論理恋愛
Hourt
第1話 発端
「男子、ちゃんと掃除してよー!」
「うっせーな、あいつらだって遊んでんじゃねーか」
「それは論点のすり替え、すなわちれっきとした詭弁だ。君以外が掃除をしていないことは君が諫言を受けるに値しないことと無関係だから、一刻もはやく掃除に取り掛かってくれ。早く帰りたいんだ」
その日から僕のあだ名は「博士」になった。
――――――
どうでもいい過去を夢に見た。10月、早朝の教室でそう思う。
未だに腑に落ちない。論理的には適切な反駁だったし、その状況で悪者はその男子で僕は女子の味方にたったはずだ。しかし男子はおろか女子からも「博士」呼びで白眼視された。その時は彼らの精神がまだまだ未熟だからと諦めはしたが、今でも失敗経験として強く心に根付いている。
まぁ、それはどうでも良い。今は高校生だから無関係だ。
人とは必要な分だけの交流を持つ。そんな最高のハイスクールライフを愉快に楽しむのだ。
「おはよー!」声が聞こえるやいなや、背中に攻撃をくらう。
声の主は黒髪ボブの女子だった。
同じ高校2年1組で、家族ぐるみの交流がある幼馴染―――というわけではなく、ただの一方的に話しかけてくるクラスメイトだ。適度なコミュニケーションは必要だと思うが、これはもはやコミュニケーションでさえないだろう。
「自分がされて嫌なことはするな。黄金律は学校で教わらなかったか」
「自分がされても嫌じゃないから人にしてもいいでしょ」
「…自分で言ってて瑕疵に気づかないのか?」
「今日も変だな、いいことだ」
うんうん、と感嘆するように雪之はうなずく。そしていつものようにマシンガントークをする。さすがに無視は気が引けるのでうつろに応答する。音楽のように扱っているので壊れた理論も嫌でもなんでもない。
他愛もないことを数分話した後、廊下に群衆が移動していた。
何気なく俺がそれに視線をやる。
「なに、篠宮も礼奈ちゃんのこと好きなの?」
「違う」
「またまた、強がっちゃって~。ほんと男子って、胸ばっかりなんだから!」
早まった一般化をする雪乃。「礼奈ちゃん」という呼称は本人発信である。神格化されすぎないための工夫だろう。
「礼奈ちゃんと私の体を比べると神の意地悪さを本当に感じるよね。『胸が砂漠』が代名詞の私はEカップに勝てないのですよ!は~ぁ、なぜ人は平等じゃないんだろ」
「カップ数まで何で知ってんだよ…気持ち悪い」
「女子ファンクラブ会員には常識よ!身長は160.2cm、好きな教科は国語・美術・音楽、好きな食べ物は野菜で特にトマト、スリーサイズは―――」
そこまで言った瞬間、雪之は肩をぶるっと震わせる。スリーサイズという単語に本能が反応した獣の視線に気づいたみたいだ。
それでも実際、雪之が魅力的でないわけではない。現に彼氏持ちだ。当の本人が言っていた。全体に発育は芳しくないがその子供っぽさに密かなファンは多いらしい。
「私も礼奈ちゃんみたいになりたいな。もはや話すこともできないくらいの人気じゃん!」
「そうだね」俺は生返事をする。
「篠宮は話したことある?」
「うん」
「そうだよね、ないよn…えっ、えっ、えっ!?」
雪之はクレッシェンドで大声を上げて衝撃を受ける。類を見ないほどに目と口を開けて呆気にとられる。そのまま茫然自失したのちに我に返ってため息をつく。
「は~ぁ、篠宮。妄想は現実ではないんだよ」
あらぬ誤解を受ける。彼女なりに事実を再解釈したのだろう。俺はそれに抗うように口を開く。
「…彼女の部活は」
「もちろん、文芸部」
「俺の部活は」
「文芸部」
続いて質問をする。
「彼女の役職は」
「生徒会副会長、文芸部副部長」
「俺の役職は」
「文芸部部長…えっ?」
ついに理解したみたいだ。目を白黒させて現実から逃げている。
というのも本来文芸部を設立したのは俺だ。この学校は部活動所属が原則となっている。しかし入学当時に心が惹かれる部活も折り合いがつけられる部活もなかった。だから自ずから動くしかなかったのだ。まぁ、実のところ俺と同じような人間がいたうえ、なぜか礼奈が率先して賛同したので注目を浴びたから容易だったが。
「ふーん。事実は小説より奇なり、って本当だったんだね」
先ほどの由を説明したらやっと腑に落ちたみたいだ。ここまで理解に苦しむなんて思わなかった。
「俺を何だと思ってるんだ?」
「理屈バカ」
「おい」
――――――
授業が終わり、部活動の時間になった。部室の扉を開ける。
目の前に飛び込んでくるのは「ロ」の字に形どられた机に、それに沿うように椅子がり、教室後方には文芸部の図書がある。かつてあった文芸部の部室を掃除して使えるようにしたのだ。
「あっ、先輩!やっと来たー」
そういうと彼女は椅子を立ち上がり、活発に手を振ってこちらに向かってくる。
「文芸部ではお静かに」
「もー、先輩ったら、いけずっすね」
自負している。
「礼奈、今日の活動もいつも通り?」
「えぇ、そうね」礼奈は落ち着いた口調でそう答える。
ちなみに「礼奈」という呼称は当人が言い出したものだ。実際この呼称を始めてから、相手が学校一の有名人であることを失念させ、自然に話せるようになった。
部室には全員で5人いる。比較的少ないように思えるが、これには明確な理由が二つある。
一つ目はファンクラブ会員同士の牽制があったから。実際のところ、入部・転部届は80枚ほど発行されたらしいが、提出途中に不審な怪我を負った、提出後に職員室から届が消えたなどの原因により文芸部顧問に受理されたのは全部で8枚であった。
また、二つ目は幽霊部員がいるからである。ということでここにいるのは5人なのである。
「さて、満足したら早く戻れ」
「はーい」
ふてくされた顔で席に戻る後輩。俺は心を安静な状態に戻し、席について本をとって読み始める。
ちらりと横を見ると、礼奈が整った姿勢で「千夜一夜物語」の6巻を読んでいた。久乃は机に顎をのせて、適当に本棚から選んだ本を読んでいる。十人十色の読書を見られてなんだか温かい気持ちになる。
さて、この部活はただの放課後読書クラブではない。毎月第2金曜日は一冊を選び、お勧めする。また自作の品を披露することも許可しているが、そんな強靭なハートの持ち主はまだ現れない。
いい加減何か新しいことを始めよう、そう思いつつも勇まない心で本に向かった。
――――――
6時になったので、誰が声をかけるわけもなく皆が帰り始める。
俺も体になじんだ動きで用意をする。途中まで帰り道が一緒な礼奈と久乃と一緒に帰るつもりでいた。だが、今日は違うことが起きた。
「篠宮くん、ちょっと話があるの」礼奈は麗しく立って俺に話しかけてきた。
「何?みんなも呼び止めたほうがいい?」手を止めて俺は答える。活動の提案、もしくは何らかの連絡だろう。ならば部員全員で聞いくべきだろう。
「いや、個人的な願いだからその必要はないわ」
彼女は言う。出口を見ると、久乃が振り返って聞いていた。
「篠宮くん―――」
風が吹き、カーテンがはためく。
翳りゆく部室で、礼奈が少し顔を赤らめる。
もう一つ、息を吸う。
それから、いつものように美しい顔で彼女は言った。
「―――私と、デートしてくれませんか?」
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