3/トレロ・マ・レボロ -21 体温

「──…………」

 深夜、寝付けなかった俺は、ヘレジナの傍に腰を下ろした。

 ヤガタニの寝息が聞こえる。

 神眼を使うまでもなく、階下からも、アーラーヤとクロケーの気配が感じられた。

 ヘレジナの右手を取る。

 固い、固い手のひらだ。

 小さくて可愛らしく、しかし、努力の果てに形作られたヘレジナの手が、俺は好きだった。

「……──はあ」

 寝付けなかったのは、今日だけではない。

 首都マウダンテトを出て二日が経った。

 一睡も、とまではいかないが、二時間も眠れていれば御の字という有り様だ。

 ベッドで目を閉じると、あのときのことを思い出してしまう。

 三人でルインラインに挑み、鎖骨と肋骨を砕かれて吹き飛ばされた。

 身を起こすと、ヘレジナの左胸に、ルインラインの長剣が深々と突き刺さっていた。

「……ッ」

 思わず、ヘレジナの手を強く握る。

 確認したかった。

 彼女が、今、生きてくれていることを。

 アーラーヤによる継続治療は、毎日五回ほど行われている。

 彼が言うには、過剰な回数の治癒術は、逆にヘレジナの肉体に負担を強いるらしい。

 サザスラーヤの血潮のおかげか、今のところ容態は安定しているようだった。

 だが、安心はできない。

 ヤガタニは、アルクハルヴァ神殿では時間を操作できると言った。

 早く。

 早く。

 早く。

 ヘレジナをすこしでも死から遠ざけたい。

 気ばかりが急くが、すこしずつ近付いていくしかないのだ。

 それに、プルのことも心配だ。

 処刑はすぐには行われないだろう。

 だが、時間の問題ではある。

 ハルユラに──そして魔竜と化したルインラインに邪魔させることなく、プルを奪還する。

 できるだろうか。

 作戦は、現時点では立てようがない。

 パレ・ハラドナの情報がほとんどないのだ。

 諸葛孔明ですら、この状況では勘に頼らざるを得ないだろう。

「……くそ……!」

 バリバリと髪を掻き毟る。

 俺は、無力だ。

 だが、無力だからと諦めることはできない。

 プルも、ヘレジナも、俺の大切な人だ。

 ヤーエルヘルとも話したかった。

 ヤガタニのことは好きだ。

 ただ、旅路を共にした仲間として、あの子と悲しみを分かち合いたかった。

「……ヤー、……エルヘル……」

 彼女の名前を呟いたときだった。

「──今日も眠れないのですか?」

 心臓がどきりと跳ねる。

「あ、……悪い。起こしちまったか」

「いえ、起きていましたから」

「……それ、俺がめっちゃ寝るの邪魔してるってことでは?」

「そうとも言います」

「……すまん」

「謝ることはありません。カタナさんは、それだけつらい目に遭ってきた。にも関わらず、また過酷に立ち向かおうとしている。それは、私にとって、尊敬すべきことです」

「──…………」

 そう、だろうか。

 立ち向かうだけでは駄目なのだ。

 俺は、見知らぬ誰かからの努力賞が欲しいわけではない。

 目的を果たさなければ、意味がない。

「……カタナさん」

 ベッドから下りたヤガタニが、俺の傍で立ち止まった。

 そして、俺の頭をそっと抱き締める。

 干し草の匂いが、ふわりと香った。

「ヤーエルヘルでなくて、申し訳ないですが……」

「……いや」

 目蓋を閉じる。

「いいんだ。ありがとう、ヤガタニ」

 ヤガタニが、俺を抱き締めながら、頭をしばらく撫でてくれる。

「すこしは落ち着きましたか?」

「ああ、だいぶ。どうも人恋しかったみたいだな」

「わかります。私も、こうしているだけで、とても落ち着きますから……」

「はは、ヤガタニもか」

「私は、ヤーエルヘルの目を通して、あなたたちをずっと見ていました。触れ合うことはできなかった。だけど、大好きです。ヤーエルヘルと同じように、私も、あなたたちのことが……」

「……そっか」

 独断だが、きっと、誰も怒りはしないだろう。

 俺はヤガタニに告げた。

「なら、ワンダラスト・テイル六人目のメンバーは、ヤガタニに決まりだな」

「そ、……そんな。恐れ多いです」

「嫌か?」

「嫌なはずが……!」

「なら、決まりだな」

「……うう」

 ヤガタニが、もじもじしながら口を開く。

「ひとつ、わがままを言ってもいいでしょうか……」

「なんなりと」

「……今夜は、私を抱き締めて眠っていただけませんか?」

「──…………」

 すこし、驚く。

「いいのか?」

「私が頼んでいるのです。私と一緒にベッドに入ったほうが、あるいはカタナさんは安心して眠れるかもしれませんが、それは私には関係のないことです。私のわがままです」

「……ははっ」

 なんてわかりやすい。

「なら、さっさと寝ようか。明日も一日、御者、御者、御者だ。早く着きたいから頑張るけどな」

「疲れたら、さすらいのマッサージ師が参りますよ」

「そのときは頼むよ、マッサージ師さん」

 俺は、ヤガタニと共にベッドに入った。

 俺の腕がちょうど枕になるように調整し、優しくヤガタニを抱き締める。

 温かい。

 人の体温だ。

 それだけで心が落ち着いていく。

「……おやすみなさい、カタナさん」

「おやすみ、ヤガタニ」

 目を閉じる。

 ここ二日の睡眠負債が一気に襲い掛かってきたのか、俺はすぐに眠りの世界へと誘われていった。


 ──ちゅ。


 頬に何かが触れる感触があったが、気にはならなかった。

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