新月の夜に逢いましょう

 新月の夜を迎えたのは、次の街までもう一息という頃だった。

 湿原にある湖畔で、月のない闇夜の中に湖が黒く静かに広がっていた。

 いつもなら水場付近に馬車を停車したら、小さなターシャが水に落ちたりしないように目を光らせる。けれど恐らく今夜は、そういう事故は起こらないだろう。

「こんな綺麗な場所で王子様と再会というのも、悪くないわ」

 明かりも持たずに車外に出たターシャが呟いた。

「月が出ていないんじゃ、景色を眺めようもないでしょう」

 手に掲げたランプでターシャの足元を照らして、レオナルドは言った。

「星は綺麗よ」

 言いながらすたすたと馬車から離れるターシャを、レオナルドのランプがゆらゆらと追いかける。

「ねえ、私の足元ばかりでなく、あなたの顔を照らしてよ」

 レオナルドがランプを顔の近くまで持ち上げた。闇に尾を引く光は、まるで人魂か何かの魔法のようだった。明かりに照らされたレオナルドを見つめ、ターシャは微笑む。


「お久しぶりね、王子様」


「ずっと一緒にいたでしょう」

 王子様。

 そう呼ばれて、レオナルドも笑い返した。

 笑みを浮かべる顔に深い皴は無く。

 真っ白だった髪は柔らかな茶色で。

 老いて重くなったはずの瞼はすっきりとして、大きな瞳はランプの光に輝いた。

「お若い姿ではひと月ぶりよ。相変わらずいい男ね、レオ」

 レオナルドが下げようとしたランプを、ターシャが受け取った。普段はどんなに目いっぱい手を伸ばしても、ターシャの指先はレオナルドの胸程度までしか届かない。

「あなたこそ。相変わらずお綺麗ですよ、ターシャ様」

「前の街で買った新しい服を着たのよ。似合うでしょう」

 ターシャはスカートの長い長い裾を翻してくるりと回った。

 普段は荷の中で眠っている大人物の服が、すらりとした長い手足を包む。

 風に遊ばれる長い髪は混じりけのない黒で、幼い子ほどの繊細さはないがその分しっかりとして、強く存在を主張した。


 レオナルドは何十歳と若い姿で。

 ターシャは二十年ほど成長した姿で。


 王子様と魔女は新月の夜に再会する。


 ターシャは正真正銘の魔女だった。

 幼い姿でいるときはそのことを忘れているが、新月の夜にだけ若い姿に戻るレオナルドの事は覚えていた。そして幼いターシャは、その時だけ逢瀬を果たすことのできる彼を『王子様』のような存在だと認識しているのだった。


「私が小さい間、なんども助けてくれてありがとう」

「普段のあなたは普通の子どもとおんなじですからね。それなのに連中は噂を嗅ぎ付けては襲ってくる」

 ターシャは実際、狙われるだけの魔力をその身に秘めていた。大掛かりな魔法を仕掛けるだけの魔力を。

 その一つが『若返りの魔法』だ。

 若返りを成就させる力の効能は、風の噂に任せるままずいぶんと色々変化したようだけど。

 不死とは言わないまでも、若返りを果たせば老いによる寿命は先延ばしになるし。病にも強くなるし。

 若い方が魔力は強まりやすいし、美容も保ちやすいし、異性も寄ってきやすいだろうし。精力だって増すだろう。


「だけどレオ、私の事なんて放っておいたらいいんじゃないかしら。私が何者かに襲われて本当に魔力を奪われでもしたら、あなたもずっと若い姿でいられるかもしれないのに」

「寂しいことを言わないでください。あなたの身に危険が及んだり、ましてや失うようなことがあるくらいなら。老いても、あなたが子どもでも、一緒にいられる方がずっと幸福だ」

「ずいぶんと甘いことを言ってくれるのね。そういうところ、本当に王子様みたいよ」

「甘いも何も、自分で選んだ道ですから。あなたが若くありたいと願うなら、私は犠牲になったってかまわない」

 どこまでも優しく、真剣なレオナルドの瞳。ターシャが目を伏せる。

 

 まだ二人が、一つの村に定住していた頃のこと。

 小さな村だったけれど、魔女に対する迫害もなかったし、信奉する者もいた。

 レオナルドも、魔女であるターシャに興味を持った一人だった。

 魔法を使えないレオナルドだったが、それでもターシャと交流を持ち、女一人ではままならないことを手伝いながら、従者のようについて回った。 


「……私、自分が才能豊かな魔女だと思っていたけれど。どうしようもなくポンコツ魔女だったみたい。大失敗よ、こんなの」 

 ターシャが唇を噛む。

 ある時、ターシャは言った。

 自分の方がレオナルドより老いていることが許せないと。

 ターシャの方が、レオナルドより十歳は年を取っていた。

 年齢など関係ないと。老いてもあなたは美しいと、幾度となく言葉にしたけれど。

 ターシャは若返りの魔法を使った。

 それは、他者から若さを奪うやり方だった。

 レオナルドは己の若さを魔女に捧げた。魔女は老いてなお美しかったが、レオナルドがどう思うかよりも大切にしたいものが、女としてターシャにあるのだろうと考えて。

「レオから若さをいただくのは、抵抗あったけれど。うまく均衡をとって、私たちがちょうどいい年齢で釣り合う様に魔法をかけたつもりだったのよ。それなのに」

 ターシャは失敗した。

 ターシャは極端に若くなり、レオナルドは極端に年をとってしまった。

 しかも、幼女でいる間は魔法も使えず、魔女としての記憶すら失われる。

 ターシャがかけた若返りの魔法が著しく弱まる新月の夜にしか、本来の姿で逢うことができなくなった。

「あなたは年を重ねても美しいと、私は何度も言ったのに。まあ、最後には私も若返りを許したのですから、もう起きたことは仕方ないでしょう」

「そう言って、レオは謝らせてもくれないんだから」

 若返りをきっかけに、旅をすることになった。

『魔女が若返りの魔法を成功させたらしい』という噂に追い立てられるように村を出て。その強力な魔力を求めて、無力になったターシャを狙う者から逃げるように、旅を続ける。

 どこかにこの呪いのような魔法を解く方法がないかも探すつもりだと、ターシャは加えた。

 苦労はするけれど、謝ってもらうこともないとレオナルドは思っている。

「小さなターシャ様も可愛らしいですよ」

 そう言って、目元に笑い皴を寄せて笑えば。

「老いたあなたも素敵よ、レオ」

 魔女ターシャも美しく笑った。


 新月の夜にだけ、王子様と魔女は逢瀬を果たす。


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