第4話 転回

「礼奈」

「何?」

放課後、部活動の時間。扉を開け、力の入った声で呼ぶ。それをものともしないように凛として座る礼奈に滔々とあふれる言葉をのんで単純に言う。用件は一つだ。

「俺たちは何もしていない、よな」

俺がそういうと小さな部室がどよめく。

「それはした人が言うセリフよ」礼奈はクスリと笑う。

ぐうの音も出ない。開いた口が空を切る。完全に言葉選びを間違えた。後方から足音が聞こえる。

「こんにち―――あっ、話題の人だ!」

久乃は挨拶を中断し、俺を見て言う。完全に不本意だが、事実である。

「先輩、どうしてここに突っ立って…あっ!そういうことでしたか。」礼奈を見てはっとする久乃。そして顔をにやにやとさせる。

「どーぞ、ごゆっくり~」そっと本を取り出し席に着く。

「要らぬ気遣いだ」

むしろ永遠に話していてほしい。ノイズ生成機械があれば俺は大枚を叩いて買う。ただこの雰囲気がもどかしかった。

仕方ない、と息を吐いて俺は席について本を手に取った。

それで6時になった。時計の秒針の進みがいつもより遅かった。何気なくため息が漏れる。

「せーんぱい!一緒に帰りましょっ!」

久乃が元気そうににへらと笑う。もし久乃がいなければ礼奈と二人っきりだ。そんなことになれば俺の心臓が爆散するだろう。俺は喜んで快諾する。礼奈も仕方ないといった顔で応じる。

校門を抜け、横一列になって歩く。

「なんか、こうして並んでみると身長の違いが出ますねー」

「そうかな」確かに俺もそう思う。

俺の身長は173cmくらいで、礼奈より10cm強、久乃より20cm弱、目測だがそれくらい高い。しかも俺は変に細いせいでそれよりも身長が高く見られることが多々ある。

「ふふっ」礼奈は綺麗な顔に笑みをたたえる。そうして間髪入れずに言葉を続ける。

「まるで家族みたいね」

「かぞっ―――」久乃が顔を赤くしたり青くしたりと明滅させる。

意図が毛頭読めない行動に俺も動揺し、変な沈黙が漂う。揃わない足が落ち葉を踏みしめる音だけが鼓膜を振動させていた。その静けさを打破するように久乃が大きく息を吸う。

「そ、そうだ!先輩たち!もしよかったらなんですけど」体をよじらせつつ言う。

「今度、一緒に遊びに行きませんか!?」

おっと。これは宣戦布告か、扇動か。いや、そうではないだろう。久乃がそういう人物ではなく、気が利くマメな奴であることは知っていた。久乃が口をもう一度開く。

「この半年間で先輩たちと仲良くなったと思うんです。思うんですけど、まだ一度もどこかに行ったことがないなーっと思いまして!」もじもじとろくろを作って言う。

やはり俺を煽っていたわけではなかったみたいだ。ちらりと久乃のほうを見ると、涙ぐんで嘆願していた。最後に、と付け加えるようにか細い声で言った。

「いかが…でしょうか」

俺たちはその垣間見えたか弱さに抗うことはできなかった。結果として日曜日に行くことになった。

さて、まだ今日は月曜日だ。登校日は4日ある。たった1日で虫の息なのだから、あと4日間の暮らしぶりを考えると…。考えただけでゾッとしない。俺は長い息を吐いた。


――――――


省略できないほどに艱難辛苦の降り注いだ登校日を乗り越えて日曜日。集合時刻は午前11時。俺はその15分前に着いた。

集合地点は近所の公園。周りにそれらしい人影は見られないのでどうやら一番乗りらしい。仕方がないので木陰のベンチに座って本を開く。陽気な木漏れ日が快い。

数分すると落ち着いた足取りが耳に聞こえてくる。礼奈が歩いてきた。

黒を基調とした落ち着いたコーデで、スリットからデニムがのぞかせている。黄金比率の近似値であろうその顔に大人びた服装がマッチして、無限大の美しさを放っている。立てば芍薬…とはまさにこのことである。目のやり場に困るほどに綺麗だ。

