魔物情勢―3
城門が開け放たられるや、空に残り火が漂う夕闇の風が舞い込んだ。
木々に囲まれたこの辺りはすでに真っ暗になっており、ゴブリンやアンデッドの衛兵たちが持つ松明の炎がゆらゆらと彷徨っている。
山のふもとにある魔物たちの集落から交代で戻ってきたのだろう。
夜になれば森の中からの奇襲攻撃に備えるのが常なのだが、森林内部はすでに自軍の管理下にある。兵たちの気が休まらない日々が遠い昔のようだった。
ホムートとセンティルは城外に出ると全身が光に包まれ、人間の形状を棄てて本来の姿へと戻った。
その姿は今までの何倍も大きく、牛や馬のような獣さえも丸呑みにできてしまいそうなほどの巨体を有している。それゆえに人の姿に変身しなければ、城の中など入れるはずもない。
ホムートは獅子の頭に山羊の胴、蛇の尻尾を持つキマイラ。おまけにコウモリの如き角ばった翼をも有している。その意思全ては獅子に統一されているらしい。
全身に殺意をまとった姿はとても鳥獣が無視できるものではなく、木々に止まっていた鳥が逃げ出していく。
一方センティルは、巨大な鹿の姿をしたスプリガン。白く煌めく大きな角、背部に生えて青白く光る棘や銀色の輝きが波打つ毛並み。魔物ながらに神々しさを感じてしまうほどに美麗だった。
森の中に住む彼女。いくら木々が姿を隠してくれるとはいえ、その輝きは隠せないのではと不思議に思う。
「相変わらず図体のデカいこった。いい的になってしまうんじゃないか?」
「お前たちが小さすぎるのだ。的どころか、盾でも砦にでもなってやるわ」
ホムートはふんと獅子の鼻を鳴らす。
「まあいい。ギーア、パスロは俺たちと同様……一体で数千数万を超える軍と同じだ。対峙するようなことがあれば、俺にも一枚噛ませろよ」
「一枚じゃなくて三枚だろう。そんな機会があればいいがな」
まさか動乱もいよいよ終結しようという時代にそのような豪傑の存在を聞かされるとは、とギーアは不満を感じずにはいられなかった。
「ふん、人間相手に後れを取るなど許されんぞ。もはやお前はただの魔物などではないのだからな」
「言うまでもない」
目の前のキマイラはギーアに向かったにやりと凶悪な笑みを向ける。胴部の山羊や尻尾の蛇がせせら笑う。
めきめきと足の筋肉が軋む音、石造りの地面に突き立つ爪、ホムートは力強く羽ばたいた。思い切り地面を蹴って猛スピードで飛翔する。空気をえぐるほどの勢いに砂ぼこりが巻き上がった。
「ったく……もう少し静かに飛んでくれよな」
愚痴をこぼすギーアをセンティルの穏やかな眼差しが見下ろした。
「ギーア、コレールという男には気を付けて。何を考えているかわからないわ」
「ああ、わかってるよ。外界にも竜族が残っているはずだし、いずれぶつかる可能性はあるだろうな」
「魔界の瘴気も日々薄れているわ。残りの相手も警戒しているでしょうから、また長い戦いになりそうね」
「安心しろ、どんな勢力とぶつかっても悪い結果にはしないさ」
「だといいのだけれど……」
センティルはぼんやりと遠く見て言う。
一体どれだけの犠牲を払ったことだろう。遠くに見える夕陽の赤い光は時折、無数の魔物が交わる戦火を思い起こさせる。センティルも、自身が住処としていた森が焼けていく姿を忘れているはすなどない。
ギーアは大きく息を吐く。目元には惨禍を語るが如く暗い影がかかっていた。
「どのみち瘴気が失せれば外界からの影響を無視できなくなる。人間が魔族の脅威を思い出す前に社会内部へ侵入し、首根っこを掴む」
「なら、魔界(こっち)の勢力は私とホムートに任せていいわよ」
「そいつは助かる。動きがあれば俺に知らせてくれ」
センティルはギーアの方を見て小さく頷いた。
「分かったわ、また今度会いましょう」
「ああ、またな」
そう言うと、センティルは地面をとんと蹴って飛翔する。空に吸い込まれるように巨体が浮き上がっていく。ホムートの豪快さとは対照的に静寂へと空気を退ける音を打つ。
彼女らの姿が点になっていくのを見届けると、ギーアは踵を返して場内に戻った。
