スライム⑪
彼らは森にいた。王宮直属のカランポー研究班のチームは、森に生息している生物調査という名目で、テントを張り五日間の遠征を行っていた。リーダーカランポーの他、護衛担当として第三皇女であるグレース、そして特別研究員としてアツシが、カランポーたちの助手として特別にジュリアが参加しており、普段の顔ぶれを除けばカランポーの部下である他の研究員が合わせて六名、合計十名でこのチームは構成されていた。
もっとも彼らの本来の目的はスライムの生態調査である。これは六名の研究員には告げられておらず、アツシたちが秘密裏に行っていることだった。
「カランポー博士、この森に生息している生物というのは具体的にどのくらいいるのだ」
「多様な生物が生息していて、その全容を把握するのは、まあ不可能でしょう。広く一般的に知られている生物で言えば、タヌキやシカ……、リスに小型の鳥類。フクロウもいるでしょうか。もちろん他にもいますし、ムシや魚類にまで視野を広げれば途方もありません」
「ふむ……」
「我々は今回、その研究の一環としてシカに目を向けている……という体で調査を進めます」
「シカ、ですか。それはその、なんで……?」
話を聞いていたアツシが、横から割って入る。彼もあくまで特別研究員として参加している身である以上、何らかの形で調査に協力しようとしているのだった。カランポーがスライム調査のカムフラージュ候補としてシカを選んだのにはわけがあるのではないか、とアツシは考えたのだった。
「実は、スライムが目撃された地点では、同時にシカも多く目撃されているんです。もしアツシさんの言う通り、スライムが一生物としての機能を備えているのであれば、スライムとシカの間に何らかのつながりがあると私は考えているんです」
「シカが多く……」
「まあその場合、いずれもシカは死骸の状態で発見される。弱肉強食の世界、スライムがシカを捕食しているのではないか、というのが我々騎士団としての見解だ」
「実際にスライムがシカを襲う場面に遭遇したことはありますか?」
「……考えた見たら見たことはないな……。だが、捕食は事実だ。それは私やカランポーも見ているし……」
「それに、この本にも事細かに記されてますよアツシさん!」
ジュリアがなにやら重そうな本を開きながらアツシに見せに来た。それは執筆者のイラスト付きで掲載されていた、スライムが哺乳生物にまとわりつき、溶かす様子を記した内容だった。
スライムはその前身でシカを覆うようにし、じわじわと溶かしていった。そして後には、鹿の骨しか残っていなかった。概ねそのような内容の出来事を、筆者の経験談と事細やかな進行状況を踏まえて二ページにわたり記されたその内容は、信憑性の高い内容であった。
調査を開始して間もなく、研究員の一人がカランポーに焦った声で駆け寄ってきた。
「カランポー主任! すすす、スライムです!」
「む……場所は?」
「むこう二百メートル先です!」
研究員の指さす方角は、森のさらに奥、入ってきた場所とは正反対の場所だった。
「私が行こう。アツシもきてくれ。カランポーさんと研究員の皆さんはここで待機していてください。ジュリア、お前もここにいるんだ、いいね」
「は、はい仰せの通りに!」
「……グレース様、お気をつけて」
「……ああ」
アツシとグレースは二人一組でスライムの出現エリアに向かった。
二百メートル先の開けた場所に、スライムは確かにいた。スライムは合計で三匹。猫ほどの大きさを持つスライムは、自分よりも大きい、とはいえまだ子供だったのであろう子鹿の上に覆いかぶさっていた。半透明な胴体から見える子鹿の姿は肉や骨部分が露出しており、生命力が高ければまだ辛うじて生きているかもしれない、ほぼ事切れているに近い姿であった。
「……アツシ、あれを見て、スライムがあの子鹿を溶かした、とはやはり考えられないか?」
「……近づいてみないとわかりません」
「ち、近づく!? さすがにそれは危険だ、許可することは出来な――」
アツシはグレースの忠告を無視し、ゆっくりスライムの元へと近づいて行った。土を踏む音が、グレースの元から一歩ずつ遠ざかっていく。
「お、おい! アツシ戻れ!」グレースが声を絞って叫ぶように言うが、アツシは額から汗をかきながらその足を止めようとしなかった。
遂にアツシが、手を伸ばせば確実にスライムに手が届く位置にまで近づいた。焦りと若干の怒りが感情に入り混じったグレースが、左側に収めた剣の柄を持ち、万が一に備え急いで駆け寄る。と同時に、アツシはスライムの体を触ろうと手を伸ばし始めた。
「アツシ! 勝手な行動は慎め! 危険だと出会った時から何度も言っていただろ!」
「……」
「……アツシ?」
グレースが追い付き、ほぼ臨戦状態に入りながらアツシに問いかけるが、それをアツシは無視した。これは、グレースとアツシが出会ってから初めてのことだった。自分が無視されたことにムッとしながらも、グレースは再びアツシに問いかけた。
「おいアツシ、聞いてるか!」
「……グレースさん、みてください」
「……子鹿が……溶けて、ない?」
アツシの手は既にスライムの胴体に触れた状態だった。しかしアツシのみに変化はない。それどころか、透けて見える子鹿の死骸は、どうみてもスライムに溶かされている様子ではなかった。もっと言えば肉や骨が露出している傷口部分は、もっと別の肉小動物によってつけられた跡のようにも思えた。
そしてその子鹿は奇妙な現象が起こっていることに二人は気づいた。子鹿は既に腹が膨れた状態で毛も抜け落ち始めていた。にも関わらず、蛆が一匹も湧いていなかったのである。
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