苗床作り

南雲 皋

無料サンプルにはご注意を

 本多ほんだ里子さとこはどこにでもいる女子高生だった。


 共働きの両親と、同居している母方の祖母と、一軒家に暮らしているという意味では恵まれた女子高生であったかもしれない。


 里子は都立高校に通っていた。

 さほど校則の厳しくない高校では、クラスメイトの大半が化粧をしていた。


 教師に注意されるレベルの濃い化粧を施した生徒と、ナチュラルメイクですり抜ける生徒、そして全く化粧をしない生徒。

 里子は二番目、ナチュラルメイク派に属していた。


 化粧水、乳液、化粧下地、ファンデーション、控えめなピンク色のリップ。


 最近の悩みはニキビと、毛穴の汚れである。


 毎日風呂で念入りにメイクを落とし、風呂上りの保湿にも気を配っている。

 それなのに……里子は鏡を見る度に溜息を吐く。



(額のニキビがやっと治ったと思ったら、次は顎か……)



 その上、鼻にある黒いぶつぶつも気に掛かった。

 イチゴ鼻と揶揄されるその毛穴の黒ずみは、里子をますます憂鬱にさせるのだった。



◆◆◆



 休日、里子は新宿へとやってきていた。

 東南口の改札を出て階段を降りようとした時、目に飛び込んできたのは白いのぼりだった。


《毛穴の汚れにバイバイ! 天然由来の細かなスクラブ洗顔で、ツルツル素肌にこんにちは!》



 階段を降りる足が思わず早くなる。

 どうやら新商品のキャンペーンをやっているようだった。


 のぼりの前で立ち止まった里子に、綺麗な肌をした女性が声を掛けてくる。



「無料サンプルお配りしてるんですよ〜。良かったらどうですか? 洗顔一回でびっくりするほど効果出ますよ!」



 薄いパンフレットと、小さなチューブ容器の入った透明なビニールバックを差し出され、里子はそれを受け取った。



「チューブ一本まるまる使い切っちゃってくださいね、一回分なので。お風呂に入った時、乾いた手で乾いた顔に使ってもらって、マッサージするみたいにくるくる〜って」


「は、はい」


「スクラブ自体はシュガースクラブより粒子が細かいので、抵抗なく使えると思いますよ! マッサージしてると、角栓とか余分な皮脂とかがポロポロ出てくると思うので、適当なところでぬるま湯で洗い流してください。あとはいつもの化粧水とか乳液で保湿してもらったら完璧ツルツルです!」



 里子はにこやかに説明してくれた女性に頭を下げ、広場を後にした。


 道行く若い女の子たちの手には里子の物と同じ無料サンプルの入った袋が握られている。


 どれほどの数の無料サンプルが配られたのだろうと里子は思った。

 一回の洗顔でそんなに効果があるのなら、もらえた自分はラッキーだったと。



 この時は、そう信じて疑わなかったのだ。



◆◆◆



 夜、風呂場に向かう里子の足取りは軽かった。

 もらったサンプルを握りしめ、軽くシャワーで体を流した後、椅子に座る。


 タオルで手と顔をしっかりドライし、チューブの中身を全て手のひらに出した。


 白いクリームは確かに粒感が少ない。

 両手のひらにクリームを伸ばし、顔全体をマッサージするように塗りつける。


 くるくると、頰、顎、そして一番気にしている鼻周辺を特に念入りに。


 多少ピリピリとした刺激を感じたものの、それさえも効果があることの証明に感じられ、里子はマッサージする手を止めなかった。


 少しすると、手にざらつきを感じた。

 里子が手のひらを確認すると、角栓とおぼしきつぶつぶが見える。



(え、こんなに取れるの……? ヤバ、きも……)



 温度設定を下げ、シャワーの蛇口をひねる。

 手に付いた物を流し、両手に溜めたぬるま湯で優しく顔を洗い流した。


 湯気に曇った鏡にシャワーのお湯を掛け、映った自分の顔に里子は飛び上がりそうになった。



(なにこれ超きれい! 鼻の黒いつぶつぶも全部なくなってるし、うわ、これ発売いつって書いてあったっけ、絶対買いでしょ)



 里子の顔は、ツルツルだった。

 毛穴に詰まっていた汚れが全て洗い流されたように。


 里子は上機嫌でスキンケアをし、眠りにつくのだった。



◆◆◆



 スクラブ洗顔の無料サンプルを使ってから数日経ち、里子は自分の顔に違和感を覚えていた。


 何かが皮膚の下に根付いているような、そんな感覚。


 サンプルと一緒に入っていたパンフレットを見ると、ホームページのURLが載っている。


 里子は父親からお下がりでもらったノートパソコンを立ち上げると、URLを打ち込んでいった。


 白と薄い黄色を基調にして作られているホームページは清潔感がある。

 トップページには洗顔フォームの紹介PVが流れるようになっていた。


 その紹介PVの下に、”無料サンプルをお使いになられた皆様へ”という文字があった。

 その文字はどうやらリンクになっているらしく、里子はカチリとクリックした。


____



「初めまして! 当社の無料サンプルをお使いいただき、まことにありがとうございます! 無料サンプルをお使いいただいたことで、皆様は立派な苗床になられました。大事な種をしっかりと育てていただくためにも、この動画で学んでいってくださいね!」


