人間と魔物―2


 数分ほど歩くと、木々の数が少しずつ薄れて開けた場所に出てきた。魔物は先ほどのオーガを見て以来、現れることがない。殺せども殺せども湧き出る群れに生気を失う動乱がまるで嘘だったかのような現在の静寂。

 少女は未だに緊張から解放されないのか、こちらをちらりと見てはまた目をそらす。やはり人間と違う外見を目にしたからだろうか、とギーアは逡巡した。


 メリエルの方を見やると、彼女は少しばかり冷徹な目つきで少女の背中を睨んでいた。とても子供を見るような目ではなく、獲物を見る猛禽の目である。

 その様子を感じ取ったのか、シエラは口をつぐんで少女の背なかを見つめていた。人間を見てもメリエルほどにあからさまな感情を表すこともない。敵とも言わぬ、あくまで中立の立場のようだ。

 無論、人間は敵と言えば敵なのだが。


「どうかしたか、メリエル?」

「いえ、ただあの小娘が我々の正体を明かしてしまわないかと……」

「落ち着け、まだ正体が割れたとは決まっていない。せっかくの人間の子供だ、可能な限りその幼さを利用させてもらおうじゃないか」

「でも私たちはよそ者ですよ? 村に行っても警戒されるんじゃ……? そもそも人間じゃないし……」

「お前が挙動不審になれば当然、疑われるだろうな」

「なっ⁉ 私、挙動不審じゃないですよっ! 至って冷静ですっ!」

「安心して、シエラ。仮に人間が敵意を向けてきても私が対処するわ。素人に前衛を任せるつもりもないし」

「メリエルさんまでっ!」


 二人の冷めた眼差しを受けたシエラは必至になって否定する。何か否定語を言おうとした瞬間、ギーアの冷笑がシエラを黙らせた。


「さて、丸腰の状態でどこまで冷静を保っていられるか、見ものだな。魔物が泣いてすがっても許されるとは思えないが」

「それは……大丈夫です」

「少なくとも、ここらは魔物が少ない。狩られたのか、他に住まない理由があるのかわからない。人間を甘く見るべきじゃなさそうですね」


 メリエルはやや不満そうだった。

 人間は太古の昔、魔族と竜族の戦争が行われ、双方が疲弊したことによって繁栄することができたのだ。魔族にとっては自分たちの衰退と反比例して栄えた種族、憎しみや敵意の発生はごく自然だった。

 

「まあ、もし本当に正体をばらすようなことがあれば、村ごと吹き飛ばすしかない」

「その時はお任せを。シャドウグールも待機しています」


 少し冗談を交えたつもりだったが、メリエルの殺気は猛禽類たるフクロウそのものだった。やれと言ったらすぐにでも人間狩りを始めそうだ。

 ギーアは苦笑した。既にシャドウグールの部隊を召喚する準備を整えているというのだ。彼女は一層殺気立った目つきで少女を見つめる。


「準備万端か。頼むから、俺の指示無しで殺しはしないでくれよ」

「はっ」


 快く返事はするものの、従者としての人選は失敗だったかもしれない。

 そう思っていると、ギーアたちは木々の影から抜け出して、青空のもとに身をさらした。人間の土地で感じる春の陽気は寒気を呼び起こし、不快な感覚に変えている。


 森の外には見晴らしの良い草原が茫洋と続いていた。山々の間にできた平地に敷き詰められた鮮やかな緑が太陽の光を反射し、風にそよいでいる。

 草がはげて地面の露出した道は、草原に線を引くように続いていた。ごつごつとした岩場付近はごく自然に近い状態で、蝶や鳥が遊泳している。


 見渡す中に魔物はおらず、鹿や狐などの獣がちらほらと姿を見せていた。周りに天敵がいないおかげで、草をゆっくり咀嚼したりあくびをする暇さえあるらしい。

 のどかではあるものの、広大な草原を少女一人が歩いて来るのはどうも似つかわしくない。

 シエラは初めて見る光景に茫然としている。言うまでもなくポジティブな意味での驚きだった。


「魔界とはずいぶんと違うのですね。大陸というのは……」

「そうだな、これだけ広ければ魔物の一体くらいは見かけそうなものだが、ここらにはほとんど現れないらしい」


 その理由は想像に難くない。下手に集落に近づけば狩られるからである。人間の力がどの程度であれ、魔物に学習をさせるだけの影響力は有しているのだろう。


 少し進んだ先、草原のど真ん中に石造の家屋が乱立した集落があった。

 そこには民家や酒場と思われる建物や畑があるばかりで、官吏の行き来するような庁舎はない。ぱっと見ただけでは人口も百数人くらいの規模しかいないのではないか。

 木で組み立てられた物見やぐらで周辺を監視するようだが、強風で倒れてしまいそうなほどに劣化している。利用されることも少なかったのかもしれない。


「人間の住む土地というのは、もう少し進んでいるものかと思いましたが……魔界と大して差がないようですね」

「辺境ならそんなものだろう。人の往来が少なければ、資材の搬出入も少ない。時勢が安定しているのなら、わざわざ大勢が集まる必要もないのかもしれないな」


 民家を守るものと言えば申し訳程度に設けられた柵だけで、衛兵の姿を確認することはできないだろう。村人たちが着る布のブラウスには多少の土埃や汚れはあるものの、決して貧相ではない。

