はじめての女(大団円)
―鳥越神社裏の御家人の家に押し込み強盗があった。
火盗の重野清十郎が配下を引き連れて急行すると、後ろ手に縛られた主と妻と幼い子供ふたりが、首の後ろを剃刀で切られ、絶命していた。
座敷は血の海で、畳が吸いきれなかった血潮が中廊下まで滲み出し、それを見た重野はひどい吐き気がした。
その家族の血潮でもって、襖に「夢床」と大書してあった。
浮多郎も呼ばれ、死体が片づけられた座敷に上がって、その血文字を見た。
「重野さま。これは、やはり兆次の仕業でしょうか?」
腕組みをして考え込む重野は、ひと言も発しない。
―しばらくすると、こんどは麻布の旗本の屋敷で、一家五人が殺される押し込み強盗があった。
馬で急行した重野が改めると、こちらも後ろ手に縛られ、首の後ろを切られ、出血多量で死んでいた。
・・・襖には、やはり「夢床」の血書が。
重野は、配下五人と浮多郎を引き連れて、浜町河岸の夢床を調べることにした。
障子戸を開けると、土間に腐臭が漂っていた。
下士が、鏡台と髪結いの道具棚をよけ、店の床板を剥がした。
床板を外すと、床下の地面の腐った死体に取りついていたネズミが、いっせいに逃げ出した。
「この床屋の主だろう。おそらく兆次が殺し、なりすましていたのだろうよ」
重野が唸った。
『この夢床で、兆次に月代や髭を剃ってもらっていた客は、今ごろ首を撫でているにちがいない』と、浮多郎は思わず、じぶんの首をさすった。
その時、二階でドスンという音がした。
重野が、用心しながら、階段を登った。・・・浮多郎も続いた。
障子戸を開けると、座敷の真ん中に、髪の毛がからまった女の生首が転がっていた。
・・・窓が開き、熱風が吹き込んでいた。
窓に駆け寄るのを狙いすましたように、手に剃刀をかざした男が、天井裏から飛び降り、重野を襲った。
浮多郎が体当たりを喰らわすと、男は転がりざま、剃刀を横に払った。
頬に痛みが走った。
「兆次!」
重野が脇差を抜刀し、転がる兆次の喉に突き立てた。
「ぎゃあ~」
絶叫する兆次の喉から血が噴出し、重野の袴に降りかかった。
―血に染まった手拭いで頬の傷を押さえ、かろうじて泪橋へ帰ると、驚いた政五郎が、
「お新。・・・浮多郎が大変だ!」
二階で吉原へ出かける支度をしているお新に向かって、叫んだ。
転げるように駆け降りてきたお新は、
「浮さん、後生だから、もうこんな危ない稼業は・・・止めとくれ」
浮多郎の頬横一文字に走った傷の手当てをしながら、お新はぽろぽろと涙をこぼした。
はじめての女~寛政捕物夜話10~ 藤英二 @fujieiji_2020
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