王子様
「ご無事で何よりです、ターシャ様」
「怖かった、怖かったよう」
縋りついて泣くターシャを、レオナルドは背をさすりながら宥める。ターシャを労わる水気のない手は、それでも大きく力強い。
「あなたも悪いんですよ。私の言いつけを破って、森になんか入るから」
「だって、うさぎさんが」
しゃくりあげながら、ターシャは答えた。
「うさぎ?」
「うさぎさんがね、森の中を跳ねていたのよ。だから私、抱っこしてなでなでしたかったの。本当は、レオナルドを呼ぼうと思ったのよ。だけど、一人でうさぎさんをつかまえたらね。いきなりレオナルドにうさぎさんを見せてあげたらね。きっとびっくりして、喜んでくれるだろうなと思ったの」
泣きながらも、ターシャの口はよく回った。弁明に費やされる言葉は、それでも従者への愛情に満ちている。
「そうでしたか」
表情を緩めて、レオナルドはターシャの頭を撫でた。
「そういうことがあったら、今度から必ず私を呼んでくださいね。二人で一緒に、うさぎさんと遊びましょう」
「猟銃積んどいて、何ほざいてやがんだ!」
ターシャとレオナルド、二人の間に暖かな空気が流れていたのを打ち破るように、男が叫んだ。縄で縛られ地面に転がされた男の位置からも、幌を開け放った馬車の荷台がよく見える。
「ええ、私は狩りもします。うさぎ肉も好きですよ。うさぎ肉のシチュー、おいしいですから」
「人間は他の生き物を食べて生きてるんだから、それを知らんぷりするのはいけないって、レオナルドが言ってたわ。でも私がうさぎさんや鳥さんを、良い子良い子ってするのは、それはそれでいいんですって!」
レオナルドは優しいのよ!
そう言って、威張るようにターシャは胸をそらした。
「でも、レオナルドが悪い人に『おしおき』するのは知らんぷりしててって言うの。レオナルドは私のために戦ってくれたのに、それっていいのかしら」
ターシャは細い首を傾げた。小鳥のような愛らしい仕草。
「それはちょっと、ターシャ様がご覧になるには早いですからね。あなたはまだまだ、純粋で素直でいるべきお年頃です」
「はっ!笑わせてくれる」
間髪入れず言い放った男に、レオナルドは冷たい視線を向けた。
「その小娘は魔女だろう!それで純粋だ素直だなどと、笑わせてくれる」
魔女呼ばわりされたターシャは、目をぱちぱちとさせる。
「あなたは『魔女』の、どんな噂を聞いてきたのです?」
レオナルドの問いに、足元から男が答えた。
「その魔女の魔力を得れば、不死の力を得ると言うだろう!」
真剣そのものの男の言葉に、レオナルドは息を吐いた。
魔女ターシャの魔力は、いわく、不死の力を得るという。
いわく、病をたちどころに治す。
いわく、魔力が増幅する。
美貌を手に入れられる。
異性の心を手に入れられる。
回春剤になる。
ターシャを強力な魔力を持つ魔女だと信じてやまない者たちは、彼女の魔力にあらゆる効能を見出しているようだ。
故に、ターシャは度々、その魔力を手に入れんとする者の襲撃を受けたし、そのたびにレオナルドが老いた体に鞭打って魔手を撃退しているのである。
「そんなこと言われても、私、魔女じゃないもの。魔法すら使えないわ」
困ったように首を傾ける。ターシャは両手を広げて前に突き出した。
「お花畑になれ!」
「残念ですが、ターシャ様。あなたは魔法を使うことなどできませんよ」
「空を飛べ!」
「残念ながら」
手をかざした道は轍の跡が残るだけで草すら生えなかったし、空は高いままだった。
「ね、できないでしょう」
望みを絶たれたと思ったのか、ただの茶番を見せられてると思ったのか、男は何とも言えない顔をする。
「ところで。ターシャ様に強力な魔力があるとして、いったいどんな手段を使ってそれを手に入れるつもりだったんでしょうねえ」
つま先で男の顎下をつつきながらレオナルドは問う。本当ならこのまま顎を割ってやりたいとこだが、ターシャの手前こらえていた。
