The Entertainer
齋藤瑞穂
The Entertainer
「
セッターの子がオーバーハンドパスで高く、でも優しく上げてくれたボール。
――バレーボールの授業なんて、どうでもいいと思ってた。
「はい!」
私は鋭く返事してボールが最も高くなる位置を見極める。それと同時に両足に力を入れてジャンプして、アタック。頼む、ネットを超えてくれ。超えさえすれば。
――なぜって、バレーボールとエンターテイメントに関係性がないから。
「ナイスファイ!」
右から、後ろから、いろんなところから飛んでくるかけ声。それによって、さっきのボールはネットを超えなかったことを知る。頑張れ、諦めるなエンターテイナー。
——そう思っていたのは、2020年の春までだった。
「小谷ちゃん、交代!」
得点板の横でにこにこの笑顔で私たちを応援してくれていた子が走り寄ってくる。私は彼女とハイタッチして、彼女がいた所――得点板の横に就く。ここに数分間佇むことになる。自分のチームの応援もそこそこに、回想にふけることとしよう。
「プールが使えなくなったので、今年の夏はバレーボールをやります」
先生の台詞に、女子生徒たちの反応は様々だった。プール入れないなんて暑すぎて死んじゃいますよ! と大げさに嘆く生徒、水着着ないでいいんだやった! と喜ぶ生徒、プール楽しいけど髪乾かすの時間かかるからなくてよかったね~、とほんわか微笑む生徒。皆
そうして、夏のバレーボールの授業は始まった。体育の先生はバレーボールの顧問なので、思っていたより細かく指導してくれる。
「小谷さんは少し消極的なところがあるんじゃないかな? 練習の様子とか小テスト見てると技能は身についてそうなのよね。ミニゲームでも恐がらないでいいの」
先生はそう言うけれど、私はゲームを、ミスを、恐れてなんかない。ただ、バレーボールに魅力を感じないだけなのだ。練習はちゃんとやらないとチームメートに迷惑かけちゃうし、小テストは成績に響く。でもミニゲームは、バレーボール部の子が点を稼いでくれるから、頑張ったって頑張らなくたっていいのだ。
「そっかそっか、
母さんは優しさの裏に“うちの子を消極的な子に育てた覚えなんてありません”という怒りをにじませて相槌を打った。怒りの矛先は体育の先生に向いていた。
「うん。エンターテイメントとバレーは関係ないでしょ」
母さんが作っている夕飯の青椒肉絲を見ながら私は頬を膨らませた。
「そうでもないかもよ?」
ガスコンロの火を消して、母さんはいたずら好きの子どもみたいに笑う。
「なんで?」
私の質問に、母さんは質問で返してきた。
「麻祐の考える、エンターテイナーの定義とは?」
その問いに、4年も前の出来事が私の脳裏に浮かぶ。あれは、父さんが仕事で外国へ行く前日のことだ。縁側に腰かけて2人でスイカを食べた夏の夜のこと。
「麻祐はもう10歳になったんだな。将来何になるんだ?」
父さんなんか嫌いだ、と私は思った。10年間生きてるんだから10歳になって当然でしょ。“将来何になるんだ?”なんて、どうしてそんなのんきに訊けるの?
「……知らない」
始まったばかりの思春期特有のもやもやをぐっと飲みこんで、私はそう答えた。
わかんない、よりも知らない、の方が字数が少なくて済むと思ったから。
「そうか、そうだよな。じゃあ……どんな大人になりたい?」
スイカの種をひゅっと庭に吹き捨てた父さんは訊き方を変えた。
大人になんてなりたくない。
父さんに聞こえるか聞こえないくらいの小さなぼんやりした声で私は答えた。
最近聴いた邦楽の影響を受けてか、そう思っていた。
父さんは困ったように、ははは、と呟いた。誰がどう見ても笑い声じゃなかった。
「逆にさ、父さんはなんだったの? 将来の夢。私くらいのときの」
質問攻めにされたくなくて、私は父さんに問うた。
「なかったよ」
あっけからんと言う父さんに、私は全力で“はっ?”という顔と冷たい目を向けた。
なにそれ。将来の夢なかった人が子どもに夢訊く権利なんてないでしょ。ばーか。
心の中で毒づきながら再び父さんを見ると、背中を丸めてスイカをしゃくしゃくと頬張っている。心なしか落ち込んでいるように見える。ひょっとしてさっきの心の声聞こえてた? いや、まさか、ね。でもこんな父さんでも明日から外国に行くのか。こんな父さんでも有名企業に就職できたのか。こんな父さんでも――。
夢がなかった父さんがここまで立派な大人になったということは。夢がある子どもはどんな大人になれるのだろう? 私はどこからか湧いて出てきたわくわくを実物にしたくて、2つ目のスイカに手を伸ばした。
「ね、父さん。今は将来やりたいこととかないけどさ、どんな人になりたいかは決まってるんだ。周りの人たちを楽しませられる人になりたいの」
そこまでひと息で言いきって、スイカのてっぺんにかぷつく。スイカ史上最も赤くて、スイカ史上最も体積が小さくて、スイカ史上最も甘いそれに。
