第3話「オアシスの市場」
「船が全部出航停止!?」
レンガ造りの倉庫街に、間の抜けた声が抜ける。予想外に響いた声に、周囲の視線が集まるのを感じ、僕は慌てて身を細めた。
「悪いな坊主、領主様のご命令でな。ここあたり一帯の船は一週間前から全部、港を出るな、とのお達しだ」
そう返す船頭も、すでに似たようなやり取りを何度も繰り返してきたのか、厳つい顔には、あきらめに近い達観が浮かんでいる。
「こっちも商売あがったりだよ、まったく」
とうとうあさっての方向を向いた船頭は、煙管をふかし始める。はあ、と僕はため息をついた。
サライの街北東、港湾部。クスプス大塩湖に面するこの地区は、砂漠の街の持つ、もう一つの玄関口でもある。キャラバン隊と別れた後、僕は真っ先にここに向かった。
こういう港湾部は『地図屋』の需要が多い。特に、遠隔地へと移動する商人には、特産品や交易路を書いた地図がよく売れる。海図を書ける『地図屋』の中には、船乗りに同伴して、遠洋航海に出るものだっている。
岩トカゲとの交戦中に、路銀をあらかた失ってしまった僕としては、ここでどうにか軍資金を稼いでおきたかったのだが……。
(食料と水は……分けてもらったのがあるとして、あとは泊まる場所を探すしかないか)
二度目のため息をつき、市場に向けて歩き出す。
サライの街並みは、元の世界で言うと、西アジア−トルコやイラン、のそれに近い。砂漠の道と、海の道が交叉する、「絹の
夕刻、日中の暑さもようやくなりを潜めてきた時分、市場はさまざまな人たちでごった返していた。
「南洋産の高級サテン、一反で銀貨3枚だ! 壁掛けにしてもよし、服にしてもよし、見て行くだけでも大歓迎だよ!」
威勢のいい商人に腕を引かれかけ、慌てて人混みをすり抜ける。と思えば、
「象牙の首飾りはいかがかい? それともこっちのサンゴの方がお好みかね?」
見るからに高級そうな宝石テントに引き込まれかける。道端の怪しげな占いのテントから、しわだらけの手が手招きする。
(『
香辛料とお香の入り混じった不思議な匂いが、記憶をくすぐる。『アラビアのロレンス』なんていう昔の映画を思い出したりして、意識が少し飛んでいると−− ドン!
「ご、ごめんなさい」
「ってめ、どこ見て歩いてんだよ! あ!?」
僕よりふた回りは大きい男にぶつかってしまう。ターバンとズボンを身につけただけで、裸の上半身には幾つもの生傷が新しい。男の太い腕が、ぐいっと僕の襟元を掴んだ。凄みのある強面が僕を睨む。
「俺はなあ、この一週間仕事がなくてよ。フトコロが寒いんだよ、わかる?」
「そ、それで?」
「謝る気持ちがあるなら、とっとと出すもんだしな!」
恐喝まがいの男の言に、しかし、周囲は距離をとって、遠巻きに見ているだけだ。
(よそ者のいさかいには手助けしない……まあ、わからなくもないけど!)
いよいよ気が立ったのか、男は腰の短刀に手を伸ばす。
(こんな場所で荒事は嫌なんだけど!)
自由な右手を動かし、コートの中をまさぐる。残しておいた最後の爆薬に、人差し指が届いたその刹那、
「スリだ−!!」
市場に悲鳴が上がる。人混みをかき分け、前方からフードを被った小さな人影が走ってきて、あっけにとられていた僕たちに思いっきりぶつかった。
「っ、うわぁぁ!」
「このガキぃ!」
もみくちゃになった3人が、砂埃を撒き散らして転がる。小さな人影は真っ先に起き上がったかと思うと、まだ倒れている僕と男のポーチをひったくり、脱兎のごとく逃げ出した。
大胆不敵な、「三重スリ」。
「捕まえろ! って、おい! お前は勝手に行くんじゃねえ!」
そして自由になった僕は、男の制止を振り切り、スリを追って駆け出した。
「まてえっっ!」
ぐねぐねと曲りくねった裏路地を走る。荷箱を蹴り飛ばし、土ぼこりを立てながら、先行する人影を追う。
盗まれたポーチの中には、テテ砂漠のものを含め、何枚かの地図、コンパスが入っている。
そして何より、僕の奇跡−地図を書き換える力−の源の万年筆までも。
(でも……速い!)
