第2話 それで
「…もう一度、言ってくれないか」
「あら、乙女に二度も誘わせるつもり?」
あたかも俺が変態かのように礼奈は視線を向ける。これは名誉棄損で訴えられるのだろうか。
「えっ…えーーっ!?」
校舎中に響き渡るほどに吃驚する久乃。耳鳴りがする。
「久乃ちゃん、お静かに」
礼奈が唇に指をあてて注意する。当の本人である久乃は驚きわなないている。この会話のスピードに俺はついていけない。というか、本当に驚く権利があるのは久乃ではない。深呼吸をして、言葉をひねり出す。
「えっと、どうして」
「逆にどうしてだと思う?」
「わかっていれば聞いていません」
無意識に敬体になる。本当に理解できない。人間の脳みそは10%しか活用されていないそうだが、いま俺の脳みそは1%も作動していない。
「ふーん。前にもこんなことがあったし、エピソード記憶の能力は私のほうが勝っているようね」
「それは早まった一般化」
「あら、結論は推量の域を出ないから帰納的推論よ」
確かに。口惜しさとともに関心もする。しかし、そんな思いは結局のところ現実逃避の象徴でしかない。
「デートですか」
「そうよ」
はぁ、とため息をつく。落ち着いて考えると至極の状況なのだろうが、それに比例するように疑り深くなる。礼奈があれを言う直前に見せた顔は確かに恋する少女のものであった。少なくとも俺はそう見えた。だからこそ、この発言の由が見えないのだ。
しかし、ここで迷っていても仕方ない。わずかな恐怖心を持ちつつも、俺は応答した。
「よろしくお願いいたします」
――――――
こうして俺は遊園地にいる。
土曜日の昼下がり、遊園地の入り口で礼奈を待つ。ぼんやりと案内板を見ながら物思いにふける。普通、駅などで午前中に待ち合わせてから目的地に向かうというのが定石だと思うが、実際は違うのだろうか。これは活字でしか得たことのない情報だから不明である。
「お待たせ、待った?」
礼奈の声がする。男の理想であるセリフを、ほかでもない礼奈が言ったのだ。しかし俺には警戒心以外の何もない。
後方を振り返る。いつもとは違う装いの礼奈がそこにはいた。
太陽に照らされて艶めく髪。軽めに抑えられた化粧が反対に彼女自身の素質を活かしている。麻調のロングワンピース。その上にオートバイに乗る時のジャンバーみたいなのを着ている。俺はそれを何と呼ぶのかわからない。
そんな風に礼奈を凝視していると、礼奈はくすりと笑う。
「ファッション誌から引っ張ってきただけだから、褒めなくてもいいわよ」
「そういうつもりでは」
「あら、なら君は私がかわいくないって言うつもり?」
「えっ、いや。そういうつもりでも」
意表を突かれて動揺する。
「なら、どう思うの?」礼奈は意地悪く笑って言う。
「薄茶色の服の大人びた雰囲気が―――」
「君の言葉で、端的に」
すこし頬を膨らませて言う。俺は完全に窮鼠となった。
「えーっと…かわいいです」
その言葉に礼奈は口角を上げる。そして浮足立った様子で、一足先に受け付に向かっていった。
――――――
「さて、私はどれを選ぶと思う?」
園内マップの掲示板を見て、礼奈は振り返って言う。突拍子のない質問のように思えるが、これは挑戦だ。俺は論理的に正解を導くため、より一層マップを注視して考える。
「ここから一番近いのはゴーカート。確かにゴーカートはこの遊園地の中でトップレベルに人気のアトラクションで、恐らく礼奈もここを目的に来たのだろう。しかし、以前に礼奈が好きなものは最後に残すと言っていたはずだ」
「よく覚えてたわね」心底驚いた顔で礼奈は言う。俺は言葉を続ける。
「したがって、ゴーカートは除外。次に、二番目以降につなげられるものは何かを考える。きっと礼奈は俺のテンションの低さを鑑みて、動きの激しいものを選ぶだろう。その仮定の下に考えると、ジェットコースターが候補に挙がる。しかしここには子供向けを除いて二種類のコースターがある。片方は声量に速度が比例する。もう片方は後ろ向きに乗ることが可能。このとき、当初の目的であった『俺のテンションを上げる』という目的に則って、俺のひねくれた性格を加味して考えるならばこちらの行動にかかわらず強烈な恐怖を与える前者を選ぶだろう。
以上の考えから、礼奈は後ろ向きのジェットコースターを選ぶはずだ」
「なら、それで」
えっ、と俺が小さな驚きを示す。そんなことを気にしない様子で礼奈は明るく足を進める。
「ちょっと待ってください。正解は」
「元からないわよ」
「えっ、じゃあさっきのは」
「君なら無駄に時間を使ってくれると思って」
