第5話 ACCIDENT

文具店でいくつかの文房具を買った後、服屋に来た。こういうのはセレクトショップというのだろうか。あいにくお洒落には明るくなくて、全くわからない。こんな明るい所は滅法界に苦手だ。第一、こうして3人でいるところを他人に発見されたらどうするつもりなんだろうか、俺は。あぁ、ダメだ。慣れない場所にマイナス思考が姿を見せ始める。

「ねぇ、篠宮君。この二つならどっちがいいと思う?」

ワンピースを二枚持った礼奈が、体にそれぞれを当てながら聞く。コットンベースの白を左手に、ノースリーブの明るい茶色を右手に持って。これから冬本番なので、これと何かを合わせて着るのであろう。さて、俺はどっちを選ぶのが正解だろうか。

必ずどちらかを選ぶかつどちらかが正解ならば確率は1/2だ。本能は前者、理性は後者。神よ、頼む。

「その茶色のが良いかな」俺は後者を選んだ。

「ふーん」

彼女は踵を返して久乃のもとに行く。…正解はわからずじまいだった。

仕方なく、俺は彼女に嫌われないように煩悩を滅して、買い物を続けた。


――――――


帰路についた俺たちを傾いた暖色の陽光が照らす。何気ない会話を交換する。それは俺が彼女たちと打ち解けあった証拠でもあった。

久乃の携帯が鳴る。ちらりと確認すると、一瞬驚いた顔をして

「すみません先輩、急用を思い出したので先行きますね!」

と、感嘆符のついた声と一緒に駆ける。

「お、おう」「じゃぁね」と俺たちはそれぞれの反応をして手を振る。

そうしてすぐに姿は前方に見えなくなった。

「なんか急いでたな」

「あれ?篠宮君知らないの?」

「何のことだ?」

そう俺が言うと、玲奈はつくづく呆れたような顔で、でもそれを愛おしく感じているかのようにして言う。

「君って、本当に人に興味がないのね」

悪かったな。でも、実際久乃とは腹を割って話せるようになったと思っていた。だが。

「何も聞いてないな」

「好感度の差ね。私は彼女に好かれているから」

明確に喧嘩を売られた気がしつつも、たしかにそうだと自らを反省した。


――――――


その後の登校日の記述は繰り返しを避ける。情報が誰にも行ってないわけもなく、どんなふうに俺が揉まれたかは想像に難くない。結論だけを言うと俺は磔刑だった。

さて、その週末、土曜日のことである。部屋にこもって本の虫となるのも良いが、今日は本屋へと出かけた。近隣に本屋はなく、都心の方に向かわなければならないのが難点だ。特に目的はないが、なにか良い本があれば買おう、くらいの心意気で何気なく発った。

だが、運命の出会いはそうそう無いものである。仕方なく数冊ほど買って、時刻は15時21分。まだ早いが、あまり遅いと茅も心配する。情熱の不完全燃焼を感じつつも、雑踏に混じってすずろに帰ろうとした。その時、人混みに紛れた違和感を発見した。

あれは齢80前後のご婦人。道にへたり込んで駄々をこねているご婦人。その隣には―――久乃?

「どうしたんだ。こんなとこで」

「あっ、先輩!いや、これは」

「もーつかれた!くのちゃん、はこんではこんでー!」

「おばあちゃん、もう少しでお家だから、ね?」

どうやらおばあ様のようだ。久乃は、冷や汗を流しながら取り繕うとする。どこか悲しそうで、やるせなさそうに。

使命感が俺の背を押す。

「…おばあ様、どうぞ」俺はおもむろに屈み、背中を明け渡す。

俺は筋力があるわけではない。だが、体が大きいのできっと久乃よりは適役だろう。

「えぇっ!?先輩、良いんですか?」

「対価は支払ってもらう」意地悪く笑ってみせる。

「えー」

久乃が嘘っぽくふてくされる。俺たちは冗談を言いながら久乃の家へと向かった。


――――――


「いやー、先輩、ありがとうございます!本当に困ってたんですよ!」

カフェオレの入ったカップをテーブルに置き、謝辞を述べる。

俺は久乃の家の中に一度も来たことがないことに気づく。忘れ物を届けに一度来たきりで、それも玄関までだった。

年季の入った一軒家。にもかかわらずそれほど傷は多くない。いや、厳密にはわからないように修繕されているのだろう。ここばかりは家主の性格が出る。

「そこまででもないよ。どうせ暇だったし、謝る必要もない」

「でも…」

いつにもなく”おしとやか”な久乃。しきりにうつむくのを見るたびに、少しずつ彼女の置かれた状況を察し始めた。

「…悩みでもあるのか?」

「ええっ!?どうしてそう思ったんですか!?」

「わかるだろうよ」

動揺が手に取るようにわかった。でもすぐにいつもの久乃に顔が戻る。

「…あはは、あっても先輩には言えませんよ。迷惑かけられないし」

「…」

「それに、これは私が望んだんです」

髪の毛を指でくるくると回しながら。落下する声。

「そうか。それなら良い」

途端にビーというけたたましい電子音。

「あ、おばあちゃんです!これ以上はアレですし、勝手に帰っててください」

「扱いが雑」

「良いでしょ〜。先輩は、私の信用する人ですから」

ニカッと爽やかな笑顔を見せる。でもその目は、確かに俺の遥か後方の虚空を見つめていた。

仕方がないから俺は帰路につくことにした。


――――――


「―――あ、ちょっとお兄が帰ってきたからミュートするね。っと、お兄ちゃん、お帰り~」

「ただいま」

吹奏楽のメンバーで電話でもしていたのだろう。スマホをテーブルの上に置き、こちらに寄ってくる。

「…?ちょっとお兄ちゃん、じっとしててね」

訝しげに眉間をしかめる茅。目を閉じて、俺の体をスンスンと嗅ぎ回る。

「もしかして、誰かの家…。しかもこの匂い、久乃さんでしょ」

「すごいなお前」

おぞましささえ覚える。久乃の祖母を背負い、さらに家まであがったのだ。匂いが移らないのも無理もないが。まぁ、何があってもこいつだけは敵に回さないでいよう。

「まぁ、いいけど。でもお兄ちゃん、優しさにつけこまれないようにね?」

「…あぁ、もちろんだよ」

唇を噛んで、靴を脱ぎながら誓う。孤立こそ最大の防御だ、胸にまた刻み込む。同じ轍は、二度と踏まない。


――――――


その日の夜だった。晩ごはんを食べ終えて、風呂も歯磨きも済ませ、自室で横になっていた11:35。明かりのない部屋で、スマホ液晶越しに「オセロー」を読んでいると、着信があった。それは、久乃からだった。

普段は部活連絡しかよこしてこない上に、時間も時間だ。心臓が早鐘を打ち始めた。

緑色のボタンを押し、応答。

「はい、篠宮 治で―――」

「―――大変なの!おばあちゃんが、家にいないの!」

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