが」


 ギーアの静止する声はオーガには届かなかったようだ。言葉を理解していないらしく、怒り歪んだ顔が今度はギーアに向けられた。

 オーガは強く踏み込み、こん棒を両の手で薙ぎ払わんと思い切り振るう。


《マジックオブウェポン/武器の魔法》


 とたんにギーアの肩部に赤黒い魔力のオーラが出現し、ブレードを形作ってこん棒を軽々と受け止める。こん棒を弾き返し、そのままオーガの右腕を綺麗に斬り飛ばした。

 赤い鮮血が吹き荒れ、激痛に喚く声が森の中に響き渡る。

 悠々とするギーアは隙を与えず、オーガの胴体に左肩のブレードを滑り込ませて体を両断した。自身のコントロールを失った骸は地面の上にごろりと転がる。


《デッドアッシュ/死の灰》


 呆気にとられていたもう一体のオーガに指を向ける。びくりとして踵を返すも、すでに遅い。

 すでに魔法は唱えられた。

 黒いオーラをまとったギーアの指先からは、小さな黒い球が射出されオーガの背中を追いかける。猛スピードで迫る球体に鈍足なオーガでは逃れる術なく追いつかれ、直撃してしまう。

 すると、触れた部分からオーガは灰となり、たくましい肉体の全てが瓦解した。

 さらさらとした粉と化したオーガは、柔らかな風に乗って森の中に消えていく。ろうそくに灯された火が風に殺されるのと何ら変わらない。


 一方的な攻勢に怖気づいた最後のオーガ。重たげな足が恐怖によっておぼつかなくなり、よたよたと木の陰に隠れた。

 ギーアの目の前にメリエルが出ていく。


《チェインライトニング/連鎖する稲妻》


 指先から放たれる青白い雷撃は、オーガの奥にある木に直撃する。そして木の幹に黒い足跡を付けて跳ね返り、オーガの体へ飛び込んだ。

 低い断末魔が轟く。

 ずしんと巨体が倒れ込む音がするや、肉体を焼いた後の焦げと生臭さの混じった醜悪な臭いが漂う。ギーアやメリエルにとっては嗅ぎなれた臭いゆえに、全く意に介していない。


「オーガって、こんなに狂暴なんですか?」

「おいおい、オーガを見たことがないとか言い出すんじゃないぞ?」

「み、見たことくらいはありますよ……!」

「オーガが狂暴な時なんて滅多にありません。まして、人間の子供を三体で追い回すなんて、よほどのことがないとありえないでしょう」


 オーガは図体が大きいために、天敵となる魔物は少ない。それゆえに、普段はおっとりとした性格をしているものだとばかり思っていた。人間の住む土地ではそうでないのかもしれない。

 どのような理由か、今さら蘇らせて問い詰める気にはならなかった。


 オーガの死によって先ほどまでの喧噪が嘘のように、森に平静が蘇った。

 その中、荒い呼吸を繰り返しながら木陰に隠れている少女が微かに顔を出している。オーガに追われている時とさほど変わらない恐怖の色である。


 ギーアははっとした。自分の角や目は人間とはかけ離れた魔物のそれであるということを思い出し、すぐさまに隠して人間の姿へと変身する。

 メリエルもそれに続き、翼を隠した。しかし、シエラだけがあたふたと困惑の表情を浮かべるばかりで、一向に変身しない。


「おい、早く変身しろ」

「わ、わかっていますよ!」

「本当にシエラを連れてきてよかったのでしょうか? 先が思いやられますよ」

「そんなぁ……!」


 変身を行うことは容易であるとはいえ、全身を変えれば肉体的なアドバンテージを失うことから一部分をそのままにしていた。それが人間の世界においては通用しないのだ。

 ギーアはシエラが変身するの確認すると、ゆっくりと少女の方へと近づいていく。


「ひっ!」


 幼い顔はギーアと視線を合わせるや、小さく絶叫する。


「落ち着け、取って食ったりはしない」

「人間を食べたことってあるんですか?」

「やかましいぞ、こら!」

「痛ぁッ!」


 ギーアはシエラの頭上に手刀を振り下ろし、悶絶させた。

 少女はその様子に安堵したのか、ゆっくりと姿を見せる。それでも儚い体をがたがたと震わせ、今にも腰を抜かしてしまいそうである。

 その幼さ、おそらく10歳にも満たないだろう。

 こんな子供を相手にオーガが三体も激高するとは、何とも粗野な連中だと心中で思った。外部からの侵入に過剰反応する理由でもあるのだろうか。

 テリトリーに入ってしまったとしても、あそこまで殺気立つオーガも珍しい。彼らは決して知能の低い魔物ではないはずなのだ。


「君はこんなところで何をしている? とても馴染みのある場所には見えないが」

「村から薬草……採りに来たの」

「薬草?」

「うん……お母さんが病気だから……」


 ギーアは神妙な面持ちで、泣きそうになる少女を見ていた。


「母親……」

「どうされましたか?」


 ふと嫌な空気が胸の中にたまったような感覚に陥った。

 思わずぽつりとつぶやくと、その様子に気づいたメリエルがこちらの顔を覗き込んでくる。ギーアはすぐに言葉を整える。


「いや、なんでもない。それで、君の住んでいる村というのはどこにある? この近くにあるのか?」

「あっちに……ある」


 少女は短い指を真っ直ぐに伸ばし、森の木々の向こうを指差した。幼い身でありながら、森の複雑な地理も理解しているらしい。

 

「案内してもらえるか。村に着くまで護衛してやろう」


 そう言うと、少女は「うん」と頷いて歩き始めた。

 手足は泥だらけになっており、所々に擦りむいた傷がある。しかし、目的の薬草を見つけた様子はなく、何一つ戦利品を手にしていない。徒労に終わってオーガの洗礼とは、不憫な人間がいたものだ。


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