第3話 証人喚問

「ただいま…」

あれから数時間、夕陽は落ちて夜となった。

正直言って彼女の意図は掴み取れなかった。あたかも本当に無いかのように、近づいても離れてもそれは見えない。彼女の言葉はどこまでも深い一面であった。

そこを発ったのが6時ごろだったはずだ。それから彼女を家まで送って、家に帰った。

「あっ、お帰り!お兄ちゃん!」

妹のかやがエプロン姿で活発に出迎えてくれた。

茅は中学二年生で、吹奏楽部に所属している。なんというか、本当にすごいと思う。というのも俺を生んだのと寸分違わない生育環境とは信じられないほどに実直に育ったのだ。実を言うと時々本当に同じ遺伝子のもとに生まれたのか疑うこともある。

「今日のご飯はカレーだよ」

確かにその匂いが漂っている。ふと、妹の姿に違和感を覚える。

「身長が伸びたのか」

「あっ、気づいた?」

胸を張り、手を腰に当てて「ふふーん」と自慢げに言う。

「実はこの度、150cmになりました!」

「ほえー、すごいじゃん」生返事。

「むっ、もっと気にしてよ!」茅は頬を膨らませる。

「あはは、ごめんって」

完全な無関心ではないが、妹の発育が良いとそれはそれで兄は心配だ。いや、これは俺がシスコンだからというわけではない。本人の性格の良さ故、コロッとなにかに騙されないかという不安があるからなのだ。

実際問題、茅を目的とした電話が周期的に家の電話にかかってくる。そんな奴はたいてい底が知れるのでいくつか質問するとすぐに不埒な野郎だとわかるのだが。

荷物をおろし、夕食の準備をする。料理はからっきしなのでせめてもの配膳等は俺がしている。親はあまり家にいない。幼い頃に両親が離婚し、母が親権を拒否したので、父に親権が移った。だが、その父も職業が航海士であるがために家を長期間空けるのが日常なのだ。

そうこうしているうちに、配膳が終わった。俺たちは手を合わせて言う。

「「いただきまーす」」

何気なくカレーを食う。妹が辛いものを苦手としているため、甘口だ。この味を認識するたび、俺に料理は不可能なのだろうとわかる。

茅がふと聞いてくる。

「今日はどこ行ってたの?」

「あー…」言葉に詰まる。今日の出来事を完全に表現できる単語はない。

「遊園地だよ」

「遊園地、一人で?」それは憐憫の目であった。

「違う」

「なら誰と?」

正直に言ってもいいが、伝わるのだろうか。

「宇垣さんっていう同級生。知ってる?」

カレーを口にくわえながら訊く。その瞬間、茅はスプーンをカレーに落とす。

「えぇーっ!?」身を乗り出して驚く。

「近所迷惑になるぞ」口に人差し指を当てる。

「いや、でも…でも、でも!」

わなわなと茅は体を震わせる。驚天動地を図にしたような驚き方で、目を見開き追撃をしてくる。

「何を代償にしたの!?」

「強いて言うなら妹への信頼かな」

心内では信じられない、という顔をしながら尻もちをつくように席につく。

「へぇ〜、」

感心したように、放心したように感慨に浸る。本当に失敬だ。

「冷めるぞ」

俺がそういうと茅は曖昧に返事をしてカレーを一口食べた。


――――――


ふう、とため息をついてベットに倒れる。

後々聞くと礼奈には弟がいて、その弟も周りが舌を巻くほどにイケメンなのだそうだ。俺が知らなかったなんて相槌を打つと呆れられた。

それからは妹からの質問責め。集合はいつ、私服はどんなの、何に乗ったの、経緯は、目的は―――質問は多岐に渡った。

俺は滔天の勢いのごとく尋ねる妹に辟易して、半ば強引に話を切り上げ風呂に入った。

そういう経緯のもと、俺はここにいる。

ふわぁ、とあくびをする。今日はなんだかどっと疲れた。学校に行ったらきっと情報は回っているだろう。だが、今はそれを憂うことさえも面倒だ。体には休息が必要であった。

俺はそのまま泥になって寝た。


――――――


月曜日、すなわち登校日だ。足が重い。

学校に行けば何されるか、たまったものではない。これは自惚れでもなんでもなく、危惧しているだけである。

あの日遊園地へのお誘いを受けた時からもうありふれた一つではいられなかったのだろう。もう平穏の二文字は生活から消えた。憎悪、嫌悪、羨望、嘲笑。身の丈以上の感情が俺にぶつけられるだろう。

校舎が見える。いつもなら気にも留めない傾斜も、今日はゴルゴダの坂に思える。

周りの視線が刺さる。自然と背中が曲がる。頭を垂れてとぼとぼ歩く。

自己肯定感が喪失しそうになりながら、校門を通過する。

その時、ツツツッーと背中を何かが伝った。

驚いて振り返る。そこには礼奈がいた。

「おはよう、篠宮君」

「…おはようございます」

後方には集団。人数は普段とほぼ同じなのは、きっと彼女の美しさだけを見ているのではなく根源的に人間として尊敬されているからなのだろう。とはいえ、複雑な感情が入り混じった特有のオーラが漂う。

「二人きり、とはいかなかったわね」

「俺の精神衛生も鑑みてください」

「あら、私はみんなのために怯えて生きなければならないの?」

「それはストローマンと呼ばれる論法ですね。論理が飛躍してますよ」

足取りをあわせて会話する。全方向を警戒しつつ、極力話が弾まないようにして取り繕う。

「まさか、土曜日はあんなに弄ばれるとは思わなかったわ」

「ばっ―――」

言葉を失って顔を見ると、悪魔じみた薄ら笑いをしていた。周りの視線が一転して明るさを失う。ここまで追い詰められたのは初めてだ。もう精神が限界だ。

「大丈夫、大丈夫…俺は絶対できる…」深く深呼吸する。

それを見て、彼女はくすりと笑う。これの恐ろしい点はまだ校舎につま先さえも入っていない点だ。

心臓が破裂しそうになるのを抑えて、俺は虚無になった。


―――――


ただ指を見ていた。教室、机上にある自分の指。

教室に入るとそこは完全に無音だったのは初めてだ。いたたまれなくなった俺は自分の椅子に座って完全に意識をシャットアウトすることしかできなかった。

幸い、互いが互いをけん制しあって誰かが来ることはない。先生が来るまでまだ10分ほどある。それまで静止していよう。

「しーのみーやくん?」肩をたたかれる。恐る恐る振り返ると顔をひくつかせた雪乃がいた。

「ちょっと事情を聴収してもいいかな?」

「それって任意ですよね」

「義務です。ってやつです。」

「では日時は追って連絡しますので―――」

「逃げるな」

「はぃ…」

猫ににらまれたネズミのように体が縮こまった。とはいえ話すことは何もない。

「で、篠宮。単徳直入に聞こう。礼奈ちゃんと付き合ってたの?」

「断じてない」食い気味に答える。

「でも興味ない男の子にあの礼奈ちゃんが遊園地なんて…」

それはそうだ。貞操観念が小学生のままでもない限りそんなことはしないだろう。彼女は確かに論理的で理性的であることは俺も含め誰もが知っている。

「一服盛ったね?」

「そんな度胸があるとお思いか」手は冷や汗で湿ったままだった。

「変なこともあるもんだねー。じゃ、私はここでお暇しますね。私以外にも訪問客はたくさんいるようですし」

「ん、訪問客?」

顔を上げる。すると、以外の哀楽の入り混じった生徒らが俺を一点に見つめて囲んでいた。

「あぁ…」

俺はなす術もなく、目を閉じた。

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