_____



「苗床……? 何言ってるの?」



 動画内でにこにこと話している女性の隣に、椅子に固定された女性が運ばれてくる。

 両手両足が、椅子にベルトで固定され、顔にはのっぺらぼうのようなツルリとしたお面が付けられていた。


 そのお面が説明する女性の手で外された瞬間、里子は息を飲んだ。



「ひっ……!」


_____



「こちらに座ってらっしゃるのは、サンプルを使用されて一週間経過した女性です。A子さんとしておきますね。ではまず、一週間後のお肌の状況から確認していきましょう!」



 お面の下の顔は、真っ黒だった。

 毛穴という毛穴から、黒い何かが飛び出している。


 カメラが彼女の顔に近付いていって、里子にはそれが芽なのだと分かった。



「サンプル使用から約一週間ほどで、すべての種が発芽します! ですが、このままだと開花する前に養分が全部なくなってしまって綺麗な花が咲かないんですよ。困りましたね。ですがご安心ください。間引けばいいんです。この作業は一人で行うことも出来ますが、結構な痛みを伴いますので誰か頼れる人にお願いすることをオススメします!」



 そう言うと、女性はA子の顔に手を伸ばし、ぶちぶちと芽を抜いていった。

 芽が抜ける度に、A子の口からは叫び声が上がり、拘束された身体が痙攣した。



「ギャアアアアアアアア!」


「わああ、すごい声! ね? 痛そうでしょう? 自分一人でやるのはやめた方が得策です。芽ですが、黒に近い色の芽を残すようにしてください。もし真っ黒な芽があれば、それは特級品です。真っ黒な芽以外は全部抜いちゃってください!」



 いつの間にかアシスタントの女性も参加し、A子の顔からは数本の黒っぽい芽を残してほとんど全ての芽が抜き取られた。

 芽の抜けた毛穴からは、膿のような黄色っぽい液体が流れ出していた。


_____



 里子は、自分の顔に触れた。

 あのサンプルを使ったのは、何日前だっけ。


 ひゅーひゅーと、口から息が漏れる。

 身体が震え、歯と歯がぶつかってカチカチと音を立てた。


 もうこれ以上、動画を観ていたくない。

 そう思うのに、停止ボタンが押せなかった。

 まるで里子の身体が、里子のものではなくなってしまったかのようだった。


_____



「芽が出て三日ほどで、蕾になります。では蕾状態のB子さんを呼んでみましょうね。B子さ〜〜ん!」



 ぐったりとするA子が運び出され、同じように拘束されたB子が運ばれてくる。B子の顔からは三本の茎が伸び、その先にはふっくらした蕾が付いていた。

 B子はA子に比べ、明らかに痩せ細っていた。

 芽が抜かれたらしい毛穴は赤く爛れ、膿んでいる。


 B子の顔から生える三つの蕾は、大きさが違った。



「もうお分かりの方もいらっしゃると思いますが、今度は一番大きく育った蕾以外を全て、抜きます。いい花を咲かせるためですから、お願いしますね!」



 女性は二本の茎をしっかり掴み、一気に引き抜いた。



「ぎゃあああああああああああ!!」



 またしても響き渡る断末魔の叫び。

 恐らく失禁したのだろう、B子の股間の辺りの服の色が変わっている。

 B子はしばらく痙攣したのち、運ばれていった。



「さらに三日ほどで開花します! 開花してからのお手入れは簡単ですよ〜。安心してくださいね!」



 カメラが切り替わり、どこかのビルの内部を映し出した。

 白く、長い廊下の中央に、一人の女性が佇んでいる。


 女性は《備品庫》と書かれた部屋に入り込む。

 カメラもそれを追いかけた。


 女性は備品庫の隅にいるらしい。

 少しして備品庫に物を取りに来たと思しき男性が映る。


 その男性の首に、蔓が、巻きついた。


 蔓は男性を軽々と持ち上げ、そして花が。


 女性の顔から生えた大輪の花が。


 男性を頭から、飲み込んだ。


 足の先まで全て飲み込むと、花はその花弁をブルブルと震わせたのち、数個の種を吐き出した。


 女性はその種を拾い、カメラマンに手渡している。



「ご覧いただいたように、花のお手入れは非常に簡単です。人目に付きにくい場所でじっくりと誰かが来るのを待ち構えていれば、あとは花が全て勝手にやってくれます! 種は我が社へお納めいただくことになります。開花した暁には種の保存容器をお送りしますので、当社の発展へのご協力をお願いいたします! では、長々とご静聴ありがとうございましたー!」



_____



「ああああああああああ」



 里子は発狂した。

 顔面を掻き毟り、植物であれば火に弱いのではとの思いから自分の顔をコンロにかざした。


 しかし、何をしても里子の皮膚の下に這う根の感覚は消えなかった。


 救急車の中、焼け爛れた顔に応急処置を施されながら、里子は、絶望した。




【了】

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