シンクロ ~最高の伴走者~
明弓ヒロ(AKARI hiro)
ON YOUR MARK !
「On your mark」
俺の右腕とサムの左腕とを繋ぐロープが揺れる。
「Set」
俺はスターティングブロックに掛けた右足に力を込める。サムはもちろん左足だ。
―― バン
号砲とともに、スタートラインに並んでいた選手が一斉に飛び出した。俺は右足に力を込めた反動で左足を大きく踏み出す。サムは当然、右足を大きく踏み出す。左足が地面に付くと同時に、俺はスターティングブロックに掛けていた右足を前に踏み出す。サムは言わずもがな、スターティングブロックに掛けていた左足を前に踏み出す。
スタートダッシュは練習通り完璧だ。俺とサムは、まるで一人の人間を鏡に写したかのような完璧にシンクロした走りをみせた。
サムが僅かにレーンの右によった。俺とサムをつなぐロープが伸び、サムの腕に僅かな荷重がかかる。すかさず、サムは軌道修正しレーンの中央に戻った。この一本のロープが、俺の目をサムの目にする。
俺とサム同様、他のレーンを走る選手たちも互いの腕をロープで結び、二人一組でフィールドを疾走する。皆、合わせ鏡を見ているようにシンクロしているが、俺達の完璧さは素人目にもわかるほど郡を抜いている。まさに、
―― スタートラインから30m。
サムのストロークが少し大きくなる、と同時に俺のストロークも。
―― スタートラインから40m。
ぐんぐん加速していく俺たちが頭一つ抜けた。
―― スタートラインから50m。
サムのストロークがさらに大きくなる。と同時に俺のストロークも。
―― スタートラインから60m。
俺たちの独走状態だが、まだ油断はできない。
―― スタートラインから70m。
俺たちを追いかけるよう、イアンとジャンの組がスピードを上げた。
―― スタートラインから80m。
イアンとジャンが、身体一つにせまる。
―― スタートラインから90m。
イアンとジャンが、頭一つにせまる。
―― スタートラインから99m。
イアンとジャンが、俺達と並んだ。
―― スタートラインから100m。
二組が同時にゴールラインを駆け抜けた。
その後も30mほど惰性で走り、俺たちはスピードを緩めた。足を止め、俺が電光掲示板を見つめていると、ジャンもまた不安げな顔で電光掲示板を見上げていた。
そして、着順が表示された。
「勝ったか!?」
息の上がったサムが、緊張した顔で俺に問いかけた。
「残念だったな、サム。TOKYOじゃ、毎日、お前の嫌いなシーフードだ」
俺はサムの肩を抱き、頭をクシャクシャにした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
物心ついた頃から、俺は足が速かった。そして、下手に自転車など置いておいたら、いつ失くなるかわからない、そんな酷い環境で育ったせいもあり、俺は友人たちが自転車を漕ぐのを尻目に、自分の足で走るのが日課だった。
”
俺は全国でも屈指の短距離選手となり、オリンピックへの出場、いや、オリンピックでのメダル獲得も当然視され、否が応でも皆の注目を集めた。だが、それからの転落は早かった。育ちが悪かったせいと言ったら言い訳だろう。単に俺の心が弱かっただけだ。ちやほやされた挙げ句、練習をサボり、
そんな時に出会ったのがサムだった。俺とは違い、裕福な家庭で育った文武両道の優等生。紳士的で誰にでも別け隔てなく接するという、ドラマの主人公のようなやつだ。そして、ドラマの主人公のように神は試練を与えた。
俺と同様、短距離の才能を持っていたサムだが、俺とは違い、ちやほやされても調子に乗ることなど全く無く、ストイックに結果を積み上げていった。そして、国内の代表レースを勝ち抜き、オリンピックのメダル獲得に国中の期待を背負ったとき、両目の視力を失った。
原因は不明。新種のウィルスにより視神経の伝達が妨げられているということまでは判明したが、世界でも稀な症例で治療手段は見つからず、本人以上に国中が絶望に包まれた。
だが、すごいのはここからだ。ドラマの主人公でも、こんなに出来すぎた奴はいないと思うが、サムは、視覚障害者用短距離レースのパラアスリートとして、パラリンピックを目指すと宣言した。
考えても見ろ。全く目が見えない状態で全力疾走するなんて、とても、正気の沙汰じゃない。少しでもバランスを崩したら転倒だ。100mを10秒で走れば時速36km、トップスピードなら時速40km近く出る。そのスピードで転倒したら、車に轢かれるようなもんだ。しかも、一人で走るわけじゃない。まわりにいる選手と接触する可能性も大いにある。
そして、実際にサムは、全力疾走で転倒し大怪我をした。だが、皆が恐怖におののく中、怪我が癒えたら練習を続けると力強く宣言し、病院へと運ばれた。