 しかし、武器を携えた者は見かけられず、抵抗できる組織があるとも思えない。


「さて、人間の巣穴だ。妙な真似はするんじゃないぞ、特にシエラは」

「しませんよっ!」


 三体の魔物は少女の背を追って、気づけば村の中央部までやってきていた。森を出てから既に三十分近く経過しており、この子供は往復で一時間は歩いていることになる。

 少女は突然ぴたりと足を止めると、目にいっぱいの涙を溜めて駆け出した。


「お父さん!」


 そう叫ぶと、酒場の目の前に立っていた中年の男性のもとに駆け寄り、ふくよかなお腹に勢いよく飛び込んだ。


「キナ! 一体どこに行っていたんだ⁉ 心配したんだぞ!」

「ごめんなさい!」


 父親の声は怒りではなく、歓喜だった。髭を蓄えた少しいかつい顔が笑顔になって、力いっぱい娘を抱きしめている。

 よれよれの服にざらざらとした荒い髭を持つ父親は子をゆっくりと下ろすと、ギーアの方へとくしゃくしゃの顔を向けた。涙やら鼻水やらで見るに堪えない顔をしており、何度も袖で拭うもぬぐい切れない。


「あなた方がこの子を連れてきてくださったのですか?」

「ええ、森の中でオーガに追われていたところを偶然にも発見したので、助けていた次第」

「オーガにッ⁉」


 父親は小さく叫び声をあげた。魔物に対抗する術を有しているようには見えないが、オーガという名前を知っている様子からしても無知ではないようだ。

 情緒の安定しない父親を相手に、ギーアは淡々と丁寧に受け答える。


「ご安心ください、オーガはこちらで処理しました。その子にも大した怪我もないはずです」

「それは……本当にありがとうございます! 何とお礼を言ったらいいかっ……!」

「礼は不要ですよ」

「しかし……」


 ギーアは少しばかり考えてから、再び口を開いた。


「では、この辺りの地理を教えていただきたい。何分、旅の途中なもので」


 旅と言っても一時間に満たない散歩程度のものであるが。


「旅のお方でしたか、では酒場のほうでゆっくりと」


 父親の手招きで三体の魔物が酒場の中へ入った。

 蝋燭の火と天窓から差し込む陽の光で、中は意外にも明るい。中央の焚き木を中心にいくつかのテーブルが並べられ、村の男たちが談笑していた。その一角には革製の鎧を着て剣の武装をした男もいる。

 ホムートの居た客間ほどではないものの、辺りには酒の臭いが漂っていた。

 どうやらこの男の営む酒場らしく、キナを連れてカウンターの奥の方へと入っていく。すると、女性の大きな声が響いてきた。


「キナッ! 怪我はない⁉」


 案の定、父親と同じ反応だった。全身が泥だらけで所々に擦り傷をつけた子供が帰ってきた以上、何らかの危険に巻き込まれたことは聞くまでもないだろう。

 部屋では咳き込みながら我が子を叱りつつも、その身の安全に歓喜する母親がいた。ベッドで上体だけ起こし、抱えた病の重さを血の気の失せた顔色が示している。

 キナの父親から説明を受けるや、母親はすぐさまギーアの方を見て一礼した。しかし、今にも生気を失いそうな様子は見ていて痛々しい。


「この子を助けて頂いて、本当にありがとうございました……! 何かお礼を……」

「礼には及びません」


すぐさま母親を手で制した。

 

「では、お名前をお聞きしても……?」

「私はギーア=インフィルトと言います」


 ギーアは少し戸惑った。

相手は人間、魔界にはいない存在である。ゆえに自分が何者かなどわかるはずもないのだが、この先で足元をすくわれないだろうか。

 メリエルのことも紹介すべきかと思ったのだが、冷淡な眼差しで人間を観察する猛禽を下手に関わらせるべきではない。それにシエラは無知ゆえに墓穴を掘る可能性がある。

 ヘプタグラムにおいて、人間に溶け込むことができる者は指折りで数える程度に限られている。やはり自分が直接行動するしかない。

そう思うと、ギーアは憂鬱な気分に飲み込まれた。


 ギーアは実直に名乗るや、少し考える素振りを見せる。

 お礼、というのも困りものであった。

 人間の土地で行動する以上は金銭を要求するのも一つの手ではあるが、それがどれほどの価値で流通しているのかはわからない。だが、この村がどの国家に属しているのか、あるいは周辺の地理や生息する魔物に関する情報は、天秤で測るまでもない確たる価値を持っている。


「それで、この周辺の地図をお持ちでしょうか? よろしければ拝借したいのですが」

「ええ……構いませんよ」

 

 男はそう言ってギーアを別の部屋へ手招きし、テーブルの上に地図を広げた。何年もの間に使い古された羊皮紙には、ところどころ千切れた部分や黄色く変色している部分がある。

 気を利かせて飲み物を尋ねる男の厚意を丁寧に断り、早めに用件を済ませるべく地図を隅から隅まで目をやる。

 ほんの肩幅くらいの大きさを持つ地図だったが、描かれているのは大陸西方の半分だけであった。魔界なる土地など、どこにも描かれていない。現在地はおそらく、西の海に面した土地のどこかにあるのだろう。

 魔界はその海の先にある。

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