Rosybrown

遥飛蓮助

Rosybrown

 あれから幾年過ぎたことでしょう。昔は国同士だけでなく、地方同士の領地争いも激しかったように思います。

 この地域でいえば、カペル家とヘルゲン家の争いが有名でしょうか。

 カペル家の領主が雇った傭兵団は、それはそれはどうしようもない荒くれ者達だったそうで……被害はお互いの領地の作物や家畜、領民が汗水流して整備した水路にまで及んだと聞いております。

 それで、ヘルゲン家の領主――ライナルト・アンドレアス・ヘルゲン様が「これ以上、お互いの領地と領民を危険に晒すことはできない」と仰って、領主間の話し合いに持ち込んだとか。

 表向きは二年ほどで終戦したことになっておりますが、話し合いは十年にも渡って根気強く行われたそうですよ?

 冷戦状態を維持するほどの手腕の持ち主――という意味では、名君と呼ばれるほどの聡明なお方だったと存じております。領民が厚い信頼を寄せるのも無理はございませんねぇ。

 ライナルト様ご自身、先の戦争で妹君を亡くしたこともあってか、領民の気持ちに寄り添う努力をなさっていたそうですから……。

 魔女が薔薇屋敷に住み着いたのもその頃でしょうか。

 覚えておりますか? 領民からの報せを聞いて、御自ら魔女退治に――いえ。覚えていないのであれば、それで良いのです。

 では、薔薇屋敷のことは覚えておりますか? ライナルト様のおじい様にあたるディーデリヒ・ハンス・ヘルゲン様が、晩年を過ごしたとされるお屋敷のことでございます。

 はい。ディーデリヒ様がこよなく愛した薔薇の庭園がございました。薔薇の季節になると、ご家族とお茶会を開いたり、他の貴族の方を招いてのパーティーを催していたと聞いております。

 亡くなった後はずっと放置されていたらしく、茨が建物を覆うように重なって……そうですね。茨で出来たお屋敷を想像していただければよいかと。

 ですが、茨だけで覆われたお屋敷など、はたして存在するのでしょうか? 領民も同じ疑問を抱いたそうです。

 それで、仲間を連れて様子を見に行ったところ、黒いローブを纏った者を発見したとか……。

 当時は魔女狩りの名残で、『黒いローブは不吉の証、魔女の証』と言われておりましたし。魔女が茨を操って、お屋敷をおぞましい姿に変えたと思っても不思議ではございませんね。

 さすがのライナルト様も、自ら治める領地に魔女が住み着いたと聞くや、すぐに魔女退治に向かうと勇んだそうですよ。それもお一人で。

 ええ。相手が人間ならまだしも、まじないで人を惑わす魔女と対峙するなど、言語道断でございます。旦那様の身になにが起きたらと、その時の護衛や召使いは気が気でなかったそうです。

 私の想像なのですが……すぐにご自身で魔女の元に向かおうとお決めになったのは、領民のためを思っての話し合いにかまけ、実際は領民に何もしていないのではないか、という自責の念からきた行動ではないでしょうか?

 貴方様も、その時のことを覚えては……いえ、お気になさらないでください。

 ライナルト様は、周りの説得を押し切って――護衛を数人連れていくことを条件に――魔女の元を訪ねたそうです。

 同行した護衛の一人によると、お屋敷は本当に禍々しい姿で地に根ざしていて、本当に茨で出来たお屋敷ではないかと錯覚したそうです。

 無理もありませんねぇ。建物だけならまだしも、門からお屋敷までの道を除く全てが茨で覆われていたのですから。

 その上、枯れていたはずの薔薇たちも咲いていて、噎せるほどの香りが屋敷全体を包んでいたとか……。

 これは間違いなく魔女の仕業だ。各々驚きながらも、状況は火を見るより明らかでした。

 ――魔女ですか? ええ、現れましたよ。ちょうど探し始めた時でございます。

「これはこれは領主様。ご足労いただき、誠にありがとうございます」

 魔女は屋敷の玄関前におりました。黒いローブを纏った姿はまさに魔女。フードを目深に被り、乾いた唇から老婆のような嗄れた声を出したそうです。

 他に、背丈が幼い少女くらいだったこと。枯れた薔薇色の長髪がローブの隙間から溢れ出ていて、縮れたように傷んでいたことが印象に残っているそうです。

 それにしてもこの口ぶり。まるで領民の報せを自身の便り代わりにして、ライナルト様をお呼びになったような……横行ではなく、敢えて恭しい態度を取ることで、相手を自分のペースに巻き込もうとしたのでしょうかねぇ。

