第4話「再会」

「マルコ……さん?」

「シェラ!? どうしてここに」

 真っ白な猫耳がぴょこん、と動く。アルビノ特有の薄紅の瞳が僕を見つめた。直後、

「落ちたぞ!路地裏だ、回り込め!」

 荒くれたちの胴間声が響き渡る。少女は弾かれたかのように起き上がり、口を開いた。

「説明は後です! シェラと一緒に逃げましょう、早く!」

「逃げる、ってなんで僕まで!?」

 そもそもシェラにポーチをスられたのは、僕なんだけど。

「今、商人たちはいつもより気が立っています! マルコさんみたいな余所者の『地図屋』は、それだけで疑われますよ!」

 ぐいっ、とコートの裾をひっぱられ、足を踏ん張って抵抗する。

「わかった。わかったから、せめて盗んだものだけは置いていこう」

「シェラだって生活のためなんです!……でも、ああ、もう。わかりました!」

 わずかな思案ののち、しぶしぶ受け入れたシェラは路地裏に、商人たちのポーチを投げ捨てる。フードをかぶり直し、目立つ毛並みを隠した彼女は、周囲を警戒しつつ、小声で言った。

「隠し通路を使います。少し複雑ですが、マルコさんなら大丈夫なはずです」

 いうが早いか、建物と建物の狭い隙間にするすると−それこそ白猫のように−入り込んで行く。たちまち小さくなる背中を、僕は慌てて追った。


 一刻後。オアシスの街並みを、砂漠の落日が赤く染めていた。

 迷路のように住宅の連なる、貧民街の一角。今にも崩れそうな掘っ立て小屋の中にあって、比較的頑丈そうな、煉瓦造りの二階建ての前で、シェラは立ち止まった。

「着きました」

「ここが……シェラの家?」

「正確にはシェラが、間借りさせてもらっている家です」

 表は開いていませんから、と言って裏口に回る足取りには、ずいぶん手慣れたところがあった。どれくらいここに住んでいるんだろう、ふと疑問に思う。

 ドア代わりに掛けられた布をめくり、先行するシェラは奥に消える。

「……おじゃまします」

 家の中に入って、まず気づいたのは圧倒的な刺繍の量だった。壁掛け、カーテン、カーペット、クッションにも……唐草模様アラベスクから、薔薇やぶどう、鷹に山羊、といった動植物まで、実に緻密な刺繍が、紺色と紅色の糸で織り込まれている。

 壁の材質こそ、日干しレンガがむき出しになっていたが、所狭しと掛けられた色鮮やかな布のおかげで、殺風景という印象はまったくない。

「きれい……」

 無意識のうちに感嘆が漏れる。その独り言に答えるように、階上から軽やかな声がした。

「ふふっ、私の家、お気に召しましたか?」

 声の主は、とても綺麗な人だった。異国情緒ただよう褐色の肌、腰まで伸ばした艶やかな黒髪。ほっそりとくびれた腰からは、しなやかな脚が伸び、階段をゆっくりと降る様は、見事な絵になっていた。

「この辺りの女は、物心のついた時から刺繍を始めるんです。それで、結婚相手が見つかるまで続けて……結婚のときに結納するんです。私はもう、こんなにできちゃって」

 潤いを感じさせる唇が、柔らかい笑みを作る。

「はじめまして。ナターシャと申します。あなたのお名前は?」

「マルコ。『地図屋』です……えーと、その」

「シェラの恩人なんです。今日、市場で偶然会いました」

 言葉に詰まった僕に、シェラがすかさず助け舟を出す。ナターシャは目を細め、

「そう、それなら安心ね。シェラ、私はこれからお仕事に行ってきます。マルコさんは今日、お宿はありますか?」

「いえ。まだ見つけてなくて」

「でしたら、遠慮なさらず泊まってください。こんな狭いところでよろしければ……」

「あ、ありがとうございます」

 思わず恐縮してしまう僕に、ナターシャが歩み寄る。香水の甘い匂いが、ふわりと鼻をくすぐった。

「困ったときはお互い様ですよ。ね?」

 そう言い残して彼女は裏口から出て行った。その後ろ姿を目で追っていると、

「マルコさん。2階に上がりましょう。色々とお話ししたいですし」

 いつのまにかお茶を沸かしていたシェラが、お盆を手に持ち、先に、2階に上がるよう促す。僕は慌てて階段を登った。


 二階は、一階と同じように刺繍だらけだった。八角系の広い応接間を中心に、上下左右に4つの個室がある構造だ。遅れて階段を登ってきたシェラは、お盆を置き、おもむろに絨毯の上に座る。僕もお盆を挟んで腰を下ろし、二人は対面する形になった。

