魔物情勢―2
「それよりもお前、外界に出ていくんだってな? どうしてまた急に……」
ホムートは怪訝な様子で聞いてきた。魔界の動乱が終わってようやく落ち着ける時代が来たのにと思っているのだろう。
終始無言のオルドがボトルをどけると、ギーアは真正面に座って対峙する。
「急じゃない。ずっと前から予定していたことだ。お前だって外界に出ていく必要性を理解しているはずだろう?」
「つってもなぁ……」
ホムートは難色を示した。
無理もない話である。大昔から続いてきた魔界の動乱がようやく終息したというのに、人間の溢れる外界に出ていくともなれば理由はどうあれ億劫にもなる。
多くの戦果をあげてきたとはいえ、その犠牲の多さも比例して多くなったのはホムート自身もよく理解している。さらなる犠牲を重ねるとなれば自軍の賛否も別れるのも当然なのだ。
難し気な顔で髪をかくホムート。その姿をまじまじと見つめていると、背後で扉が開く音がした。
「その話、お邪魔してもよろしいかしら?」
優し気で上品な声を持つ女性が、ホムンクルスのメイドに導かれ部屋に入ってきた。
すらりとした体に煌びやかな銀髪が温和な雰囲気を醸し出すその姿は、やはり魔界には似つかわしくない。少しばかりウェーブした長髪のてっぺんには、鹿のように枝分かれをした角が生えていた。
いかにも森の中に佇んでいそうな風貌をしている。服装の露出もずいぶんと多く、森以上の迷宮に迷い込ませてしまいそうな美貌だった。
魔界とはずいぶんと恐ろしい場所だ。
センティル=ナイトはスプリガンと呼ばれる妖精であり、本来の姿は巨大な鹿である。通常の鹿とは少しばかり違い、銀色の毛並み、背部に生えた棘が彼女に神秘性を与えているのだ。
「よう、センティル。いいタイミングで来たじゃねえか」
「そうかしら、だいぶ飲み明かしたようだけれど?」
「こいつが一人でがぶ飲みしてたんだよ。まったく、片付ける側の面倒も考えてくれよ」
ホムートはオルドの方を向くや、口角を吊り上げて豪胆な笑みを見せる。
「おう、悪いな爺さん!」
「いいえ、お構いなく」
オルドはあくまでも丁寧に受け答える。彼の立場上、魔界の重鎮とも言える相手を前に要求を拒むことも恐れ多いはずだ。その上、どうにかして酒の不足分を調達しなければならないのだから、煙たく思っていてもおかしくない。
センティルがギーアの隣の席に腰を落ち着けると、会議が再開した。単なる会合とはいえ、三大勢力の長が一堂に会して軍議の意味も成していた。
魔界の動乱が終わったとは言っても統一には程遠く、火種が消えたわけでもなかった。あくまでも勢力の分母が減ったに過ぎないのだ。
「動乱が終わったところで、魔界が安定するわけじゃない。土地の至る所で猛毒の汚染が残ったままになっている」
「ええ、主にコカトリスの猛毒ね。ただでさえ、被害が大きい上にその猛毒を利用した戦術もとられていたから、やたらと広範囲にね」
「どうにかして中和できないのか?」
「無理だな」
ギーアの疑問はばっさりと切られた。
「あの毒を解消できる薬品はおそらく外界にもないだろう。浄化の魔法をするにもかなり上位の技量が必要になるだろう。とてもじゃないが、そんな暇はないだろう」
「浄化したところで土地が蘇る見込みもないか……」
ふうっと胸にため込んだ息を吐き出す。
土地の汚染問題はやはり深刻だ。安定は個体増加を促進し、さらなる定住地を求めることになる。
「動乱が終結すれば必然的に魔物の個体も増えて、その結果また争いに繋がるってわけか」
「ああ、しかもまだやっかいな勢力が残ってるしな」
ギーアはここぞとばかりに切り出した。
「だからこそ外界に進出するんだ。遠征という名目も兼ねてな」
「でもまだ気を抜けない相手が残っているじゃない。私たちの支配する領域は島の南半分。残りはまだ分裂したままよ。あまりギーアの軍が抜けてしまっても困るのだけれど」
「同感だ。それに北方には竜族の片割れもいるじゃねえか」
ホムートがここにきて初めて険しい顔をした。
魔族と竜族は大昔に大陸で激しい全面戦争を行った間柄である。この土地が瘴気で覆われた後も竜族の残党が猛威を振るい、多くの魔物たちが犠牲になっていた。その竜族がまだ一つの勢力として残存しているとなれば、神経質になってもおかしくない。
その残党の筆頭がコレール=シュライエンという男だ。
