スライム⑫

 生物が死ぬとどうなるか。それは時間の経過とともに、生物という形を崩しながら、やがて土へと還っていく。

 死後、その腐肉にハエやシデムシがたかる。ハエは卵を産み、シデムシは腐肉を食らう。二日もすれば今度はカラスがやってきて、死骸をつつき食むだろう。三日もすればハエはもっと増え、四日目あたりから腹が膨れ始める。内臓が腐り、ガスが充満するからだ。

 そうして五日目にはハエの幼虫である蛆虫が湧き、この蛆虫を食べる為に再びカラスがやって来る。六日もすると、泡に囲まれた蛆が次々と移動して死骸を覆う。死骸の皮が分解され、筋肉組織や骨がむき出しになった七日目以降、雑食性の獣が臭いを聞きつけやってくる。そうしたサイクルを経て、二か月もすれば、死骸はその場からきれいさっぱりと無くなってしまうのだ。


 アツシとグレースの見つけた子鹿の死骸には、奇妙な現象が見られた。どうやら死骸は既に腐り始めている様子で、ガスが充満しているのか腹も膨れているし、毛も抜け始めている。ここまで来ているなら、ハエが卵を産み、幾日で蛆虫が孵っているはずなのだ。それがどうだろう。この子鹿には蛆虫が一匹も存在しなかったのだ。


「グレースさん、今『溶けてない』って言いましたよね?」

「え? あ、ああ、言ったが……」

「何故溶けたと?」

「何故って……。それが当然だからだ。生物も魔物も、死ねば溶ける」


 アツシは、グレースの『死体が溶ける』という表現が面白く感じた。死骸の分解プロセスを端的に表すなら、確かに『溶ける』と言った方が伝わりやすいかもしれない。


「その通りです。普通死ぬと、ハエがしたいに卵を産んで蛆が湧き、腐肉を分解して跡形もなくなくなるんです」

「ハエ? ウジ?」

「死体の周りによく虫が飛んでませんか? あれがハエです」

「そういえばいつも飛んでいる気が……。じゃああの、白く蠢いているのがウジというやつなのか? 奇妙な魔物だとばかり……」

「この死骸の分解は行われて当然の出来事なんですけど……。見てください、スライムに覆われた子鹿には、蛆虫が湧いていないどころかハエすら周りに飛んでいないんです」

「フム。それが、このスライムとどう関係が?」


 グレースにそう聞かれ、アツシは優しく微笑みながら言った。


「スライムが、蛆虫と同じ役割を果たしているだと思います」

「……? なあアツシ、自分だけで納得してないで、もう少しちゃんと説明を……」

「あ、ごめんなさい! ついワクワクしちゃって。その、まず。蛆虫が死体の分解に大きくかかわっているのは分かってもらえましたよね?」

「ウム。ハエの産んだウジが、死体を溶かすんだな」

「溶かす……と言われれば、そうかもしれません。グレースさん、それで『溶かす』と自分で言ってみてなんだか近い存在を思い浮かべられませんか?」

「……スライムが死体を溶かす……?」

「王国での実験で、スライムの身体の体液には溶解性が無いことが解りました。でも、今こうして現に子鹿はまるで溶けるように分解されています。そこから推測できるのは、ひとつです」


 アツシがそこまで言い切ったところで、グレースもハッとした。そうして再び、子鹿の死骸に群がるスライムに目線を向ける。


「スライムは、既に死んだ生物の身体を分解していた『だけ』……?」

「僕が元いた世界では、こうした有機物を分解する生物のことを、そのまま『分解者』と呼んでいました。スライムはまさに、この分解者の役割を果たす生物……なんだと思うんです」

「では、スライムが人を襲い溶かすのではなく……。もしや、何らかの魔物に襲われたか、あるいは事故で死んだ人間の遺体に覆いかぶさって、分解していただけ……?」

「僕は蛆虫がどの程度の速度で死体を分解するかは見たことがありません。でも、見たことが無くてもこのスライムの分解速度は早い方だと思います。もしかして、この森では人間のみならず、他の生物も死にやすい環境だったりするんじゃないんですか?」

「その通りだ。お前と初めて会った時にも少し話したと思うが、この森にはそもそも魔物が数多く生息している。魔物に襲われて死ぬ人間や生物も多いし、魔物同士の争いで自滅する魔物だっている」

「そうした環境下で、スライムは分解者としての役割を全うしている。これまでグレースさんたちは、そのスライム本来の働きを勘違いしていただけかもしれません」


 理には適っているが、グレースは腑に落ちずにいた。すべてアツシの憶測であるからだ。言われてみればそんな気がする。でも、そうだという確証はない。アツシの言う通り、スライムはアツシの元の世界で言うクラゲのような存在で、陸上ではハエやウジといった分解者の役割を果たす。そんな都合の良い話があるのだろうか。


「面白い話だが、死体に被さった条件でのみ、スライムの体液が物を溶かす成分になるとは考えられないか?」

「なら触ってみればいいだけですよ」


 そういってアツシは警戒心も無くスライムの身体に触れる。思わず「馬鹿者!」とグレースが叫んだが、スライムは逃げようともせず、アツシの右手はスライムの身体にずぶずぶと入っていっていった。そして一、二分。アツシの手に変化は何一つみられなかった。


「お、お前。そんな危険なことよく平気で……」

「危ないと思ったら、すぐに手を抜くつもりでしたから大丈夫です。でも、やってみないと、本当かどうかは、やっぱりわからないじゃないですか。そして、やってみて、分かりました。スライムは分解者です」


 子猫ほどの大きさのスライムから右手を抜き、子鹿の死骸を分解するスライムを優しく見ながら、アツシは続けていった。


「そしてこのスライムたちは、この森になくてはならない存在ですよ」

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