「エンターテイナーってことか?」
しばらく無言でスイカと向き合っていた父さんが、私を見て訊いた。
「えんたぁていなぁ? わかんないけど、それかな」
初めて聞く横文字だ。私はなんとなくオウム返ししておく。
「いいね。応援するよ。ただ、父さんからひとつだけ夢を加えてもいいか?」
「なに?」
夢は他人に加えられるものじゃない気がする、と思いながらも一応訊いてあげる。
「麻祐自身がいつでもしあわ――いや、楽しんでいられる人になってほしい」
なんだ、意外と簡単なことじゃん。
私はそう思ってこくんと頷く。父さんはほっとしたように笑顔を見せたのち、あ、そうだ、と何かを思い出したように呟いて、スイカの皮を庭に思いっきり投げた。
立ち上がってどこかに消えた父さんに、大人なのにガキみたいなことするじゃん、という小声のツッコミは届くはずもない。
「なに? それ」
縁側に帰ってきた父さんの左手には小さなオルゴール。
「ジョプリンさんっていう人が作曲した“The Entertainer”っていう。いる?」
「いや、いいかな」
オルゴール聴く時間があるならどうせスマホで動画見るだろうからなー。
そう思って即答するが、父さんはいつもと違い引かなかった。
「せっかくだから、もらっておくだけもらっておいてよ」
半ば強引に渡され、私はそれを自室に持って帰った。もらったその
「周りの人を楽しませられる人であること、自分も楽しんでいられる人であること」
この2つがエンターテイナーの定義かな、と私は付け加える。青椒肉絲を真っ白の大皿に移す母さんはいたずら好きの子どもみたいに笑った。
「麻祐なら、バレーボールの授業でもエンターテイナーになれるんじゃない?」
「どうやって?」
条件反射で訊き返したが、母さんは反問してきた。疑問文フェスになっちゃうよ。
「それは自分で考えなきゃ。どうすればいいと思う?」
私が首をひねっていると、母さんは“さっ、ご飯食べよ!”と歌うように言ってリビングへ向かった。まったく~、質問してきたの母さんじゃん。まいっか、ご飯だー!
「いただきまーす、って、ピーマン多すぎじゃない?」
手を合わせた私は大皿の青椒肉絲をにらみつけて言った。
「あら、よくお分かりで? ピーマン、書いてあった分量の2倍入れてみたの」
涼し気な顔して冷や麦みたいにさらりと答える母さん。
「よくお分かりでじゃないよー、代わりにお肉たくさん入れてよ」
そんな母さんが面白くて笑いながら言うと、母さんはいたずら好きの子どもの笑顔を浮かべた。よく見る、いつもの母さんの笑顔だ。私はあることを思い立って、箸でピーマンを口にばこばこ詰めこみだした。目の前には、ピーマンだけが減りゆく青椒肉絲の大皿と目を丸くしてきょとんとしてる母さん。
「ピーマン、嫌いで食べられないんじゃなかった?」
その言葉を聞いた瞬間、口の中に計り知れない苦み。くっ、頑張ってたのに。
「どう? エンターテイナーっぽかった?」
口の中のピーマンを何とか飲み込んで、母さんに問う。
私が大嫌いなピーマンをたくさん食べたら楽しんでもらえるかなって思ったんだ。母さんに楽しんでもらえたら、もれなく私も楽しくなる。だから、嫌いなピーマンもエンターテイメントにできるかもしれない、と。
「そうね……驚きはしたかな? 楽しいとはちょっと違ったけど」
失敗かー。まぁいいや。今度のバレーボールの授業でエンターテイナーになってみよう。なろうとしてみよう。夢があればきっと何にでもなれる。
その日の夕食、あれ以降ピーマンを全く口にせずお肉とたけのこだけを拾って食べ続け、母さんに笑いながら注意されたのはまた別のお話。
「交代! ナイサー入るよ!」
その声で我に返って、ハイタッチしてコートに入り、ボールを受け取る。
人を楽しませるために。エンターテイナーになるために。
さっきは、アンダーハンドでも良かったボールにアタックしてみた。そっちのが人を楽しませられるかなって思って。結果失敗しちゃったけど大丈夫。サーブ頑張ろ。
タイマーを見ると残り5秒。得点板を見ると両者14点。打たなければ同点、打てば勝敗が決まる。今までの私だったら時が過ぎるのを待ったのだろう。勝つことはないが負けることもない、引き分けで済むから。でも今の私は違う。
「いきまーす!」
フローターサーブでボールを飛ばす。いけ。ネットを超えろ。祈るように目を閉じると、直後にボールが床に落ちる音。重なるようにして残り時間が0になったことを知らせるタイマーのピーッという音。そして、歓声が起こる。どっちが勝った?
「小谷ナイサー!」
“っしゃぁ!”と私は叫んだ。エンターテイナーになれたことの喜びもこめて。
The Entertainer 齋藤瑞穂 @apple-pie
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