頭に大きな疑問符が生成される。行動のすべてに理由がわからない。
「というかジェットコースター好きなんですか」
「大好きよ」
「そうですか、僕は嫌いです」
「予想通りね」
足を止める様子も驚く様子も見えない。それどころか、少し笑顔にさえ見える。
無言のまま歩き続ける。時間を確認すればするだけ時間がたつ。無音。礼奈はその沈黙を打ち破るように突然口を開いた。
「もしかして、私が悪だくみしようと思ってる?」
「決してそんなことは」
「ふーん…君って嘘が下手なのね」
俺は口をつぐむ。ぐうの音も出ない。
「安心して。意図なんてないわ」
礼奈はそういって微笑む。俺はそれに胸のざわめきを感じていた。
「さて、ここね」
その視線の先には、ジェットコースターがあった。阿鼻叫喚が聞こえる。不幸にも待機列は生成されておらず、閑散としている。
「別のにしませんか」俺はそんな提案が口をつく。
「怖気づいたの?」彼女はそんな冗談で嘲笑する。
思わず下唇を噛む。礼奈は乗り場までの短い傾斜を上る。その足は勢いを増しているようにさえ思える。俺はため息をついて礼奈の後ろにつく。
時間としては約30秒。俺たちは乗り場に着いた。狙いすまされたかのようにちょうどコースターも帰ってきた。
どうやら説明を見る限り、前方に乗ると前向き、後方に乗ると後ろ向きになるようだ。
礼奈は目を輝かせて後方に乗る。俺はそれを横目に前方に乗ろうとした。だが、それを遮るように礼奈が口を開く。
「あら、君は私の隣に座りたくないの?」せせら笑うようにして言う。
「我が身が可愛いので」
「私よりも?」
俺は言葉に詰まる。初めからこれを見越していたのだ。俺はジェットコースターを提案した時から礼奈の手中にいたのだ。
全てを達観し、彼女の横に座る。
「これでいいですか、お嬢様」
「よくやったわ」
ふふん、と礼奈はわざとらしく腕を組んで胸を反らす。
俺は意識を虚空へと飛ばすことにした。
――――――
「はぁ…」人生の中で最長のため息が出る。
先ほどまでは散々だった。きゃー、なんて先輩は可愛らしく叫んでいたはずだが、俺はその間、人は真の恐怖に対峙した時に言葉はおろか身を守ることさえままならないのだ、ということを身をもって実感していた。
それから気を取り直していくつかのアトラクションに乗った。しかし、道中で異常なほどの視線を浴びたり、カップルが異様に険悪な雰囲気になったりとやはり気が晴れることはなかった。むしろ緊張がそれを上回っていくのだ。
だから、園内の喫茶店に休憩しようという発想を思いついたとき、自分を自分で讃えた。
というわけで僕たちは喫茶店にいる。テーブルの上には俺のメロンソーダと、彼女のオレンジジュースとショートケーキがあった。
「振り回しちゃってごめんね。お礼と言ってはなんだけど、何でも言ってくれて良いわよ」
ケーキを食べながら礼奈は言う。
「いいえ、遠慮しておきます」
俺がそういうと、彼女はいつもより大人びて笑う。
「ふーん、本当に?」
不自然に胸の下で腕を組み、こちらをのぞき込む。彼女の胸が強調される。甘美な香りが脳を刺激する。吐息が顔にかかるほどの、ゼロ距離で。
「何でもいいのよ」
甘い声で妖艶に誘う。彼女の瞳の奥には、確かに恋色が、極彩色の紅色がある。その色は一度入れば抜け出せないほどに深く、そして優麗であった。
その声を聴いた途端、俺は強く舌を噛んで、小さな息を吸う。そして、強い意志で宣言する。
「いいえ。遠慮しておきます」
その瞬間、彼女はやっぱり、と言わんばかりに小さく笑う。それから、ため息交じりにつぶやく。
「ふぅー、やっぱダメか」
どうやら意にそぐわなかったみたいだ。それから、伸びをして俺に問う。
「ねぇ、私のことどう思う?」
「嫌いではありません」
「なら好きなの?」
「誤った二分法。人の評価は、『好き』『嫌い』の二極化された評価だけではなく、『先輩として尊敬している』『後輩として健気だと思う』など評価基準によって変化するものもあれば、『嫌いではないけどそれほど好きでもない』『好きではないけどそれほど嫌いでもない』などの中間の評価もある。これほど具体例を挙げれば、人の評価は二つだけではにことは自明だ」
ここまで言って俺は自分の指摘が面白くないことに気づいた。恐る恐る彼女の顔を見てみる。すると、彼女は意外にも笑顔で俺の話を聞いていた。
「君は、あの時もそうだったね」
そう彼女は独り言を言う。そしてジュースを一口飲んだ。
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