こらえていたが。
「ターシャ様、馬車に乗ってお休みください。幌はしっかり閉じてくださいね」
「はあい。早く済ませて帰ってきてね」
ターシャが馬車に乗り込んだのを見計らって、レオナルドは男を森に引きずっていく。魔法で抵抗されたら厄介だが、他人の魔力をあてに襲撃してくるような輩は大体、縛られでもすれば抵抗できなくなるような小物なので大丈夫だろう。
「離せジジイ!」
「ジジイだと思って油断したから、こうして引きずられてるんでしょうに」
老いはレオナルドに簡単に体力の限界を突きつけるし、すぐに体を重くする。剣捌きもずいぶんと遅くなった。
それでも心も剣筋も、若い自分を忘れない。
「魔女や魔法使いから無理やり魔力を奪う方法って、色々あるらしいですね。儀式をするとか、薬を使うとか。血を飲んだり肉を食べたり、淫らなことをしたりとなかなかエグいやり方もあるそうで」
ターシャを待たせているので、あまり深くまでは行けない。それでもできる限りで森の入り口から離して、適当なところで男を乱暴に放り出す。
「で、お前どの方法でターシャ様に手ぇだそうとしたの?」
答えが聞けるよりも前に、レオナルドは男の顎を思いっきり蹴り上げた。
「おかえりなさあい、レオナルド」
ターシャから満面の笑みで迎えられて、レオナルドも笑顔で返した。
「ただいま戻りました」
「すぐ出発する?」
「そうですね。怖い思いもしましたし、さっさと先へ行きましょうか」
「あの人、どうなったの?」
「森の中で開放しましたよ。一応、簡単には追って来られないように『おしおき』しましたから、もう心配ないでしょう」
足の骨を折っておいたので、とは言わないでおく。息の根を止めなかっただけありがたいと思ってほしい。縛られたら何もできないような小物でも、さすがに野垂れ死にの危機が迫ったら、回復魔法でも何でも使って生き延びるだろう。多分。
「さあ、出発しましょう」
手袋をぎゅっとはめなおす。馬の手綱をぴしりと鳴らして、レオナルドとターシャは旅路を行く。
代り映えのしない景色の中を長時間馬車に揺られていると、幼いターシャには退屈な道中となる。暇になってくると、ターシャは必ずあることをレオナルドに尋ねた。
「ねえレオナルド。次の新月の夜はいつ?」
もはや口癖のようになったターシャの問いに、レオナルドはのんびりと答える。
「確か十五、六日後でしょうか」
「そんなに?」
不服そうに大きな声を上げたターシャは、頬を膨らませた。
「そんなに待ったら、私、『王子様』の顔を忘れちゃうわ」
「またターシャ様の『王子様』が出ましたね」
夢見るようにターシャが口にする『王子様』。それが夢でないことはレオナルドも承知している。
「王子様は、新月の夜にだけ私に会いに来てくれるのよ」
一方で、とても曖昧な存在であることも。
ターシャの言う王子様は、新月の夜にだけ彼女の前に現れる。
「どうしてずっと私の傍にいてくれないのかしら」
「何か事情があるんでしょう」
「王子様はね、とってもかっこいいのよ。背が高くて、凛々しくて。目が大きくて、キラキラしてるの。レオナルドの目は、ちょっと眠たそうよね」
レオナルドは皴の刻まれた目元を和ませて笑う。
「しっかり起きてますよ」
「それはわかってるわ。それでね、髪は柔らかそうな茶色なの。レオナルドは真っ白ね」
「いちいち王子様と私を比べないでくださいな」
「あら。私、髪の色はレオナルドの方が素敵だと思うわ。白い髪って、神秘的だもの。それがおじいちゃんの証拠だとしてもね」
レオナルドは己が髪を撫でた。年の割に豊かな量だが、老いを証明するように見事な
「恐れ入ります」
車輪はがらがらと、新月の夜を目指して回る。
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