ミントブルーと予言

片瀬智子

第1話

 2019年 夏、姉が死んだ。


 歳の離れた姉の花梨かりんは、世の中の情勢を言い当てる予言者と呼ばれていた。

 社長と呼ばれる人種、芸能人や各界の有名人、政治家の類いまで、みんな口コミで姉の予言を聞きに来た。

 元々はしがない占い師で、占星術で十二星座の運勢をブログに載せてただけなのに。

 九年前、生死をおびやかした大きな交通事故以来、姉はがわかる……そう、えるようになった。


 実際、こういう現象は珍しくないらしい。

 姉の能力に興味を持った超心理学者の先生が言っていた。強すぎるストレスが引き金となって、第三のサードアイが開いたのだと。

 詳しい内容はその場にいなかったからよくわからないが、別に驚くほどのことでもない。誰もが知ってるように私たちの脳はほんの少ししか使われてないわけだし、不思議な話は世界中にごまんとある。

 姉は俗にいう、覚醒したのだ。





 その男は、花梨の死後半年してやってきた。

 2020年、元日。

 

 彼は突然来て、当然のようにこう言った。

「今年、世界はどのような一年になるのでしょうか。先生、教えて下さい」


 

 わかりません。

 姉はもういませんから。……私の声だ。

 この人は花梨の死を知らないのだ。

 確かに姉とは密葬という形でお別れをした。

 予言は辞めたと顧客へ事務的にメールを送っただけで、真実など知らない人間がほとんどだ。こんなところに、予約もなしに直接尋ねてくる人がいるなんて思いもしなかった。


 彼はまだ若いのに高級そうな紺色のスーツ、胸にはバッチ、長身で隙のない物腰をしていた。インテリ風な黒縁の眼鏡に、ピカピカに磨かれた黒い革靴。

 ただ者ではないと、私にさえわかる。

 覚悟を背負った人間はオーラが違う。

「まずは相手をよく観察して、真摯な対応を心掛けなければいけないのよ」と、よく姉は言っていた。私は花梨の振る舞いを真似て言った。


「申し訳ありませんが……姉はもう亡くなりましたので、世相せそうを占うことは出来ません。どうぞお帰り下さい」

 私の言葉に彼はあぜんとするかもしれない、心の奥でそう思いながらおじぎをした。ゆっくりと頭を上げて顔色を伺う。

 だが、思いがけない表情がそこにはあった。

 彼はあぜんとするどころか、落ち着き払ったままで逆に私を驚かせたのだ。


「ええ、存じております。その件につきましては、心よりお悔やみ申し上げます。……ですが、わたくしがお願いしたいのは、妹の可憐かれんさん。先生あなたに占って頂きたいということです」

 

 私が? 占う?

 一瞬、意味がわからなかった。この人は何を言ってるんだろう。

 ちょっとだけ怖くなる。思わず、後退あとずさった。

「私……占いは出来ません。勘違いなさってると思います。どうか、お帰り下さい」


「可憐さん、私の話を少し聞いて頂けませんか。……実は、こういう者です」

 彼は慌てて黒い革のカードケースから名刺を取り出し、いぶかる私に丁寧に差し出した。


『 衆議院議員 小松川こまつがわ○○  

  秘書 高塚大斗たかつかひろと     』


「議員秘書をしております、高塚と申します」


「議員……ひしょ、さん?」


 彼は私から強い視線を外さず、頷いた。

「お姉さんの花梨さんには、議員の小松川共々、大変お世話になっておりました」


 圧が苦しい。そういうことか。

 彼らトップに立つような人たちは占いに頼る人も少なくない。自分の決断した事柄に確信がほしいのだ。背中を押してほしい。

 彼の目をそらすようにして、私は言った。

「何度も言ってますが、姉は亡くなったんです。それに、私に予言の能力はありません」


「ええ。繰り返しますが、お姉様のことは存じております。可憐さん、いいですか。時間がありませんので単刀直入に申し上げます。以前、花梨さんが私に話していました。……私がもし死んだら、妹の可憐のことを頼むと。気づいてないかもしれないが、妹は芯のしっかりした子で能力もちゃんとあると」


 そんな……。

 私に予知のチカラなどこれっぽっちもない。

「そんなの嘘です! 姉と私は全然違うんです。私は人見知りで臆病で……姉とは、ほんとに全然違うんです」

 あの物静かな瞳で世界を見通していた、カリスマ性に満ちた花梨を思った。そして、地味で自信のない自分とをみじめに比べる。


「私は花梨さんが亡くなった今、この世を先導していくのは可憐さん、あなただと思っています。どうか……お願いです。予知の言葉を」

 突然現れた彼の勝手な言動に、私はイラついた。

 私は何者でもない、何にも出来ない普通の女の子だ。コンプレックスだらけ、なんの取り柄もない。


「……いい加減にしてください。あなたは予言が何かわかって言ってますか。予言とは、災害や事件などを予知することなんです。そんなの私には出来ません。確かに私たちはずっと一緒にいて、ずっと姉のことを見ていました。でも……だからこそ、私は姉とは違うってわかるんです。姉は選ばれた人間です。信じられますか。去年姉は、自分が死ぬ歳になったと知ってました。でも予言をして、みんなを励ましながら、最後まで変わらず強く……」


