ワイバーン―1



 酒場の空気は酒の臭いが混ざって淀んだものになっている。

 男たちがジョッキを仰いでは談笑し、酔いも回ってか和やかな雰囲気を醸し出していた。村は警戒心が薄くて兵力も微小、襲撃に耐えられるような要塞もない。

 彼らが攻撃を受けたことがなく、安定的に季節を越すことができるなどとは想像もできなかった。


 人間の子供は痩せていて力の断片さえも感じることができない。にもかかわらず、身骨砕いて家の肉体労働に従事する。キナの母親のように病に悶える脆弱さと相反し、ゆるぎない健気さを維持する光景は奇怪だった。


 ギーアは酒場の柱に寄りかかり、ひっそりと彼らを見つめている。こんなにも平和を謳歌して、酔いくたびれた人間に魔族が追いやられたのかと思うと、気分は湿っぽくなった。

 肉体的に彼らは貧弱。

 困窮すれば自らの手で獲物をしとめることなど想像だにできない。それなのに、彼らはどうして魔物や竜の勢力から何ら影響を受けずに生きていられるのか。


 ギーアは円卓を囲んで談笑する彼らを偵察魔法で観察する。彼らの誰一人として魔力を有しておらず、それに類する道具の一つも見つからない。

 それを必要としないほどに勢力を拡大しているのだろう。まるで集落の在り方として理想形を見せつけられたようだ。


「おい、兄さん!」


 いきなり背後から声をかけられたギーアは、酒臭い吐息が顔面に直撃して思わず息を止める。

 革製の鎧を着た中年の男が顔を赤らめながら肩を組んでくる。腰に携えた剣は、その鞘の傷や汚れからしても年季が入っている。そこまで激しく戦闘を行ったというわけではないようだが、グリップの部分は擦り減っていた。


「兄さんだろう? オーガを簡単に屠ったっていうのは」

「……ええ、まあ。簡単とは言ってませんが」

「やっぱりあんたか! さっきここの主人に聞いてよお!」


 ギーアは平静を装いつつ内心で警戒した。酔いの回ったこの男が血気盛んに無意味な勝負でも仕掛けてこないかと、癖ゆえに想像してしまう。

 しかし、男はあくまでも朗らかな様相で絡んでくる。肩を組んだまま男はギーアをテーブルまで引っ張っていく。


「ん、あんたも冒険者か?」


 座って飲んでいた二人の髭面の男がこちらを一瞥し、げっぷ混じりに問いかける。ギーアを席に誘導するや、男は再びジョッキを手に酒を揺らす。


「いえ、私はただの旅人ですよ」

「へえ……で、あの森を抜けてきたってのか」

「あの辺りには魔物がほとんどいないようですね。コロニーを作ろうと思ったら最適な場所なのに」

「まあな、あそこは冒険者にとって狩場だからな。今じゃあ山奥のほうまで行かなきゃ、魔物の住処は見つけられねえだろうな」

「そのようですね」


 殺しをひさげるだけの人間にここまで追い詰められているとは。人間が武力を振るう目的は、もはや魔界の魔物たちのそれとは次元が違う。

 生命維持と生活維持の差がここまで明瞭では、世界の片隅で殺し合う自分たちは何なのだろう。


「特に、オーガやトロールみたいな大型の個体は、ダイアモンドクラスの連中が狩り尽くしちまうだろうな」

「ダイアモンドクラス?」


 ギーアが聞きなれない単語を怪訝に思っていると、男らは呆れた表情でこちらを見る。


「なんだ、知らねえのか?」

「冒険者には五段階のランクがあるんだよ。俺らみてえな辺境で飲んだくれてる奴らは一番下のカッパークラスだ」

「自虐かよ……」


 確かに強力な魔物との戦闘を経験した者の貫禄は、彼らにはない。


「強さや信頼によって、ランクはシルバー、ゴールドと上がっていくんだ。ダイアモンドクラスともなれば、なにがしかの地位は確実だろうな」

「税金が免除されたり、組合に季節ごとの会費を払う必要もない」

「でも、それより上のランクがあるんだ」

「上……?」


 冒険者の男たちは嬉しそうな表情を浮かべ、得意げに語り始める。


「ウルツアイトクラスと呼ばれる連中だよ。歴史に名が刻まれることが約束された、伝説的な冒険者の称号だ」

「俺たちじゃあ足元にも及ばねえ」

「それは実在する人間なのですか?」

「ああ、もちろん。中にはドラゴンを殺したこともある奴がいるって聞いたことがある」

「国としては、何としてでも囲いたい連中さ」


 ドラゴンを殺すことのできる人間。ギーアの心中ではその言葉が残響となってこだました。ドラゴンにとって脅威ならば、魔物にとっても同じである。


「そのウルツアイトクラスの冒険者というのは、王国に何人くらいいるのですか?」

「そうだな……王国全体で六、七人いるかどうかってくらいじゃねえかな。そんな奴、そうそういねえよ」

「まあ、冒険者ならって話だがな。常備軍やら私兵やら、その類はよく知らねえ。知っているのは王国の騎士団長くらいだな」

「そうですか、わざわざどうもありがとう」


 気が付けば、男の一人は飲み過ぎたせいで既に眠気を催している。二人の男は、髭面を真っ赤に染め上げ、視点も蝶のように浮遊していた。

 もはや十分に聞き出したと思ったギーアは、おもむろに立ち上がり席を離れた。


 貸し与えられた私室に戻ると、待つのに疲れたシエラがベッドで横になって眠っている。

 その寝顔は警戒心を失った飼い猫のごとく。幼く、欠片の邪悪さえも有していないかのような柔らかい雰囲気をまとっていた。

 その傍ら、メリエルが静かな佇まいでベッドに座り、窓から外を眺めている。風になびく髪、怜悧な眼差しにどことなく哀愁を感じた。


「なんだ、シエラは寝たのか?」

「はい、ただでさえ体力のない者ですから、今の内にと思って寝かせておきました」

「お前は大丈夫か? 夜行性だろう」


 ミストアウルのメリエルは本来、夜間の行動を主としている。魔界では夕方であったが、ここではまだ日の光が強い。おかげで行動時間が重なったものの、このまま時差を無視して生活できるとは思えない。


