第九話
「なーにたそがれてんの乙木野さん」
「別にたそがれていませんよ須藤さん」
私が手とアゴを置いている橋の手すりへ須藤さんが背中を預ける。
「なーんか夕日とか久々に見たわ」
「最近雨か曇りばかりでしたからね」
お互い視線は合わさず、私は東にある一本目の橋を。須藤さんは西にある三本目の橋を眺めながら、真ん中に位置する二本目の橋の歩道で呑気にお喋りを続ける。
「今晩からまた暫く天気荒れるらしいですよ」
「何時くらいから?」
「八時過ぎには降り出すとか朝のニュースで言ってましたね」
「うへーじゃあこの景色当分見れないじゃん最悪」
「そんなに夕日好きでした?」
「単に長雨が嫌いなだけ」
他愛の無い話の中に潜む落ち着かない感情。
内容は普段と変わりないのに、だからこそ本来話すべき話をどう切り出そうかという探りがあるように思えた。
「……一昨日も現れましたね、幽霊」
なので先手必勝。
私達の間にそんなよそよそしさとか似合わないというか、須藤さんがよそよそしいとか背筋が凍りそうなくらい気味が悪いので自分から切り出す。
「うんごめん」
短い謝罪と共に視界の端で須藤さんの視線がこっちへ向いた。
合わせるように瞳を動かす。
視界の奥にジープとか言う名前の須藤さんの車が見えて、西日を反射しているそれが眩しかった。
「いいですよ別に。あの石のせいじゃないかもってちゃんと言ってくれてましたし」
茜色が目に焼き付きそうですぐに正面を向く。
「ほんとごめん」
「だからいいですって」
なおも謝る須藤さんに気にしていない様子で言葉を返す。
普段から言葉と態度が噛み合っていないことが多いけど、彼女が短く「ごめん」と言う時は心底そうだと思っていることを知っている。
「怒ってない?」
「怒ってないですよ」
「拗ねてない?」
「拗ねてないですよ」
「呆れてない?」
「呆れてないですよ」
私に対してだけ、かどうかは不明だけど。
「抱いて」
「抱きません」
普段は身勝手極まりない彼女が見せるしおらしさを責めるほど私も鬼ではない。
「……石は幽霊出現の原因じゃなかった」
話題を切り替える。
謝罪と許しの反復よりも本来やるべき実のある話を。
「なら何が原因か」
お互いに体勢を変えないままで思考を巡らす準備を始める。
私達が、正確には須藤さんがだけど、回収した日の夜に再度現れた着物姿の女性。
「改めてそれを考えていきましょう」
「始め乗り気じゃないのにいつの間にか仕切ってる乙木野のそういうとこ、アタシ好きだよ」
「褒めてるんだか貶してるんだか」
「もちろん褒めてるよ」
「私はただ自分が関わったことがちゃんと解決していないのにバイト代貰うのが嫌なだけです」
「そこら辺の事情はどうでもいいよ。頼りになるならね」
「なんかいいように使われてるみたいでちょっと癪です」
「ギャッギャッ」と調子が戻ってきた笑い声にため息を重ねる。
それを合図に振り返りを始める。
私が須藤さんに呼び出され今いる二本目の橋の下に来たのが火曜日の夜。須藤さんが石を引き上げたのが翌朝の水曜日。
「そういえばアレどうやって一人で引き上げたんですか?」
「ワイヤーで巻き取る機械がじいちゃんの倉庫にあったからそれボートに乗せて、網と繋いで、ボートをこの前張ったヒモに固定して、素潜りして、こう、ひょいって」
「毎度のことですけど色んな物持ってますよね。亡くなったお爺さん」
「多趣味で収集癖あったからね、じいちゃん」
家督を蹴ったのもあり、須藤さんは実家を離れ中学生の頃からずっと郊外にいたお爺さんの家に住んでいる。
二十歳の時亡くなって以降は土地と日本家屋の権利を引き継ぎ主として管理している。
役所の中でも特殊な位置づけにあり備品や経費を使うには手間がかかる須藤さんにとって、お爺さんが遺してくれた品々は現在に至るまで非常に役に立っているし、私も何度かそれに助けられた。
今度生前好きだったらしいおはぎをお供え物として買っていこうかな、なんて。
脱線しそうになる思考を戻して時系列を辿る。
原因だと思われていた石を引き上げたにも関わらずこの数日間と変わらぬ姿で着物姿の女性が現れたのが水曜日の夜。
そこから一日空いて、今は金曜日の夕方。
火曜日の夜同様呼び出された私はいつも通りバスに乗って家には帰らず、着の身着のままで問題の橋までやってきた。恰好は私服ではなく制服に通学カバン。
須藤さんは愛車のジープにいつもの高そうなスーツ。
足下に視線を落とすと革靴に泥が付いていた。
「あれだけ早い方がいいって言っていたのに解決出来ていないとわかった翌日じゃなく一日置いたってことは、昨日改めて調べ直して何か見当が付いたから今日呼び出したって感じですかね?」
あるいは。
「まぁ、そうだね。昨日調べ直して何も見当が付かなかったって見当が付いたから呼び出したって感じだよ」
「やっぱり」
そっちの方かと唸る。
手すりにうがーっとうなだれる。
どうしてこうも当たってほしくない予想ほど当たるのか。
「念には念をで石引き上げた後も川の中や周囲確認したんだけどね。他に目ぼしい物ないかなって」
けど無かった。
そう話を区切った須藤さんの手が私の肩甲骨に触れる。
上から下へ。
曲がった背中を撫でる人肌。
それを甘んじて受け入れる私の目に、一昨日張った水面のヒモと浮きが見えた。
こっちの事情なんか知らないままでプカプカプカしてる様子に徒労感が増した。
原因はしめ縄付きの石ではない。
他に原因らしい原因は見当たらない。
となるといよいよ。
「……『本物の幽霊』って線は考えられないですかね?」
現在残っている中で有力な、もしそうだった場合私にも須藤さんにもどうしようも出来ない可能性を口にした。
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