第7話 「だけど俺はこうやって生きている」

 少年は首を傾げる。


「悪いことをしたから、空から墜とされたんだ。裏切ったんだよ、仲間を。大切なひとを」


 そうだ。彼は思い出す。あの惑星。短い秋の中。


「もう、今の時間から数えれば、四十年くらい前なんだ」


 少年の両眉が上がる。だがそれは確かだった。刺繍をするサッシャとの話の中、見る新聞記事の中、彼抜きで過ぎていた時間は、確実に存在していた。


「レプリカの反乱を知ってる?」


 ミッシャは首を横に振った。だろうな、と彼は苦笑する。

 サッシャはそれでも多少は知っていた。だが彼女も、歴史の教科書程度のことしか知らない。

 そもそもこの惑星は、レプリカントどころか、メカニクル自体に縁が無い。居住するのに十分な気候を持ち、だがさほどに発展はしていない。むしろそれを拒もうとしている気配すらある。

 おそらく、最初の移民がそういう性質を持っていたのだろう。そしてその子孫達もまた、それをかたくななまでに守っている。

 よそ者も嫌う。時々窓の遠くを行き過ぎる里の者を見るごとに、それは彼の中で確信に変わっていた。極端に、一つの傾向を持った容姿しか、そこには無いのだ。

 彼には黒い髪が異端視されるのも判るような気がした。

 だが歴史の教科書程度のことでも、事実の確認には十分だった。そしてサッシャは結構しっかりと学んだことを覚えていた。

 レプリカント達は彼女が生まれる前に、既に全滅していた。跡形もなく。そして彼女にとって、それは遠い世界での、遠い出来事に過ぎない。


「本当に誰も?」


 彼はその時サッシャに訊ねた。すると彼女は首を傾げ、どうして? と訊問い返した。

 奇妙にその仕草は弟のするものと似通っていた。

 そして彼は思う。どうして、と聞かれても。


「俺はその頃、軍隊で、そのレプリカの反乱を鎮圧する側に居たんだ。少佐だった。俺の世代としては、結構いい昇進もしてたんだ。何故だと思う?」


 そう聞いてから、やや彼はしまった、と思った。聞いたところで、こんな場所では、少年はそれを詳しく説明するすべがないのだ。

 だから彼は、少年がためらっているうちに言葉を進めた。


「俺にはね、とってもいい先輩が居たんだよ」


 ミッシャは大きくうなづいた。


「俺よりずっと明るい色の髪をした、やっはり明るい奴だった。いや明るい、というよりは、明るくする術を知っていたというのかな。知り合ったのは、士官学校の時だった」


 明るい陽の光。ピアノの音が、記憶の中に流れる。


「何でも上手くこなす奴だった。訓練も、学科も、それ以外のことも……だから俺には縁の無い奴だと思っていた。歳も上だったし……」


 だけど、偶然が、起こった。


「きっかけは、祭りだったんだ。俺が弾けたピアノがきっかけで、奴と俺は知り合って、それからずっと、つきあいが続いていた。士官学校を卒業して、任地へ行った時も、色んな作戦の時も」


 少年はじっと聞き続けている。


「その頃はまだ、俺の居た軍は、今みたいに様々な惑星に攻撃を仕掛けるようなことはなかった。あくまで、あの軍は、成り行きで戦争に参加していただけだったんだ」


 そう。彼は自分の記憶にうなづく。あの時までは。


「そのまま、戦争が終わるまで、その惑星で同じ日々を繰り返すだけだと思っていた。それで構わないと思っていた。俺はその先輩…… その時にはもう友人だったな。奴のおかげで、上手い立ち回りや、上手い生き残り方を覚えた。何とかついていける程度の才能はあったみたいだね。俺は奴と同じくらいには昇官できたよ。だから俺は結構その中では幸運だったんだと思うよ。そう思っていたんだ。だけど」


 だけど? と問い返すように、少年は首を傾げた。


「だけど、そうじゃなかった」


 青い瞳が、ややまぶしげに細められた。大気が、絡み付く。彼はふと腕に軽い寒気を覚えた。


「俺は、そう思いこもうとしていたんだ。自分は満足している、自分は幸運だ、それがいいんだ、それしかないんだから、と」


 だけど、違っていた。


「君も知っているんだろう? 俺の生まれた惑星を」


 少年はほんのわずか、ためらったが、細めた瞳のまま、ゆっくりとうなづいた。


「だけど俺だって好きでそこに生まれついた訳じゃない…… 無論それは繰り言にすぎないんだけど…… だけど、この戦争の最中、俺達の種族は、最高の兵士と言われた。確かにそうだよ。だけど、それは俺達が望んでそうなった訳ではない。あの惑星で、生きるために、そうなっていっただけなのに、他の惑星の連中は、それをまるで特別なことのように言う。うらやむ。だけどそれが何だっていうんだ?」


 言葉の最後の方は、殆ど聞こえないくらいのつぶやきとなっていた。


「俺達は俺達で、同じ惑星の上でも、そこに住み着き、生まれた世代で、能力も、社会の中心に行くことも制限される。俺はそれでもいいところまで行ったのかもしれないけれど、そこまでだ。少佐なんていい方だ。これ以上どれだけ善戦したところで、中佐がいいところだ。大佐にはなれやしない。それに、俺は軍人にはなりたくはなかった」


 なりたかったのは。


「……だから俺は、あの時、ピアノの伴奏を頼まれたら、断ることができなかった」


 音楽? と少年は小さな手で彼の手のひらに書き付けた。


「そう。音楽。俺はどんな小さな役目でもいい。母星で音楽をやっていたかった。だけどそれは許されなかったんだ。それは俺達の世代ではもう、義務だった。好きなことで生きていくなんてことは、許されなかった。……それは、確かに、生きていくことにも精一杯な奴には、きっとはり倒したくなるような考えかもしれないけど……」


 あの人懐っこい目の、レプリカントは。


「それでも、俺は息苦しかった。士官学校でも、軍に入ってからも…… 奴と一緒に居る時間以外は」


 友達? と少年は書き付ける。


「そう。最初は先輩だった。だけど、もうずっと、友達だった時間の方が長いんだ。長かった。奴と一緒に居る時間だけは、俺は自分の憂鬱に取りつかれることもなかった。錯覚かもしれないけれど、何もかも忘れられるような気がしていた。……でも錯覚だった」


 そう。錯覚だった。


「俺にそれを教えてくれたのは、その時の上官だった。新しくやってきた司令だった。俺達の惑星では、最も高い地位を占める世代のひとだった。そのひとは未来が見えた。そういう能力を持っていたんだ」


 嘘、と少年はつづった。嘘じゃないよ、と彼は答えた。


「そういう世代なんだ。そのひとは俺に、その未来の記憶を見せた。俺はそんな記憶を抱えているあのひとに、何でもしたいと思った。俺の姿が、その未来の中にあったから、俺はそのひとのために、自分の役割を果たそうとしたんだ。……そして俺はそのために、奴をも裏切った」


 少年は目を大きく広げた。


「レプリカの反乱に、手を貸した。あのひとの命令だった。俺は、奴を含めた自分の軍を、裏切ったんだ。捕らわれて、情報を流した。レプリカ側に優勢になるように。確かにそれは役に立った。それがなかったら、もっと長く生きていられる筈の連中が、たくさん死んだ」


 少年の息を呑む音が、妙に彼の耳に大きく聞こえた。


「……そしてあのひとは、俺の追撃のために、奴をかり出した」


 少年は、大きく首を横に振りながら、彼の右の袖を掴んだ。


「脱出するレプリカ達の船を見ながら、俺達は、剣を合わせたんだ。奴も本気だったし、俺も本気だった。ここで殺されてもいい、と本気で思っていた。そいつに殺されるなら、本望だと思っていた。実際、俺が、普通の惑星の生まれだったら、確実に死んでいるんだ」


 少年の瞳が、目の前にあった。どうしたんだろう。やけに哀しそうな顔をして。


「だけど俺は」


 こうやって、生きている。時間を、空間を、越えて。

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