人間と魔物―3


「我々のいる村はバーランド王国の東南部です。すぐ南に山への入り口になっている森があるでしょう。おそらくキナはそこに行っていたのだと思います」


 男はそう言って地図につけられた印を指差す。確かに、先ほどまでいた森林のすぐ近くであり、森は山までずっと続いているようだ。

 となれば、魔物の出没は必至のはず。

 ギーアにぴったりとくっついて来たシエラは身を乗り出して地図を眺める。


「ずいぶんと森に近いようですが、魔物に襲われることはないのですか?」

「ええ、魔物が出現することはありますよ。でも、この辺りは冒険者たちの狩場でもありますから、滅多に村が脅かされることはありませんよ」

「冒険者……?」


 ギーアは怪訝な眼差しで男を見やる。


「はい、王国各地の組合に所属している人たちです。報酬次第で魔物討伐や護衛を請け負ってくれるんです」


 メリエルがぴくりと反応した。表情が一層鋭くなり、殺気にも似た危険な雰囲気を漂わせている。おそらく魔物討伐という言葉に反応したのだろう。それを察してかシエラの表情も曇った。

 ここは魔物にとって何とも物騒な地域だ。

 軽く咳払いすると、メリエルはすぐに演技を戻す。とはいえ、大した演技もできていないのだが。


「さしずめ……傭兵稼業といったところですか」

「ええ、そうですね」


 ギーアは軽くため息をつくと、次の質問をした。


「では、この辺りには魔物が出ることはないのですか?」

「はい、ただ……山の奥の方では魔物がかなり高い頻度で出現するそうです。冒険者の規模では対処できないので、王国の部隊が近隣を巡回することもあります。」

「王国の軍隊が魔物を討伐するためにわざわざ辺境まで赴くものなのですか?」


 ギーアは内心で疑問に思っていた。

 インフィルト領内にも複数の集落が存在しているものの、その大半は城や砦、部隊の駐留する軍営地のすぐそばにあるのだ。人間の同胞への意識がどうであれ、この村に地理的な要衝と思わせる要素はない。


「いえ、よほど大規模な場合だけですよ。普段は盗賊や敵国の斥候を警戒しての巡回です」

「敵国というのは?」

 

 その一声を発したのはメリエルだった。男は王国の真横に描かれた物々しいエンブレムを指さして語り始める。


 王国の真東に存在するのはミクトラン帝国という国家である。両国は東西で睨み合うように領土を保有し、広大な草原と山脈が双方を隔てている。

 男の言葉によると、王国は数年前から幾度となく小隊の領土侵入を受けて帝国と対立しているという。その目的は偵察や兵糧攻め、軍の疲弊を狙ったもの。

 秩序と闘争の併存が、魔物を人間に寄せていく先の歴史譚にさえ思える。


 沿岸国のバーランドと内陸国のミクトラン。後者が侵攻を成し遂げた時、最も利益となるのは海路の確保である。

 北西の島々が持つ資源や貿易相手の確保には最も邪魔になる存在だった。そしてミクトランは今日においてかなりの戦力増強を行っているという噂が辺境にまで伝わっている。

 

 ギーアは胸に突っかかりができたような気分だった。

 王国か帝国か、いずれにしても版図の拡大を行うとなればいずれ瘴気の海にまで到達する。もはや魔界の瘴気が外部からの侵入を阻むほどの力はなく、ただの霧でしかない。

 統一されていない魔界、もし人間と戦わば反抗勢力の増長を許すことになる。


「この海の先に何があるか知っていますか? 例えば……巨大な島とか」

「島ですか? いえ……ほんの小さな孤島がいくつかあることくらいしか知りませんね。なにぶん、我々はこの地域でしか生活しませんからね」

「そうですか、そうですよね」


 少なくともバーランドとミクトランが争ううちは魔界が知れ渡ることはないだろう。そう思うことで、ギーアは胸の焦りを落ち着けた。


「つかぬことをお聞きしますが……」

「何でしょうか?」

「その、どうやってオーガを倒したのですか? 装備もあまり汚れていないようですが」


 思わぬ質問にメリエルは険しい表情を浮かべる。言われてみれば、ここに来るまでさほど時間をかけていない。ブーツに多少の泥がついている程度で、オーガの返り血もないのだ。