「お前だな。この屋敷に住み着いたという魔女は」

 魔女の言葉に惑うライナルト様ではございません。整然と跳ね除ける声が、護衛たちの身を固くしました。

「はい。私めにございます」

「単刀直入に聞く。お前の目的はなんだ?」

「まぁまぁ急かさずとも。ライナルト様のご活躍や勇姿は伺っております。領地のため、領民のためにご尽力なさり、会談の場が敵領地内であろうと、相手と肩を並べる強固な姿勢には感服致します」

「世辞を並べるだけなら誰でもできる」

「おや、お気を悪くなさいましたかな?」

 一触即発、と申しましょうか。護衛たちは飄々といなす魔女と、凛とした表情で切り捨てるライナルト様の様子を、固唾を飲んで見守っていたそうです。

 見守っていたというよりは、二人のペースに圧倒されて尻込みしてしまった、というのが正しいかもしれませんがねぇ。ふふふ。

 その護衛たちの活躍はというと、残念なことに、そこから記憶がぷっつり切れてしまったそうで。気が付くと、屋敷から随分離れた場所で倒れていたそうです。

 護衛全員が、ですよ? まったく、なんのための護衛だったのやら……。

 おや、私が愚痴っぽくなるのは不自然ですねぇ。大変失礼致しました。

 ここまでが、私の見聞きしたお話でございます。お楽しみいただけましたら幸いでございます。

 続きは――どこかの吟遊詩人が脚色して、酒場や村の片隅で弾き語ることでしょう。

 そうですねぇ。私としては、ライナルト様が魔女を見事に討ち取るお話になれば良いかと思っております。 

 薔薇の香りにあてられ、次々と気を失う護衛たち。なんとか意識を保っていたライナルト様は、魔女が繰り出すまじないの数々に挑み、最後には魔女を打ち倒して、めでたしめでたし。

 魔女が護衛たちを操り、ライナルト様に戦いを挑むくだりもあると、子供たちが喜びそうなお話になりそうですねぇ。

 半分は作り話でも、貴方様は『聡明で勇敢な領主』、私は『領主に討たれる魔女』として後世に名前が残るのですから、これほど喜ばしいことはありません。

 ええ。とても、とても喜ばしいことですねぇ。

 ……のちに作り話になるであれば、貴方様にはきちんとお伝えしなければいけませんね。護衛たちが倒れた後、本当は何が起きたのか。 

 ああ、目は閉じたままで。呼吸をするだけで精一杯なのは承知しておりますので、もう少しだけ、お耳をお貸しください。

 ――護衛たちが気を失った原因は、私の育てた薔薇の香りでございます。

 催眠効果と記憶の忘却効果を合わせましたので、太い茨で屋敷の外へ運ぶ際、多少乱暴に扱っても、護衛の皆様が目を覚ますことはありませんでした。

「……彼らに何をした?」

 ライナルト様は言葉に怒りを滲ませながら、あくまでも冷静に問いかけました。

「いえなに、少しだけおやすみいただいたのですよ。護衛の皆様は無口な方ばかりとお見受けしましたが、貴方様とのお話を邪魔されたくありませんので、念のために」

「お前に話すことなどない」

 言うや否や、ライナルト様は一瞬で魔女の間合いに入りました。半円を描くように煌めく剣をいつ引き抜いたのか。略装であれど、贅を尽くした装飾品と防具を纏ったお姿でいつ駆け出したのか。