「何とかします。ここから先は、ヘプタグラムの全員がこちらに来れるわけではありませんから」

「そうだな、魔界の方も放ってはおけない。まだ侮れない相手がいるからな」


 何とかする、といっても血に根付いた習性を変えることなどできるはずがない。無理に朝型に変えようと思っても、体を壊すだけだろう。

 ギーアは壁に寄りかかり、先ほどの冒険者たちに聞いた話をそのままメリエルに話した。


「では、人間の中にもドラゴンを討てる豪傑が潜んでいる……?」

「ああ、それに人間と竜族は必ずしも競合関係にはない。上手いこと利用すれば、過去の戦争のあとで竜族がどうなったのかもわかるかもしれない」

「しかし、奴らは同族の秘密を徹底するでしょう。もしかすると、私たちと同じように行動しているかも……例えば」

「コレール=シュライエンか。奴がどういう意図で、魔界にコロニーを作っているのかはわからないが、動きがないのならまだ敵にすべきじゃない」


 コレールという名の男が今日まで名乗りを上げずにおとなしくしているのは、不可解極まりなかった。ホムートとセンティル、そして自分を含めた三勢力が栄えるのを見れば危機感を感じるはずである。

 残りの勢力と徒党を組んでもおかしくないのではないか。だが、ドラゴンを最後に見たのは数年も前のことだった。


 魔界に生息するドラゴンにはもはや脅威となる力はないのかもしれない。だが、奇襲攻撃を仕掛けてくるようであれば、身体的な優位に立つドラゴンは危険だ。

 いざという時には城に常駐するヘプタグラムか、オルドが魔法でメッセージを送ってくれることになっているのだ。


 ギーアは休憩も兼ねて壁に寄りかかり、少しばかりぼーっとしていた。人間たちの生活音にもずいぶんと慣れ、気が付けば魔界にある集落のそれと重ねている。

 酒場の客たちが手に持つ硬貨。物々交換の形式を飛び越え、貨幣という名の共通した金属でもってお互いの欲望を代弁している。人間の体のように画一化されていない魔物では、貨幣経済を体現するのは難しいかもしれない。

 時折ため息をつき、体を壁に突っ張る足を変える。


 ふっと息を吐き、軽く目を閉じた瞬間、外から悲鳴が聞こえた。


「なんだ……?」


 騒ぎを勘づいたギーアは窓際に寄り、外を見渡す。すると、村人たちが慌ただしく動き、中には空を見上げて呆然と立ち尽くす様子が目に映る。

 のどかな景色を破壊し、辺りに喧噪を広がる中に何かの唸り声が聞こえた。何度も聞いたことがあり、体の奥深くにある警戒の鐘が鳴ったかのようだ。


「メリエル、行くぞ。そいつを早く起こせ」

「はい! ほらシエラ、早く起きて!」


 ギーアは弾き出されるように酒場を飛び出す。すでに客の全員が外に出ており、逃げ惑う者と立ち尽くす村人の群れが外に出来上がっていた。

 

「おい、あれを見ろ!」

「あれはドラゴンか⁉ どうしてこんなところにいるんだ!」

「皆、逃げろ! あれがこっちに来たらひとたまりもないぞ」

「急いで!」

 

 村人たちが揃って大空を見上げ、青き天井を泳ぐ影を視線で追いかける。そこには、翼を大きく広げて飛翔する、ドラゴンの姿があった。

 まるで池を泳ぎ回るように、村から見える空を飛行している。


「おい、こっちに来るぞ!」


 村人の一声で大勢が流れ始めた。随所に悲鳴を伴い、焦燥のあまりに足がもつれて転ぶ人間がいる。このような事態に慣れていないのだろう、ドラゴンの射程から逃れようと横の遮蔽物を無視して縦に逃げている。

 鎖帷子を着た衛兵が弓を持っているが、届きもしなければ貫きもしないだろう。それを理解してか、村人がドラゴンから離れるよう誘導するに徹している。


「ギーア様、あれは一体……?」

「ドラゴンだ。おそらくワイバーンの種類だろう」


 少し遅れてメリエルとシエラが外に出てきた。これだけの喧噪にして、その原因がドラゴンにあると理解するのに時間かからなかった。


 ワイバーンは翼と前足が一体化している種類だ。あの個体は地上に降りれば、人間が相手でも目線を合わせられるほど低姿勢となる中型のドラゴンだった。

 鋭利な爪を身に着けた翼、力を象徴する角、辺境の人間にとっては童話の中で常に跋扈する伝説的な生き物である。生ける伝説はその凶器を掲げ、空気を震わせるほどの咆哮を放つ。

 非力な人間たちは内臓を揺るがすほどの衝撃におののき、次々と悲鳴を上げる。


 ぎょろりと目を見開き、牙を剥きだすワイバーン。激しく興奮し、唸り声を交えた荒々しい吐息からは怒りが見えた。

描いたような殺意が見下ろすは凡夫の群れ。柔らかく脆い肉体に反して、分厚い鱗に覆われたワイバーンは、重装備をまとう千の軍に匹敵するほどに歴然の差がある。

 

 

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ワールドスロウン ―世界の玉座― ~世界を蹂躙する最強の魔物!~ 佐々山象山 @sasayama341

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