 不思議に思うのも無理はない。


「魔法ですよ。ちょっとした」

「魔法……? ではあなた様は魔術師マジックルーラーなのですか⁉」


 男は驚愕の表情を浮かべる。というのも悪い意味ではなく、物珍しさからくる喜びに近い驚きだった。


「マジックルーラーというのは、バーランドでは珍しいほうなのですか?」

「いえ、都市のほうに行けばたまに見かけますよ。特に今、治癒師は需要が高いですから、軍のほうでもかき集めているみたいです」

「そうですか、では魔法は決して珍しくないと?」

「冒険者の中にも魔法を使う人が何人かいますから、珍しくはありませんね。ただ、実際に見たことがあるのは低位の回復呪文くらいのものです」

「では高位の魔法を使う人は少ない?」

「ええ、滅多にいないでしょう」

「そうですか……」

 

 落胆と安堵の入り混じったような気分だった。魔術に関して習熟した人間が少ないのは戦略上は好都合であるものの、その情報を引き出せる人間は限られることになる。

 とりわけ人間の情報網は侮ることができない。辺境の地にまで情報、物資、人は流れ、彼らの意志を生み出していく。大陸の魔物はそうして、人間という巨大な生き物に追いやられていったのだろう。


 ギーアは恩義という対価でもって、酒場で貸し出す部屋を一室ほど借りた。部屋は物置にもならないほどの狭さで、ベッドが両脇に二つだけ備えつけてある。

 先ほどの宿屋の主人から、三人ということで二つ部屋を貸そうという申し出もあったのだが、一夜を過ごすほど長居する気はなかった。シエラの監視をする以上、やはり二人だけになるという選択はできない。

 部屋は木材で作られた床や天井、壁。ところどころに染みや蜘蛛の巣、掠れた部分があり、手入れが行き届いているとは言えそうになかった。


「しかし、人間は本当に我々の存在を認知していないのでしょうか?」

「それは魔物による組織の存在という意味か? だとすれば、もう百年前に忘れていることだろう。人間は寿命が短いしな」

「昔は認識していたんでしょうか?」

「シエラ、あなた何も知らないのね。この大陸にも魔物の組織はできていたわ。でも魔族の衰退と同時に人間が繁栄して、駆逐されてしまったのよ。だから、魔物は獣と大して変わらない存在になっている」

「まあ、漁夫の利ってところだな」


 確かに人間の情報網は優れているが、すぐに過去の出来事や危機を忘れるという点では致命的だ。魔物が組織化することの危険性を思い出すのにどれだけの時間がかかるだろう。

 それも、我々にとっては長い猶予期間だ。

 シエラは子供っぽく窓辺に肘をついて村の様子を眺めている。その景色を人間と魔物で入れ替えれば、また見慣れた光景に戻るに違いない。

 オーガを前にすれば何か片鱗を見せるかもしれないと予感したのが、見事に外れていた。やはり、何の力も感じられない。


「シエラ、お前は送り出される時に、本当にラオドリアから何も言わなかったのか?」

「はい、何も」


 シエラは少し怪訝な様子でギーアを見つめ返す。


「どうしてそんなにラオドリア様を嫌うのですか? 何か理由でも……」

「ああ、単なる親子喧嘩だよ。こんな歳になって親と慣れ合うガキにでも見えるか?」

「い、いえ……」


 明らかに失言をしてしまったと俯くシエラを見て、メリエルも気まずそうな表情をする。


「ラオドリアとはどこで会った?」

「あ、えっと……ラオドリア様の領地の森で死にかけていた時、あの方に助けられました」

「助けられた? 奴は目が見えないはずだろう」

「ええ、あの方の私兵に保護されたので……」


 シエラという名の無力なカプリコーンがどうやって生きてきたのか。ギーアの頭の中でそんな疑念が渦巻いた。しかし、先ほど無意識に嫌悪感を催したせいもあって空気が淀んでいる。


「少し部屋の外に出て、様子を見てくる」

「では、私もお供します」


 ギーアはメリエルの申し出を手で制す。


「いや、お前は部屋でシエラを見ていてくれ。その間は、うちでのあれこれを教えてやれ」

「しかし……」


 メリエルは食い下がろうとしたが、ギーアの冷たげな眼差しに黙り込み、そして頷く。

 母親の名前を聞いて少しばかり動揺していたものの、すぐに気を持ち直して部屋のドアを開ける。大人気もなく平静を失いかけることには反省をしつつも、ラオドリアに対する警戒心を失ってはいけないという自戒がせめぎ合っていた。

 ギーアは無意識に足音を忍ばせながら、再び人間たちの群れに戻っていく。

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