 シェラはフードを脱ぎ、真っ白なワンピース姿をあらわにしている。何から何まで真っ白な彼女の中で、唯一、薄紅色の瞳が僕を凝視する。

 獣人の少女、シェラ。1年ほど前、とある新興宗教がアルビノの子供を生贄にしようとする事件に巻き込まれたことがあった。その時、僕が助け出した孤児が彼女だ。

「シェラはいつからここに?」

「半年ほど前からです。本当は別の国に行く船に忍び……こほん、乗ったんですけど、旅の途中でに巻き込まれて、気がついたらこの街にいました」

 シェラと前に会ったのは、大陸の反対側、極東の国だ。まだ幼い彼女が一人でここまで来れるはずがないと思っていたけど、そういう事情があったのか。

「でも、なんで急に旅に出たの?」

「……マルコさんがそれを聞きますか」

 何故か視線を外し、言葉を濁すシェラ。ワンピースからはみ出た真っ白な尻尾が、びたん、と絨毯を叩く。

「気まぐれです。気 ま ぐ れ。他に理由はありません!」

 ふん、と鼻を鳴らしたシェラは、乱暴にお茶に口をつけたが、「あつっ!」、と悲鳴をあげる。

 思わず吹き出しそうになると、赤い瞳に睨まれた。慌てて話題を変える。

「えーと……ナターシャさんのお仕事って?」

「踊り子です。この街で一番人気の」

 今度は、慎重に息を吹きかけ、温度を確かめてお茶をすすりつつ、シェラは続ける。

「ここに来てすぐの頃、港湾区で困っていたシェラを助けてくれました。彼女も両親がいないみたいなので。それから……その、居候させてもらっています」

 確か、シェラはもともと貧民街の孤児だった。アルビノの毛並みを恐れられ、幼い頃に両親に捨てられたのだ。同じく貧民街暮らしで、両親のいないナターシャは、シェラに同情、いや、共感するものがあったのだろう。

 でも、居候の身でスリは褒められたことではないと思う。

「わかってますって!それぐらい……。とりあえず、マルコさんのポーチはお返しします」

 シェラが取り出したポーチの中身が変わらないことを確かめ、僕はそれを−今度はスられないように−リュックの中にしまった。

「他に何か盗んだものはない?」

「……」

 無言で目をそらすシェラ。

「捕まったらナターシャさんに迷惑がかかるよ?」

「…………これです」

 からん、と金属質の音をたて、ワンピースの懐から立派な金の腕輪が転がり落ちる。

「誰から盗んだの?」

「……」

 立派な腕輪だ。僕の腕には大きすぎる、男性ものだろうか。表面には丁寧な細工が彫られていて、故買屋に持っていけば、金貨10枚にはなるだろう。問題は、見覚えのある紋章が刻まれていることだった。その紋章は、サライの街の正門に掲げられていたものとそっくりだった。

「これ、もしかして領主様の?」

「……」

「返しに行ってくる」

「ま、待ってください!」

 立ち上がろうとした僕をシェラは必死で引き止める。

「それは本当は盗んだんじゃないんです! たまたま、落ちているのを拾っただけです!」

 シェラの口ぶりは、動揺こそしていたものの、確かに嘘を言っているようには思えない。

「わかった。じゃあ、明日僕がこれを領主様の館に持っていく。それで、僕が拾った、ということにして返す。これでいい?」

「……わかりました。そうしてください」

 不承不承、と渋面を浮かべるシェラ。ともあれ、これで明日の予定は決まった。

 その夜、結局、僕はナターシャさんの家に泊めてもらうことになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アトラスの地図屋 @pharaoh-bird

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