そんなことを思いつつ見ていると、彼女が話しかけてきた。

「問答はいらないわよね」

当然、といった風に彼女がなにかを求める。俺はそれを察知した。

「えぇ、もちろん。美しいですよ」本心からの笑みで応じる。

彼女はちらりと驚いた後、顔を赤らめながら照れ笑いをして言う。

「さては練習したわね」

図星だ。ぐうの音も出ない。鏡の前で今日の日のためにこのセリフを練習し続けた。

また足音が聞こえる。さっきよりも活発で早いリズムの音が。

目をやると久乃がいた。

ゆったりとした白色のニットを内に、無地の明るいジャンバースカートを合わせている。ボディラインは出ていない。

「先輩たち、おはようっす!」

「おはよう」俺たちはそう挨拶を返す。

何気なく、二人を見てみるといかにこれが非現実的な状況であるかがわかる。それほどにこの景色は絶景であった。いずれ菖蒲か杜若とはよく言ったものだ。

「篠宮先輩…なんか目がやらしいっす」

「そんなことはないから誤解を生むのでやめてくれ」

「あら、篠宮君は小さい子がお好み?」

「やめてくれ」

ひとしきり笑いを交換した後、久乃の掛け声を合図に俺たちは出発した。


――――――


電車内。日曜日中はそれほどでもないが混んでいた。

仕方ないので立っている。その間は何気ない会話をしていた。もちろん共通の話題などは部活しかないのでそれに偏ってしまうのは避けられないが。

「そういえば篠宮先輩は、どうして文芸部を立ち上げたんすか?」と久乃が聞く。

「どうしてって…そうだな、楽がしたかったからかな」

予想通り、と言わんばかりの顔をする。まぁこれを推測するのは容易だ。なぜなら俺の学校には吹奏楽部以外の文化部がないからだ。クラスの噂を聞く限り、かつて文化部が多数存在したが少子化などによる自然淘汰が起き、吹奏楽部と美術部が残った。だが美術部もそれに似つかわしくない体育会系の先生が顧問になってしまうことにより部員が減少。よって一昨年に文化部が吹奏楽部だけになった。

もちろん俺も入学当時は帰宅部になりたくはないがそうするほかなかった。だが、周りには俺みたいなやつが散見された。ならばそいつらとこっそり文芸部を作ってやり過ごせる、と考えた。無論、その目論見は礼奈の入部により打ち砕かれたが。

「そういうお前はなぜ入部したんだ」久乃に聞く。

乙女の秘密トップシークレットっすよ!」そっぽを向く。

どうやら俺に教える気はなさそうだ。

減速する車体。「次は――、次は――」車内アナウンスが停車駅を告げる。

「ここね」降車準備を始める乗客に紛れて礼奈が静かに言う。俺たちも人並みに流されるように降りて行った。

ここから徒歩で直通している大型商業施設に向かう。

「初めはどこから行くっすか?」と久乃。

礼奈は腕を組む。

「そうね…ショッピングよりも先にご飯に行きましょうか」

先ほど見た時、時計は11:40を指していた。ショッピングに行っていては昼ご飯のタイミングを逃すだろう。

「賛成」「賛成っす!」

ということで俺たちはファミレスに向かうことになった。


――――――


「いらっしゃいませー。何名様ですか?」

「三人です。禁煙で」

俺たちは窓際のテーブル席に座る。前に久乃が、俺の左隣に礼奈が座る形になっていた。なんとなく右の窓に視線が流れる。今更まともに目を合わせるのは恥ずかしい。周りには家族づれ、カップル、中高生などそれぞれがそれぞれ十人十色の様相でいた。

メニューを見る。俺は適当にランチメニューにあったのを頼むことにした。周りに目をやると、礼奈も決まっているみたいだった。しかし一名、メニューを凝視するものがいた。

「ハンバーグはがっつりすぎか…。でも麺類も…足りないかな…。ならご飯のあるもの…カレー?いや、それならドリアが…」

その様子はさながら探偵である。口に手を当てて、最適解を推理する。それを見越してか礼奈が動く。

「これはどう?」示された指先にはステーキがあった。

「いいっすね!私、お肉大好きなんですよ!」心からの同調で久乃は言う。そんなにあっさり決めるならこれだけ時間はかからなかったのではなかろうか。

ベルを鳴らす。このランチタイムにもかかわらずすぐに店員は来た。

各々が自分の注文をする。俺はスパゲッティ、礼奈はパエリアを頼み、みんなドリンクバーを頼んだ。

「ちょっと、お手洗いに行ってくるっすね」といって離席する久乃。俺たちもドリンクを取りに一緒に立ち上がった。

俺がコーラをとり、礼奈がアップルジュースを取ってから戻った時、まだ久乃は帰ってきていなかった。仕方がないので席に着き、話題を振る。

「そういえば、さっきの話の続きなんだけど。礼奈はなぜ文芸部に入ったんだ?」

俺がそう聞くと、礼奈は冗談っぽく言う。

「帰宅部になりたかったからよ」

まさか。「礼奈に限ってそれはないだろ」

「わからないわよ。人は噂によらない、君も知っているんでしょう?」

それはよくわかる。たとえ皆が彼女は正直だと信じていたとしても、彼女が決して嘘をつかないというわけではない。むしろ、そうでないと判断するのは、それは衆人に訴える論証であり妥当ではない。でも、やはり、

