第12話 「あなたが一番その中では綺麗さんだったわ。さよならサンドリヨン」
「何でここの木々が倒れているのか、あなた判る?」
サッシャはこぬか雨のふりしきる中、くるりと彼の方を向いた。青い瞳が、じっと彼を見据えている。こんな天気の中でも、変わらぬ色で。
同じ瞳の少年は、この間と同じように、倒れた木の上に座ると、空を見上げている。だが、この間とは違い、その瞳の先に何をじっと見つめているように彼には思えた。
何なんだろう。
「判らないよ……」
サッシャの問いかけに彼は答えを言いかける。確かに草も生えない、この場所は変だった。
入り込むと迷う「林」。森ではないのだ。何故「林」で迷う必要があるのか?
だがだからと言って、それが何故か、なんて想像もできない。
いや、一つだけある。彼女が、自分に、問うのだから。
「十年前の、絨毯爆撃?」
「そうよ」
答えは彼女の口からするりと飛び出した。
「その時に、一機の爆撃機が、ここに落ちたの。この辺りだけが急激な熱変化でやられたのよ」
「だけど周りは」
「その後すぐに、別の一機がやってきて、消したのよ。それは、消火剤だけ蒔くと、すぐにまた別の目標へ向かって行ったのだけど」
嫌な予感が、彼の中に広がり始めていた。それは、サッシャと言葉を交わした最初から、自分の中にうっすらと浮かんでいたものだった。
「君たちは、その時、ここに居た……?」
「そうよ。うちの辺りも爆撃機がぽろぽろと爆弾を落としていくから、あたしはこの子を背負って走ったのよ」
まだ十歳かそこらの少女が、三つの弟を背負って走る。サイレンの鳴る中、時には身を伏せて。汗まみれになって。時にはすり傷を作ったりして。そんな光景が、彼の中によぎった。
「さすがにこんなところまで爆弾を落とすとは思わなかったのよ。だけど、その代わり、飛行機が降ってきたわ。そして、その中のひとも」
「パイロットは……」
生きていたのか、という答えを彼は飲み込んだ。
「そうよ、生きていたわ。多少のケガなら、すぐに治るのがあなた達でしょ?」
「好きでそう生まれついた訳じゃない」
「そりゃあそうよ。だけど、そんな台詞は、あたしの前で言って欲しくはないわ!」
サッシャの声は、彼の胸に鋭く突き刺さった。
「皆、生きたかったのよ。あたしの両親も含めてね」
「……」
「でもそこに居る兵士一人一人を恨んだって仕方ないわ。皆生きたいんだもの。立場が違っただけよ。だけど、皆、生きたいからそうやって何とかしているのよ。どんな卑怯なことしたって、生き延びたいから、生きてくことを選んだから、そうしているのよ。今どんなに苦しくても、もしかしたら、明日は、少しでも変わるかもしれない、と思ってるのよ。ううん、思わなくちゃ、やっていけないのよ!」
彼は凍り付いたように、その場に立ちすくんだ。
「そのパイロットは、あたし達を見つけたわ。そして自分が何をしているのか、その時やっと気付いたようね。階級は、大佐だったわ。名乗ったのよ。タニエル大佐だって。自分たちにセカンドネームは無いって。脅えるあたし達に近づくと、身につけていたバゲッジの中から携帯食料をくれたわ。ずいぶんと甘かった。あのひとだって、ずいぶんと疲れていたのに」
サッシャは堰を切ったように話す。ミッシャは空を見上げたまま、じっと動かなかった。
「そのまま、あたし達は一緒に野宿をしたわ。動いたら危険だ、とあのひとは言ったのよ。おかしなものよね。実際その時は、だまして殺されると思っていたわ。だけどお腹は空いていたし、夜は寒かったから、一緒に居たのよ。ミッシャに上着を掛けてくれたわ。何ってお人好し」
奇妙にその口調が楽しそうなのに、彼はふと気付いた。
「だけど翌日、あのひとの上官が、やってきたのよ。連れ戻しに来たのよ」
「聞いてもいいか? サッシャ」
「どうぞ」
「その上官、というのは、君があのタペストリに描いていた天使か? 黒い髪の」
「見たのね」
彼女は唇に薄い笑いを浮かべた。
「見られたら願い事がかなわなくなるって言ったじゃない」
「どうなんだ」
彼は重ねて問う。彼女は大きくうなづいた。そうよ、とその口は動いた。
「綺麗な人だったわ。その上官は。あのひとはその人を『総司令』と呼んでいたわ。かなり偉い人のようだった。その人は、あたし達を始末するように、と大佐に命じたわ」
彼は息を呑む。あなたという人は。
「まあ当然よね。大佐が乗っていたのは新型の小型機だった。子供と言っても見られたのなら容赦はしないんでしょ。当然よね。戦争なんだから。それがそうゆう人の仕事なんだから。ところがあのひとはどこまでも大馬鹿だった」
「そのタニエル大佐が」
「そうよ」
彼女はにっこりと微笑む。水滴が、金色の髪から落ちる。
「あたしはずっと待っていたのよ」
少年は、空を見続けている。
「大佐は、どういう訳か、あたし達をかばったわ。殺したくない、ってその総司令に食い下がった。そしたら総司令ってひとは、彼に言ったわ。その子供は使えるのか、って。あの綺麗な顔で」
彼には予想がつく。ああそうだ、あのひとなら言いかねないだろう。長い黒い髪、変わることのない、あの凍り付いたような表情で、きっと。
「何っていうかと思った。大佐はあたし達の方を見て、答えを探したわ。だけどなかなか見つからなかった。そりゃあそうでしょう。こんな田舎の惑星の子供二人に何ができて?」