 例えるならば、目もくらむような稲光。地面を蹴る音が聞こえたかどうかも定かではございません。魔女は瞬きする間もなく、ライナルト様の侵入を許してしまいました。

「今ここで、お前を討つ!」

 半円を描いた剣が翻り、横一線を描くように魔女の首へ迫ります。ライナルト様の鋭い眼光が、フードの下の魔女の顔を射抜きます。

 不意をつかれた魔女でしたが、相手から距離を詰めてくれたことが好都合でした。

「そう急かさずとも、私はここにおりますよ?」

 魔女が乾いた唇で笑みを作ると、周辺の景色が一変しました。茨に覆われた薔薇屋敷も、周辺の木々も全て、枯れた草木と崩れた建物の瓦礫が散乱した荒地に変貌したのです。

 ライナルト様の剣は魔女を仕留め損ね、虚しく空を切りました。景色が一変すると同時に、魔女の姿も消えたのです。

「なるほど、これが魔女のまじないか」

 景色が変わってもなお冷静に振る舞うお姿。落ち着き払った様子を見て、魔女は安堵しました。

 ライナルト様は、魔女の言葉に惑わされない。「私にまじないは通用しないぞ」という風に切り捨ててくださるお方だと確信しました。

 だから魔女は、被っていたフードを取り、再びライナルト様の前に現れたのです。先の戦争で亡くなった妹君――ローゼルディア・ヘルゲン様の顔で。

 二人が立っていた荒地は、ローゼ様が亡くなった戦場の景色だったのです。

「お兄さま」

 まじないの気配を殺し、魔女はローゼ様の顔で兄君に呼びかけました。

 乾いた唇を引き攣らせて作った、ぎこちない笑顔。かつて母君と同じだった薔薇色の髪。兄君と似た瞳の色。小鳥のように愛らしかった声。覆ることのない死。

 目の前にいるのは魔女ではなく妹君だと、肯定する理由がどこにありますでしょうか。なかったはずです。なかったはずなのです。

 それなのに、ライナルト様は……目を見開いて剣を取り落とすばかりか、魔女の小さい体を抱きしめたのです。

「ローゼ……ローゼ! やはり生きていたのだな!」

 魔女の期待は、あっさりと裏切られました。

 ライナルト様は、妹君の顔をした魔女を、なんの疑問もなく、本当の妹君として受け入れたのでございます。

 再会を喜ぶ声とは反対に、魔女は自分の顔が青ざめていくが手に取るように分かりました。まさか、無意識にまじないを掛けてしまったのではと、疑うほどの歓喜ぶりだったからです。

「お兄さま……?」

 魔女はライナルト様のお名前を呼ぶのを堪え、腕の中から兄君の顔を見上げました。

「嗚呼、ローゼ……」

 ライナルト様は魔女に微笑みました。先ほどの冷静さや聡明さは露ほども残っておりませんでしたが、妹との再会を喜ぶ兄の表情とは異なる気配を感じました。

 まじないの気配ではありません。特に瞳が、夢と現実の間を揺蕩うような……夢心地と申しますか、茫然自失と申しますか。

 恍惚――そう、恍惚の色を浮かべていたのでございます。

 一体どうしたというのでしょうか。魔女はもう何がなにやら分からなくなり、恐怖で体が震え始めました。

「ローゼ……」

 ライナルト様は妹君の名前を囁くと、魔女の乾いた唇に自身の唇を宛てがい、舌で唇のささくれをなぞりました。

 その瞬間、魔女の体が大きく震え、瞳から次々と涙が零れました。ライナルト様と同じ歓喜からでも、嫌悪からでもない、絶望の涙でした。

 ライナルト様は、まじないで狂ったわけではございません。ライナルト様ご自身の中にあった禁忌が、『妹と同じ顔をした魔女』をきっかけにして、解放されたのでございます。

 幼少期を共に過ごし、戦争で行き別れ、領主となった今でも、亡くなった妹君を愛していたという禁忌を。

 そればかりか、ライナルト様は魔女の『本当の姿』ではなく、『妹と同じ顔をした魔女』の見かけしか捉えていないという事実が、魔女を絶望のどん底に叩き落としたのです。

「お兄さま……」

 魔女は唇を薄く開け、ライナルト様の舌を招きながら、自分自身を責めました。

 なぜあの日、自分は死ななかったのだろう。どうして生きたいと願ってしまったのだろう。 戦火を逃れてしまったばっかりに、通りすがりの魔女に縋ったりしなければ。寿命を引き替えに、生きたいと願っていなければ。

 絡み合う舌の間から唾液が溢れ、互いの喉奥へ流し込んでも、唇が離れないように、ライナルト様の背中に腕を回してしがみついても、魔女の涙は止まりませんでした。

 ひと目見るだけでよかったのに、どうしてお会いしたい気持ちが抑えられなかったのだろう。死んだ時の姿で会うことなど――ましてや魔女として会うことなど、叶わないと知っていたのに。

 ライナルト様に、「お前は妹じゃない! お前は魔女だ!」と言ってほしかった。言ってくれれば、諦めがついたのに。

 魔女としてでもいいから、一度だけ「お兄さま」とお呼びできたら、それで良かったのに……。

 妹君と同じ顔の魔女に出会ってしまったライナルト様と、ライナルト様の妹君と同じ顔をした魔女。魔女の『本当の姿』を見ることが出来ないまま恍惚の人となった兄と、『本当の姿』を見てもらうことが叶わなかった妹。

 二人の関係は幸福だったのでしょうか。それとも不幸だったのでしょうか。

 魔女は、また何もか分からなくなりました。いえ、「もうどうでもいいこと」と言った方がいいでしょうか。

 そうですね。はい。もうどうでもいいのです。恋人同士として密やかに愛し合うのではなく、兄と妹として、この薔薇屋敷で語らっていた日々は……。

 ――さて。これ以上、兵士の皆様をお待たせしてはいけませんねぇ。

 貴方様の最期を見届けながら、最期の語らいが出来て、大変嬉しゅうございました。

 それでは……おやすみなさいませ、ライナルト様。

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