スライム⑬

 小さな個室。そこでアツシは再び執筆に勤しんでいた。まだ、森林内の生物調査……という名目上、スライムの生態について五日間調査した後、帰還したばかりである。


 扉が優しくノックされる。相手はジュリアであった。


「アツシさん! お茶をお持ちしました。少し休憩でもいかがですか? もうずっとこもりっぱなしでしょう?」

「ああ、ありがとうジュリアちゃん。そうだね……少し休憩しよう」


 ジュリアは二つの茶碗に紅茶を注ぐ。ジュリア自身も休憩する気満々の様子だった。


 森の中での五日間の調査は、名目上とはいえ実際に森の中の生態系をより詳しく知る、大変意味のある調査となった。森林の生態ピラミッドのより詳細な概要が分かってきたのである。


 まず、目的であったスライムは分解者で間違いない、というのが、アツシとカランポー博士の結論であった。スライムはあの後、子鹿を分解し終えると糞を排出した。それをカランポー博士が持ち帰り分析を試みたところ、面白いことが分かった。ただの排便ではなく、今回の例では子鹿の血液や体液が交ざりこんだ、極めて土に近い肥沃な糞だったのだ。


 森の中で、草食動物が肉食動物に捕食される。その後に遺る死骸は基本的に腐肉食を行う生物や虫が処理する。この森においては、腐肉食を行う肉食性の動物や虫のほか、スライムもその立ち位置にいるのだ。


 そしてそのスライムもまた、捕食される側にある。調査中に狼に捕食されているスライムが目撃された。極めて重要な瞬間であった。クラゲがウミガメやサメに食べられるのと同じなのだろう、というのがアツシの考察である。クラゲ自身に栄養素はほとんどなく、スライムも例外ではないと思われる。では何故捕食されるのか。


 スライムを捕食していた狼がやせ細っていたことにヒントがある。おそらく長く狩りに失敗していたのだろう。何か食べなければ飢えて死んでしまう。そんなとき、猫ほどの大きさがありながら鈍足なスライムは、一時しのぎとはいえ空腹感を抑えるには十分すぎるのだ。しかも体のほとんどの成分が水であるため、水飲み場が近くにない時の簡易的な水分補給も可能にしているのだろう。


 そうして元気を取り戻した狼は、今度こそ草食動物への狩りを成功させる。そして生まれた死骸を多くのスライムが分解する。見事な生態系である。


 手足の小さな刺胞も面白いことが分かった。毒などなかったのだ。クラゲとスライムに分岐する際の名残であり、スライム自身がここから毒を注入するわけではない。もちろん世の中には毒を持った種のスライムがいないとは言い切れないが、少なくとも森の中で棲息している観察対象のスライム種は間違いなく毒を持っていない。


 実はクラゲには大きく二種類に分けられる。刺胞動物とよばれるものと、有櫛ゆうし動物とよばれるものだ。刺胞動物に属する場合は、刺胞から毒を注入するが、有櫛動物は膠胞こうほうと呼ばれる粘着性のある細胞を使い、餌を捕らえるために用いている。


 以上のことからスライムは、外見の食性は刺胞動物としてのクラゲの特徴を備えながら、触手部分に関しては別の有櫛動物としてのクラゲの特徴を兼ね備えた、陸上での生活に特化した分解者、と結論付けられた。


「でも、これが本当にシースライムと同じご先祖様を持つとしたら、地上で生活するのが不便だと思うんですけれど……」

「それはどうして?」

「だって、身体のほとんどが水分なんでしょう? 日に当たったら干からびてしまうのでは?」

「あー。これはまだ予想の範疇なんだけれど、スライムの厚い膜がヒントなんじゃないかと思っているんだ」

「膜?」

「破けにくく伸縮性があって、水を多く溜めやすい。割れにくい水風船に近いんだと思う。生物として重要な器官部分が熱にやられないよう冷やしつつ、厚い膜で防御し、脱水も回避する。そう考えると辻褄は一応合う……けど」

「けど?」

「解剖しないと詳しいことはやっぱり分からないよ……。今はとりあえず、観察によって得た情報を基に、ある程度の予想も踏まえつつ生態について書くしかないかな……」


 今現在は隠れて行わなければいけないほど、魔物と呼ばれる種の調査研究はタブー視されている点が、ここにきて最大の敵となった。観察以上の情報は得られなかったのだ。


 だが、こうした調査を何度も続けて、世間的にも認知され、生物として解剖し、更なる調査が進めば……。この世界の人々が魔物を恐れなくなる日も近づくのではないだろうか。


 アツシはそんな期待を込めながら、スライムに関する図鑑ページの作成を進めるのだった。



~魔物図鑑 スライムの項目~


■スライム

 ■スライム目スライム科スライム属


  シースライム(ここではクラゲを全てシースライムと呼称する)でいう『刺胞動物』と『有櫛動物』の両方の特徴を備えた特異的な性質を持つ。全長はおよそ五〇センチメートルと思われ、これは成猫の大きさとほぼ変わらない。


  触手は粘着性のある膠胞と極めて近いものであり、毒性はない。これにより地面を這うように進み、また餌となる生物の死骸から可食部分とそうでない部分を選別していると考えられる(要観察)。


  身体の膜はシースライムよりも厚く、中に溜まっている液体は全てただの水である。これは陸上での生活に特化するためと考えられ、防御膜として使用するほか、貯水を行うことで器官の冷却と脱水の防止を行っていると考えられる。


  生態系においては分解者の立ち位置であり、生物の死骸に覆いかぶさるように乗っかり食事を行う。伝承における人間の溶解は、スライムの棲息圏にて不慮の死を遂げた人間を、分解者としての立場から処理する際、先述の捕食方法や生物の死骸から必ず出てきてしまう血液や体液などから誤解されたものと考えられ、スライム自身に溶解能力は一切備わっていない。


  よって生きている人を襲うことはほぼないと思われるが、仮に襲撃に値する状況下に見舞われたとしても大量の水を有するためか鈍足であり、容易に逃走できるほか狩ることも簡単である。




 それからグレースの計らいによって、生態部分はともかく、人を襲撃しないという項目に関しては国を守るうえでも、そして国民の魔物に対する自衛のためでも有義であるとして、皇女としての立場から広まることとなった。

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異世界動物記 スパロウ @sparrow_akira0704

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