 私は感情が溢れて、胸がつまって言葉が続けられなくなった。

 彼は私を優しく見つめながら、でも鋭く言う。

「花梨さんは去年、自分が死ぬのを知っていたというのですか」

「え、あ、……はい。そうです。だって、あの事故から、九年目だったから」

 彼のまなざしが強くなって、続きを言わないといけない感じになった。


「……人生には周期サイクルがあるらしいんです。もちろんそれだけじゃないですが、姉が言うには大体九年周期でまわっていると。姉は死ぬほどの大きな事故にあってから、去年がちょうど九年目だったんです。だから、きっと……死ぬほどの何かが起こるだろうって言ってました」


「そうですか。花梨さんがそんなことを……。可憐さん、お姉さんは他に何か言ってませんでしたか」

 そんなこと急に言われても思い出せない。

「わかりません……私、ほんとに」

 彼は少し考えるように時間をおいて、こう言った。


「焦らなくて大丈夫です。私は敵ではありません。おそらく……可憐さん、おそらく、お姉さんは何か言い残しましたね」

 真剣な彼の顔を私は見た。

 その時ぼんやりと、お姉ちゃんは彼を好きだったのかもしれないと思った。自然に最後の言葉を思い出す。



『可憐ちゃん、来年、もし、世界を変えようとする人が現れたら、自分の直感を信じて知ってることを話してあげて――』



「あなたはどうして、そんなに予言が聞きたいんですか。自分の上司に世界を征服させるためですか」


 彼の目を見て、私ははっきりと言った。

 自分の直感などわからない。でも、何もかも見逃したくなかった。

 ただの偽善者か。それとももしかしたら、本当に世界を変えようとする救世主なのか。


 彼はふわりと微笑むと、今にも泣きそうな子供に語りかけるように穏やかに言った。

「僕は議員秘書です。秘書の仕事は多岐たきにわたるんですよ。上司に仕えるだけではない。でもまあ、そうですね。今は上司を出世させるために活動しています。……ただ、もしも必要なら、あなたの役に立ちたいと思っています。それは例えば、あなたがいつかこの国の総理大臣になりたければ、僕が全力で動くというほどの意味です」


 一瞬、時が止まる。

「それは、例えば……姉の想いを、一緒に成し遂げてくれるという意味ですか」

 今、私の純粋な気持ちが透明な涙に変わった。

 姉は死ぬその時まで、世界の平和を願っていた。そして、最後に言ったのだ。

『わたしが死んで、可憐が生きていくのは必ず意味があるから』だと。


 彼は深く頷いて、私にミントブルーのハンカチを差し出した。 

 その瞬間、心が決まる。

 私と同じものだ。

 花梨からの最後のプレゼント。姉は自分の死に対して、本気でなげく人間を知っていた。


「今年は……ミントカラーが流行るって知ってますか」

 涙を拭きながら、彼に言う。

「それは予言ですか」

「……いえ、流行色協会が決めたことです」

 やだ、少し笑ってしまった。

 もしかしたら、彼は私を利用したいだけかもしれない。それは今はわからない。でも、姉も信用した人だと思い直した。


「……高塚さん。本当に起こるか、まだわかりません。でも、覚えておいて下さい。今年2020年……これから、未曾有みぞうの災害もしくは感染症などの天災が起こる確率が高いです。かなりの人が亡くなって、世の中が混乱におちいります。……今はそれしか言えません」


「それは予言ですか」

 彼が真顔になって聞いた。


「わかりません。でも姉が言うには、世の中も人生と同じくほぼ九年周期でまわっているそうです。九年前の年に何があったか思い出して下さい。2011年、日本は……東日本大震災と原発事故が起こったんです。だから今年、その規模の天災が起こってもおかしくない……。高塚さん、そんな大きな災害が起こるなんて信じられないって思ってますよね。でも、もし少しでも私のこと信じてくれるんだったら……」 


 なぜか急に怯えて、私はそこで黙った。

 彼が私の言葉を信じて、そして、もしも間違っていたら……怖い。

 だが、彼はあたたかい包容力のある笑顔を見せる。

「あなたを護るために尽くします。先生――」


「そんな、ダメです。やめてください、先生だなんて! 私は予言なんて出来ないんです。本当に普通なんです」

 重責じゅうせきで感情的になる私の肩を、高塚は優しく触れて言った。  

「確かジャンヌ・ダルクも、自ら行動を起こすまではただの女の子だったと記憶してますが」



 2020年 夏、

 世界は急激に生まれ変わろうとしている。


 どんな酷い時代でも、救世主は必ず現れるものだ。

 映像でも、言葉でも、何でも、自分に出来ることでいい。導く愛のメッセージは、きっと誰かの心に届く。

 強い気持ち、揺るがない信念は予言さえ超えるから。



 ジャンヌ・ダルクは言った。

『行動しなさい。そうすれば、神も行動されます』



 信じてみようかな。

 みんなが希望へ向かえば、世界は変わる。

 その時救世主としてこの世を救うのは、もしかしたら私かもしれないし、もちろんこれを読んでいるあなたなのかもしれない。

 

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