「今までの学校生活で礼奈が誠実で真面目な人だとは判断したから。噂なんて初めから根拠に入ってないよ」

そういうと彼女は顔を赤らめる。もごもごと動く口に両手を当てて少し伏せる。

なぜ彼女はそんなに動揺するのだろうか。論理的に破綻でもあったのか。いや、それはないはずだ。

彼女は息を吸いなおす。

「でも、入部した理由か…」少し考えるような顔をする。それから、また口を開く。

「ねぇ」さっきとはうってかわって美麗な声になる。か細く吸う息が聞こえる。

「私が中学生の時に君と会ったことがある、って言ったら信じる?」

「信じない」俺の記憶にそんな事象はないのできっぱりと答える。

彼女は少し頬を膨らませる。

「なら、私が君のことを好き、って言ったら?」

俺のほうに前傾するように、ぐいっと体を寄せて言う。

「もちろん、信じない」

「本当に?」

「えぇ。何があっても信じません」

はっきりと否定する。少し左に目をやると、ドリンクを持って戻ってきた久乃が居た。

「いやー、先輩!やっぱりドリンクバーを見るとブレンドしたくなりますね!」

席に座るやいなや、小声で久乃がささやく。

「いちゃいちゃするなら私は帰るっすよ?」

「帰らないでくれ」

周囲の騒音のため、無意識に近距離になっていた俺たちを見ての言葉だろう。今帰られたらストレスで俺の体が霧散してしまう。

「お待たせいたしました」

どことなく不愛想な店員が料理を運んできた。

店員は料理名を読み上げながらテーブルに置く。

「あっ、先輩。それ美味しそうですね!」スパゲッティを見て久乃は言う。

「ならちょっと要るか?」

「いただきます!」

そう言ってフォークですくって口に含む。パァッと顔が明るくなった。

「私もいただいてよろしいかしら?」

「礼奈にはやらん」

「えー」不貞腐れた声をあげる。

スパゲッティを飲み込む。何気なく近くにあった飲み物を飲む。

途端に、口の中で魑魅魍魎の味がした。すべての味が混濁した重層の苦みが跋扈する。

「げほっ、げほっ!なんだこれ!」むせながら声を荒げて言う。

久乃を見るとにやにやと嘲笑っていた。

「せんぱ~い、引っ掛かりましたね?」からかって久野が言う。

「実はこれ、私の特製ブレンドなんです!」

「小学生かよ」

高校生になってなおドリンクバーで混ぜる人なんているのか。残り味がリフレインしてまたむせる。

「無様ね」礼奈がさげすむ。

「お前、絶対後で覚えてろよ…」

それを契機にしてかせずか、レストランでの会話はスムーズに弾んだ。


――――――


レストランを後にして、ショッピングへ向かう。荷物がかさばるのが嫌なのでまずは文房具店に向かうことにした。その道中。

「あっ、ゲームセンターがあるっすよ!」

久乃の指先には華やかでにぎやかなゲームセンターがあった。

「いってみましょーよ!」子供みたいにはしゃいで誘う。

仕方ないな、そう思いつつ俺たちはゲームセンターの中に入る。ふと思いついたように久乃が聞く、

「礼奈先輩って、あんまりゲームとかしなさそうっすよね」

「あら、意外と好きよ」

「嘘だー!」

久乃の物言いは失礼かもしれないが、俺も驚いた。きっと嘘なのだろうけど。

「なら、あれ、やってみる?」

礼奈は二人プレイのFPSゲームを指さす。俺も自慢ではないがそれは得意だ。

「やってみるか」

俺はそう言って、400円を入れて銃を手に取る。礼奈もそれに追従するように銃を構える。

30秒ほどのムービーを挟み、ターゲットが正面から歩いてくる。俺が視認して倒すよりも先に、礼奈がヘッドショットを打ち取った。

「はっ…?」尋常ではない反応速度に疑問符が口をついて出る。

「ほら、前見て」

「あ、あぁ」

真剣な眼差しに促されるままに照準を合わせる。だが、ポインタが標的に合う前に倒れてしまう。覚えているいくつかのエクストラアイテムもすべてかっさらわれる。

隠せない衝撃を受けつつも前線に出ようとするも、敵がいないから前線がない。

何もできないまま1ステージが終わった。スコアリザルトでは、「C」と「SSS」の二つの評価が画面に映し出された。

侮蔑の視線が背中に刺さる。

「篠宮先輩…ゲーム下手なんすか?」

「いやいや、俺が下手なんじゃなくて、礼奈がうますぎるんだって」必死の弁明。

それでも視線の色は変わらない。

「じゃぁ一回やってみろよ」銃を渡す。

「えー、でも絶対先輩よりもうまくできる自信はありますよ!」

図に乗って銃を構える。その十数秒後、久乃は戦慄していた。

「やばいっすよ、この先輩!」

「だろ」

その撃ち筋は反応ではなく、反射であった。脊髄で撃っているような速度に俺たちはおののくしかなかった。

そんなこんなでついに5ステージすべてが終わった。礼奈の目で燃えていた炎が鎮まった。くるりと振り向いて、

「どうかしら?」

「先輩、すごいっすよ!」真摯な参事を送る久乃。

俺も礼奈がFPSを得意とするなんて思いもよらなかったので驚いた。

ありがとう、なんて言いながらイニシャルを入力する。そのアルファベットは1人用ランキングの1位と同じであった。

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