「だけど、君達は生きてきた……」
「そうよ。生きてきたわ。できることなどないかもしれない、だけど、って大佐は食い下がったのよ。……そしたら総司令ってひとは、大佐に言ったわ。アンテナならよかろう、と」
「アンテナ」
「最初は何のことだか判らなかったのよ。だけど、そのうちに、ミッシャが喋れなくなったことに気付いたわ。そしてあの子が奇妙なくらいに、あちこちを見て歩くようになったこと。この林が迷路のようになったこと」
「まさかそれは……」
かつて自分達の軍は、同胞を互いにアンテナ代わりにしていた。
それはアンジェラスの人間の持つ特殊な能力のせいだった。普通の人間では……
だがあの人ならありうる、と彼は確信する。
あの、遠い未来を知っているひとは。
「総司令というひとは、何が起こったか判らないこの子に、アンジェラスの軍の、この地における『目』の役割をさせたのよ。そしてあたしにも」
「君にも?」
「十年以内に、自分達の軍の人間が落ちてくるだろうから、それが空へ帰るまで、かくまってやってほしい、と。あたしは一も二もなくうなづいたわ」
「それじゃ、君は、俺が落ちてくるのは、知っていたんだな」
「そうよ」
息が止まるか、と彼は思った。ここにもまた、あの時と同じように、網が張られていたのか。時間と空間を越えて。
「落ちていた兵士を拾ってきたのは……」
「さすがにどれが天使種かなんて判らないじゃない。だから手当たり次第にそうしなくちゃならなかったわ。……まだ小さくて人の世話になってる時には、納屋でかくまったりもしたわ」
そこまでして、と彼は思う。
「きょうだいでやって行けるようになってからは、も少し楽になったけど……そんなことをしているうちに、里の中では、あたしに関して、結構な噂が立つようになったわ」
あの隣の中年女が、眉をひそめたような。
「でもあなたが一番その中では綺麗さんだったわ」
「だからサンドリヨンと?」
ふらり、と彼女は首をかしげる。
「見つけたなら、もう居るのは限られた時間にしかならないわ。十二時の鐘が鳴るのはもうじきよ。でも確信はなかった。何たって、あのひと達は、落ちてくる同胞が、どんな姿なのか一言も言わなかった。ただタニエル大佐も司令というひとも、髪は黒かった。目も黒かった。だから、落ちてた男、特に黒髪黒目のひとは、大事にしたのよ」
「じゃ君が、タペストリを作っていたのは」
「そうよ」
彼女は大きくうなづいた。
「その時を、忘れちゃいけない、と思ったのよ。その後がどうなったっていい。何とかして、やっていく。だけど、確かに、あの時あたし達は、あの大佐がかばってくれなかったら、確実に死んでいたわ。あの司令というひとが怖かった。怖かったから、余計に、忘れてはならない、と思ったのよ」
ああ、と彼はうなづいた。確かに。
「それで、君の願いはかなったの? 天使種の俺は、君達に助けられた。君達の役目は終わる。君は会いたいひとに会えるの?」
「会えるわ」
彼女は満面に笑みを浮かべた。
「ラジオが伝えてくれたわ。あのひとがやってくる」
ふとぴくん、とミッシャの顔が動いた。それまでも空に視線を向けてはいたが、その方向が、変わった。
「来るの?」
姉の問いに、少年はうなづいた。サイレンの音に混じって、低い、地を這うような音が遠くに聞こえる。この音は。
「……爆撃機?」
次第に近づいてくる音。やがてそのヴォリュームはサイレンの音を追い越した。遠くで、何かが爆発した音が聞こえる。彼女は弟を引き寄せる。
「……何故……」
「こうなるのが判っていたって聞きたい?」
確かにそうだった。彼はそれを聞きたかった。
「……君の言うことは矛盾してる」
「矛盾してないわ」
彼女はきっぱりと言う。
「里の他の人が死ぬのはいいのか?」
「いいとは思っていないわよ」
首を横に振る。だが目は座っていた。
「だけどそれは、彼等の問題だわ。あたし達はあたし達で生きるためにそうしてきたのよ。そして彼等は彼等で、そういうあたし達に不審をもっていたわ」
「ミッシャがいじめられていたというのは」
「子供は敏感よね」
そう言いつつも、姉は弟の肩をぎゅっと抱きしめている。
「だけどサンド、ミッシャはアンジェラスの軍に『つながって』いるわ。ずっと。命じられたことをしなかったら、死んでいたわ。裏切った瞬間、この子がこの里の人間に口を開いた瞬間、この子は殺される。『目』であるのが生きてく条件だったのよ」
皆生きるためにだったら、何でもするのだ、と。彼は彼女のその言葉の中の強い意識に思わず立ちくらみがした。
「だからあたしはずっと待っていたわ。あなたが来るのを、その瞬間をね」
「だけど解放されるとは限らないだろう」
「そんなこと」
彼女は言い放つ。
「その時が来なくては判らないわ」
頭上に、飛行機の音が、近づいてくる。爆発の音がそれに絡む。なのに、彼の目には、サッシャもミッシャもひどく冷静に見えた。
「さよならサンドリヨン」
サッシャの口が、そう動いた、気がした。
彼女の背後の木々が、低い音とともに、巻き起こる風に、ざっと揺れた。彼女の金色の髪が、大きく舞い上がった。
ばりばりと、光が、目の前に落ちてくる……
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