疾走する人影との差はなかなか縮まらない。複雑な街路を知りつくしているスリは、幾度となく方向転換を繰り返し、曲がり角のたびに僕を翻弄する。
「おい、いたぞ! こっちだ!」
スリの進行方向前方、表通りから、何人もの商人たちが姿を表す。期せずして挟み撃ちの形になるが、しかし、
「手間をかけさせやがって……なにっ!?」
商人が捕まえようとした瞬間、スリは常人離れした素早さで腕をくぐり抜けたかと思うと、壁と壁を蹴り、建物の上へと器用によじ登っていったのだ。
「こいつ!」
商人たちは、慌ててはしごを登ろうとするも、その先端は、スリに取り外されていて、どしゃん!、と派手に地面に転げ落ち、腰を強打する。悲鳴をあげる男たちをよそに、僕は表通りに駆け出した。
「それなら……!」
思い切ってまぶたを閉じる。その瞬間、市場の匂い、喧騒、熱気、あらゆる感覚が、皮膚を通して全身に押し寄せ、意識と世界を溶かしていく。瞬間、僕の眼は、市場全体を空から俯瞰していた。
絶対地理感、僕の数少ない特技の一つだ。一度歩いた場所の地形、風景を完全に記憶し、さらに地図の情報や、五感から得る情報と統合することで、擬似的に脳内に俯瞰図を再生することができる。
「っ……いた!」
大通りの西、向かった三番目の建物の屋上。そこにスリの姿を見つける。いや、正確には、記憶や足音から、そこしかありえないと推測する。猿のように屋根をとびうつるスリの行き先を計算し、表通りを走る。
果たして、はしごを登ったその先には。
「見つけた。もう逃がさないぞ」
「っ……!」
フードの下から、動揺が漏れる。スリとの距離は5mもない。
相対してみると、そいつはかなり小さかった。背丈は小柄な僕の胸元くらいだ。
「ここからだと、飛び移れる建物はない。おとなしく返してくれば、悪いようにはしない」
屋上の隅に追い詰められ、じりじりと後退するスリ。表通りの騒ぎはいよいよ大きくなり、屈強な男たちが怒号をあげながら、辺りを探し回る。もはや後はない、スリはそう悟ったのか−−
「ど、どいてくださいっっ!!!」
よりにもよって僕に向かって突っ込んできた。
「っ!?」
砲弾の勢いで身体をぶつけられ、バランスを崩して転倒する。そのままスリと絡み合うようにして、屋上を転がり、身体が浮遊感を覚えた時には、僕たちは裏路地に落下していた。
「……ぃ、痛っ……」
ぶわり、と色取り取りの布が舞い上がる。不幸中の幸い、というべきか、落下地点はサテン屋の荷物置き場だった。鈍い痛みをこらえながら、身体に密着しているそいつを見る。
フードが脱げ、あらわになったのは一対の真っ白な猫耳。そして、色素の薄く、不自然なまでに真っ白な髪。
「アルビノの獣人……。もしかして君は……」
薄紅色の瞳が僕を見る。その顔は、記憶よりも少し薄汚れていたが、確かに見覚えがあった。
「にゃ……? マルコさん?」
「シェラ……どうしてここに」
そのスリは、かつて僕がとある国で知り合った、獣人の少女だった。
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