なぜ、俺がこんな事を知っているかって? それはこの事故が俺の目の前で起きたからだ。俺が冷やかし半分で、見に行った目の前で。その時の感情は言葉にできない。恐怖と感動と羨望と、そして、自分自身の惨めさと。
事故後、サムの練習パートナーは降りた。サムの怪我に責任を感じて。当然、サムは引き止めたが、彼の心を変えることはできなかった。自分の目の前で、サムが傷つく姿を、もう二度と見たくなかったのだろう。
視覚障害者ランナーのパートナーに求められる要求は高い。ランナーと同じスピードで走らなければならない。しかも、ランナーのコースどりや緩急に合わせて、ランナーの目となって走れなければならない。
ただでさえパートナー選びは難しいのに、サム自身が最高のランナーであることが更に条件を厳しくする。サムの走りにシンクロして、100m10秒で走れなければならない。超一流の短距離ランナーが必要だ。そんな選手がいたら自身でオリンピックを目指しているだろう。オリンピック選手並みの実力を持ちながらも、オリンピックを目指さない選手が必要だ。
そんな選手は、この国には一人しかいなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
神は乗り越えられる試練しか与えない、という。だが、いくらなんでも酷すぎる。すでに、神は十分サムに試練を与えた。そして、サムはその試練に耐え抜き、乗り越えた。だったら、これで十分だろう。これ以上、サムに何をしろと言うのだ。何を乗り越えろというのだ。
東京パラリンピックへの出場権を得た俺たちを、一年延期の報せが打ちのめした。サムはオリンピックの出場権を得た直後に、その出場機会を奪われた。そして、今回もまた、パラリンピックの出場権を得た直後に、その出場機会を奪われた。
「中止になったわけじゃない。一年延期になっただけだ。また、来年挑戦すればいい」
サムが笑顔を俺に向ける。
「イアンたちはメキメキと力を付けてきてる。来年も俺たちが勝てるとは限らないじゃないか」
「だから、練習あるのみだ」
感染を防ぐため、今は国中が外出禁止だ。人と会わなきゃいいだけだろうに、屋外での練習も制限されているが、今日は特別に許可が出た。
2020年夏。本当なら大観衆のいるTOKYOで走っていたはずだが、俺たちは今、誰も観客のいない練習場で走ろうとしている。
「さあ、走ろう」
サムと俺の腕がロープで繋がる。今日はスターターはいない。録音された合図で、スタートを切る。
「On your mark」
サムと俺を繋ぐロープが揺れる。
なんだ、お前も悔しいんじゃないか。
「Set」
サムと俺を繋ぐロープが伸びる。
心で泣いても、顔は笑ってか。お前は凄いよ。
―― バン
号砲とともに、二人の体が飛び出す。寸分違わず鏡に移ったような動きは、身体だけでなく、心もシンクロしているようだ。
身体と同じように、俺の心もお前と同じようになれるか。
お前と同じくらい強くなれるか。
お前と同じくらい未来に希望を持てるか。
すでに、身体はシンクロしてる。
だったら、心も同じだ。
俺の心も強くなる。いや、強くなってる。
俺も未来に希望を持つ。
二人の身体と、そして、心がシンクロし、フィールドを駆け抜けた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
神は乗り越えられる試練しか与えない。
2021年、東京パラリンピックは、再び延期となった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「On your mark」
2022年、新国立競技場の短距離トラックに俺はいる。そして、スターティングブロックに右足を掛けた。
「Set」
俺の右隣には、サムがいる。そして、以前と同様、サムはスターティングブロックに左足を掛けた。
だが、以前と違う点が一つある。俺とサムを繋いでいたロープは、すでにない。
世界中が感染症対策の研究に取り組み、世界を震撼させたウィルスは一掃された。そして、その研究過程において、サムの視覚を奪ったウィルスをも。視力を取り戻したサムと俺は、二人でオリンピックを目指した。今度はパートナーではなく、ライバルとして。
おっと、そう言えば、サムの変化した点がもう一つあったな。TOKYOに来てシーフード嫌いが治った。さすがは美食の国、JAPANだ。
―― バン
号砲とともに、スタートラインに並んでいた選手が一斉に飛び出した。俺は右足に力を込めた反動で左足を大きく踏み出す。サムは当然、右足を大きく踏み出す。
だが、シンクロはここまでだ。同じ動きではサムには勝てない。
俺は、足の運びをサムとずらす。先に行かせてもらう。
しかし、心はシンクロしたままだ。きっと、いつまでも。
シンクロ ~最高の伴走者~ 明弓ヒロ(AKARI hiro) @hiro1969
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます