第5話 「見れば判るじゃない。だから服を燃したのよ」

「そう、いつもだよ」

 

 訝しげな顔をする彼を見て、どう思ったのだろうか、彼女は肉付きの良い腕をむき出しに組むと、言葉を続ける。 


「物好きだね。何処の誰とも知らない男を拾っては、世話してやっては、そいつが出ていくまで置いてやってる」

「黒髪…… なんですか」


 あたりさわりの無い発音を選んで、彼は問いかける。


「黒髪だね。よそ者って丸判りじゃないか。あんただってそうだろ。何処のもんか知らないが、黒髪黒目なんて、そう居るもんじゃない。縁起でもない」


 そう言えば、目の前のこの女もまた、薄い色合いだった。

 サッシャよりは濃いが、金色の髪に、薄い緑色の目。この惑星の最初の移民が、そういう人種だったのだろうか。

 さすがにそこまで、彼は聞いてはいなかった。目を伏せて、まだかごに残っていた草を取り上げては積み上げる。


「そう長居するもんじゃないよ。あの子に少しでも済まないと思うのなら」


 彼は顔を上げた。そして彼女をじっと見据えた。

 中年女は、一瞬たじろいだ。そういう視線に慣れていないのか、頬を赤らめる。その様子を目にしながら、何故、と彼は短く訊ねた。


「だ、だってそうじゃないか。ただでさえあの子は、両親を亡くして、弟一人を抱えて一生懸命なんだよ。だけどあの変なくせのせいで、里じゅうから妙な目で見られているんだ」


 彼は眉を軽く寄せた。


「あ、いや…… あんたが悪いという訳じゃないよ。だけど」

「ええ、なるべく早く、ですね」


 そうだよ、と言うとそそくさと彼女はそこから立ち去った。


 奇妙なくせ、か。


 彼は女の言ったことを思い返す。確かに妙なくせだ。更にサッシャの思惑が判らなくなっていた。無論ただ親切であるから、とも考えられる。そう考える方が無難と言えば無難だ。


 だが。


 気配を感じて、彼はふっと振り向いた。

 庭の柵に絡んだつる状の草が揺れていた。少しばかり位置をずらしてみると、ミッシャの姿が見えた。

 少年は、入ろうかどうか、迷っているように見えた。おかしな子だな、と彼は思う。自分の家なのに。


「どうしたの? おいで」


 彼はミッシャに呼びかけた。

 少年は、少しばかり辺りを確かめるように見渡すと、彼のそばに寄ってきた。

 だが、その姿を見て彼は少年がためらっていた理由が飲み込めた。

 昨日手当したはずの、腕のファースト・エイドが取れていた。一度くっつきかけた傷が、また開いて生々しく、じくじくと湿り気を帯びている。

 自分ではがすとは思いにくい。ひどく痛そうだ。


「誰かにやられたのかい?」


 少年はうつむく。小柄な身体が、ひどく頼りない。

 サッシャの話では、もう十三にはなるということだが、とても十を越えているようには見えない。

 彼はミッシャを柵に座らせると、また少し砂ぼこりで汚れかけている服を軽くはたいた。

 いじめられているのだろうか、と彼は思った。

 だが訊ねたところで、この声を失った少年は答えようとしない。

 姉と何処となく似た、大きな青い目は、ぼんやりと空を眺めているだけだった。金色の巻き毛を、軽い風が揺らせていく。


 俺のせいだろうか。


 先ほどの中年女の言葉が浮かび上がる。


  

「あなたのせいじゃあないわよ」


 サッシャは間髪入れずに答えた。


「あなたであろうがなかろうが、あたしは道に落ちてたひとなら拾うわよ」

「だって君、それじゃ危険じゃないか?」

「あら、あなた危険なの?」


 彼はぐっと言葉に詰まった。その様子を見て、彼女はあははは、と声を立てて笑った。


「ま、ね。危険だと思ったら、ミッシャが嫌がるわよ。あなたが落ちてた時には、あの子が何も嫌がらなかったから」


 ああ、と彼はうなづいた。

 日中ずっとあれから何やかやと動いていたせいか、回復したての身体は夜更けには気だるい。

 昼間も特にすることが無かったから彼女に仕事を与えてもらったのだが、夜になると、更にすることはない。

 夕飯までは、ミッシャにつき合って、この地方の新聞を読んでいたりもしたのだが、更に夜も更けて、子供が眠ってしまう時間になると、もうすることが無い。

 子供と同じように眠ってしまえばいいのかもしれないが、何となく身体は気だるいくせに、目はさえていた。

 彼女は、と言えば、祭壇の横に置いてあった布を持ち出しては、ややくすんだ白の糸で、刺繍を続けていた。


 何の図案だろう。


 彼はサッシャがきゅっきゅっ、と音でもしそうな程に強く刺し、糸を引っ張るその動きを見ながら、何気なく考えた。

 専用の輪に通した幅広の大きな布は、その全体図を彼には容易に見せようとはしない。

 やがてその視線に気付いたのだろうか、それまで顔も上げずに彼の言葉に返していた彼女は、手を止めた。


「何じろじろ見てんのよ」

「いや、何の模様かなあと思って……」

「内緒。ここいらでは、できあがるまでの刺繍を見ようとするのは失礼にあたるのよ?」


 彼女はやや歌うように答えた。地の布の色は、黒だった。

 彼の見える範囲では、縁どりは既に完成しているようだった。

 緑色の、光沢のある糸で、やや細長い葉を組み合わせたような模様が連なっている。それが何連にもなっている図は、なかなか豪華なものだった。

 奥のほうには、その緑の中に、時折赤い点が見える。実の様なものだろうか。彼女は何やらその真ん中で、白い、だけどただ白だけではなく、白の中にも色合いの差があるような、微妙なものを一針一針縫い込んでいた。

 糸箱にはとりどりの色があったが、さすがに多いのは白の種類であり、その横に、ずいぶん使われてしまったような、同じような青のバリエーションが並んでいた。


「でもあなたは知らないのよね」

「君は、何処まで知ってるんだ?」

「って? あなたが何処の人かってこと?」


 彼はああ、とうなづいた。彼女は顔を上げた。


「見れば判るじゃない。だから服を燃したのよ」

「だから、どうしてそれで」

「それはあたしの勝手でしょ。あなたの知る筋合いじゃあないわ。そういうこと聞くなら、もう何にも答えてあげない」


 そう言って彼女は、ばさ、と布を一度大きくはためかせた。

 その瞬間彼の目には、ふっ、と何か人の姿のようなものが見えたような気がした。


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