彼らもやはり気が立っているのだろうとギーアは推察する。ホムートとセンティルはただ外界に赴く友人のために送別をしようと来ていたのではない。魔界の半分を治めたところでいきなり外界に行くと言い出した自分の様子を探りに来ていたのだろう。
敵勢力に寝返るだとか、あるいは軍の統制が効かなくなるなんてことはよくある話だった。ここまでやってきて全てが水の泡になることを避けたいという気持ちもわかる。
「ずいぶんと焦っているようだが、何も城まで押しかけることもないだろうに……」
「焦っている?」
沈黙を続けていたメリエルが清廉な眼差しをこちらに向けて口を開いた。
「ああ、ホムートはともかくとして、センティルなら来る前に一報入れてくれるんだが今回はいきなりだったからな。急ぎで確認したかったのかもしれない」
「それは我々の内情にもつれがないか……ということですか?」
「そんなところだ。領地内の魔物たちが戦いに乗り気じゃないって話も最近じゃよく聞くしな。長引かせたくないのも山々、離反なんてもってのほかだ」
「しかし、それはあまりにも心外な話です」
メリエルのこぼした不満も正論であった。
今までの戦争においてヘプタグラムはホムートとセンティルの軍を幾度となく支援してきた功績を有している。というのも、とりわけホムートの軍は魔法を使いこなす部隊が不足していたために、その存在は重宝された。
しかし、自軍の長のもとを離れて友軍を支援するというのも並々ならぬ負担があるはずだ。離反を疑われるいわれもない。
ごもっともな話だと思う。
「まあ、裏切りもよくあることだったが、ここから先は後ろを取られて挟撃されることだけは避けたいんだろう。それは俺たちも同じことだ」
「そうでしょうか……」
軽くフォローしたつもりだったのだが、彼女にはどのように伝わったのだろうか。
メリエルは至って信条に忠実と思う節があった。その身からしてみれば同盟や主君に造反を企てることに浅ましさを感じているのかもしれない。
相変わらず表情の読めない奴だ。
ギーアは自室の前まで来るとメリエルに告げた。
「メリエル、外界に向かう準備を整えておけよ。この後すぐに出発する」
「かしこまりました。すぐに準備いたします」
メリエルは深々と一礼をすると、すたすたと廊下の先へと消えていった。
ギーアは部屋に入るやいなやシャンデリアに向かって指を振り、魔力で明かりをつけた。煌々とした光が部屋の隅まで照らし、暖炉の灯火を殺す。
ガラス戸棚にしまい込んでいたボトルとグラスを取り出して、ほんの少しだけワインを注いだ。そして一気に飲み干して、大きくため息をつく。
気つけになればと思ったのだが、妙な高揚感を拭うことはできなかった。
ギーアの自室は、天蓋つきのダブルベッドを置いてもかなりのスペースが残っている。当然、そのダブルベッドも一人で使っているのだが。
キャビネットの上に置かれた箱を手元に引き寄せると、ギーアに反応して自動的に開錠された。中には十個ほどの指輪と二つの腕輪、さらには彫刻の入れられた赤いペンダントが入っている。
そのすべてがマジックアイテム。
ペンタグラムの一人、ルーンゴーレムであるエルブルスの鋳造によって作成されたものがほとんどだが、赤のペンダントの至ってはギーアのお手製である。その材料は動乱時かにかき集めた戦利品によるもの。
用途は魔法や物理、精神と状態異常などから身を守ることである。特に神聖属性はデーモン種にとっては毒に等しいのだ。一つはマジックビジョンの魔法による偵察を防ぐ効果もある。
ギーアは全ての指輪をつけた。指一本たりとも空くことのない有様はあまりにも不格好に見える。そこに籠手でカモフラージュするのだが、外套やブーツを含めて全て魔力が込められていた。
我ながら過剰防備かと思ったものの、外界にあるものを想像してみれば当然の準備だろう。
「あるいは……足りないかもしれないな」
ギーアはこの先の予想を憂いてぽつりとこぼす。
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