「特にコレールとかいう野郎……外界の竜族と繋がっているかもしれねえぞ。いつ総攻撃を仕掛けてきてもおかしくねえ」
「落ち着けよ。もしそうなら、何としても動乱に乗じた攻撃を行ってきているはずだ。下手に刺激するべきじゃないぞ」
「そ、それはそうだが……」
しかし、竜族ともあればすぐにでも飛んで帰ることができるはず。何も好き好んで魔界に残る理由はないだろう。
「どうしたのよ、ホムート。お酒が飲み足りないのかしら? 追加で出してもらう?」
「おいよせ、もうこれ以上は出さんぞ」
センティルの言葉をすかさず叩き切る。しかし、本当に彼女の言う通りなのではないかと思わせるほどに、ホムートの顔には影がかかっていた。一時は竜族の残党との戦闘で多くの犠牲を出した身としては重たい話だったに違いない。
「わかったよ、また今度にするさ」
「今度ってなあ……」
ギーアは大きくため息をついた。
「安心しろ。軍を引き連れていくわけじゃない。俺の精鋭たちを同行させるだけだ。それに、転移の魔法を使えばすぐにでも戻れる」
「それは安心ね。お得意の魔法で女の子をたぶらかして、本来の目的を見失わないか心配だったもの。忘れていたけれどあなたもデーモンの一角……人間の中に溶け込むのはお得意だったわね。」
メリエルに目をやると、彼女は目を伏せたまま小さく頷いた。少しばかり口元がほころんでいるようにも見えたが、微々たる変化だった。
「そこで頷くか」
「はっはっは! 部下のほうがうまいことコントロールしてくれそうだな!」
「おいこら!」
ホムートの高笑いに一喝を入れた。
確かにデーモン種は幻惑の術を得意とする側面が確かにある。動乱の際には低位の魔物たちを操って手駒にするのは常套手段だった。その術でもっていかがわしい方向へ持っていくこともしばしばあるようだが、自分にはそのような趣向はないと思っている。
「まったく、俺がいつ女をたぶらかしたっていうんだ?」
「どうかしら。どこかの誰かはずいぶんとお盛んみたいなのだけれど」
「誰のことだよ、それ」
「パスロ=グルトーヌという男……知ってる?」
「いいや、知らないな」
「面倒な野郎さ。どの勢力にも属していない……それだけならいいんだが、無秩序にコロニーをぶち壊したり、気に入らない奴らは皆殺しにするような危なっかしい奴だそうだ」
「その上、女をたぶらかす……か。わかりやすくていいじゃないか、そういう奴は」
ギーアは不敵に笑った。
むやみやたらに媚びを売るような輩よりかはずっとわかりやすいだろう。金も名誉も要らず、まして情欲に任せた遊びなどしないとのたまう者ほど信用ならない。
欲しいものを欲するままに得ようというパスロの性格には好感が持てた。
センティルはギーアの顔を覗き込み、つられたのかふっと笑った。
「いかにも興味ありって顔ね。これもデーモンの性というやつかしら?」
「欲望に忠実だっていうなら世話ないさ。自分を誤魔化してきれいに着飾ろうとする奴よりよっぽど正直じゃないか」
「欲望に忠実な男に悩まされているんじゃなかったかしら?」
彼女はテーブルに置かれていた空のワインボトルを傾けて言う。
「それもそうだったな」
「いやあ、俺は正直者だからなあ!」
ホムートは胸を膨らませて笑った。しかし、そこからは酒の追加を要求することはなく、不自然なほどにおとなしくなっている。
二人はそれ以上情勢について語ることはなかった。本当の軍議ならば、将軍や副官も交えて殺伐とした会議となるのだが、実に和やかな雰囲気だ。さしずめ、外界へ向かう仲間の送別といったところだろう。
「まあ、細かい話はまた今度にしようか。どうせ外界に定住するってわけでもないからな」
時はすでに夕刻。窓の外は徐々に暗くなっている。
燃えるような光をまとっていた雲が、少しずつ黒く焦げ始めている。森の内部はすでに暗闇に沈んでいる時間帯だ。
動乱が実質的に終了したあとも城の警備は厳重だった。それはこの二人も同じである以上、お互いに城を長く開けるのは控えるべきだろう。
「それもそうね、次に来るときは私も歓迎にあやかりたいわ」
「はい、ぜひともお待ちしております」
「勘弁してくれよ」
ギーアはおもむろに席を立つ。オルドが先だって部屋のドアを開けた。
「外まで見送ろう」
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