見果てぬ夢

小鳥遊 慧

見果てぬ夢

 冬の終わり、春の始まり、ちょうどその間くらいの季節だった。まだ気温は低く風は冷たいのに、日差しだけはやけに眩しく春のそれになっていた。駅前のロータリーに止めた車から降りた私は、今の気分に似合わないその明るさに、太陽を一つ睨みつけてから、改札口に向かった。


 私は夢破れて東京から田舎に帰ってきた親友を車で駅まで迎えに来ていた。


 大きなスーツケースを転がしている一年とちょっとぶりに会う早紀は、随分やつれているように見えた。私が手を振って見せると、気付いた彼女は疲れたようにぎこちなく笑った。普段は溌溂としている彼女がそんな風に笑うのは初めてのように思われ、胸が詰まった。


「早紀、久しぶり。車あっちだから」


「加奈、ありがとう。荷物重くなっちゃったから車出してくれて助かった」


 共に東京の大学を出てから私は地元に帰って就職して、早紀は東京に残ってバイトで資金を稼ぎながら舞台俳優を目指していた。だからここ数年は年末年始に早紀が帰省してきた時か、私が東京に遊びに行った時しか会っていない。この前の正月に君枝は帰ってこなかった。連絡も来なかったのでどうしたのかと思ったら、突然『こちらに帰る。帰って親の知人のやってる会社に就職する』と連絡が来たので驚いたものだ。


 車に乗りこんでエンジンをかけるとエアコンから暖かい空気が出てきて、ほっと早紀の空気が少し緩んだ。


「早紀、昼は食べたの?」


「まだ」


「だったら一緒に食べない? 高校の裏山に展望公園があったでしょ。あそこに窯焼きピザの店ができた。私は行ったことないけど、評判はいいらしいよ」


「あんなところに窯焼きピザ。大丈夫? 採算とれるの?」


「安いらしいから高校生がおやつのノリで食べに来るらしいよ」


 私たちの通っていた高校は駅前の少し栄えたエリアからも、大型ショッピングモールからも離れたところにあったので、正直学校に通う高校生くらいしか近づかないようなところだった。ましてやその裏山の展望公園。そこには高校生すらいなくて、私たちは学生の時にはよく占領していた。


「そういえば、どこで働くって?」


「工務店の事務だって。家族経営で、親の知り合いのお嬢さんがもともと事務で働いてたんだけど、結婚して県外に出ることになったからって」


 自分が働くところだというのにまるで他人事のような返事だった。


「いつから?」


「3月からだよ」


「春は結婚が多いねえ」


「加奈はどうなの? いい人いないの?」


 そう、運転している私の横顔を見ながら返事の分かり切ってることを面白そうに聞いてきた。二人で話をして結婚や恋愛の話になる度に私の返事なんて決まってる。


「面倒だし、私は結婚なんていいわ」


 親からの結婚話もうんざりな田舎住まいのアラサーに無遠慮なことを言ってきた仕返しに、こちらも意地悪なことを言ってやる。


「去年散々惚気られた彼氏とは続いてるの?」


「……こっち帰ってくるときに別れたわよ」


 途端にぶすっとした感じで彼女は返事した。そうそう、お互いにこの話は面白いことにならないんだから話ししないに限るよ。



    * * * *



 あの話はあれで終わりにしたはずだったのに、あれから早紀は怒涛のように元カレの愚痴を吐き出し始めた。完全に計算違いだった。だけど話を振った私の自業自得でもあるので、昼食をとってる間もふんふんと相槌を打ちながら拝聴するしかない。


 ようやく早紀の気が済んだのは、昼食が終わって展望公園のベンチまでたどり着いたころだった。


「あー、思ったより美味しかった。本当にお店にピザ焼き窯あったね」


「ね。あの窯のせいで厨房スペースの方が客席よりも広い位だった」


 お腹がいっぱいになったおかげか、彼氏の鬱憤を吐き出したためか、駅で会った時のような疲れきったような今にも消えてしないそうな風情ではなくなった早紀は、満足そうに目を細めて、展望公園から見える街を見下ろしている。公園には土日で学校が休みなおかげか、私達しかいなかった。


「はー、この景色なつかしいね。加奈はたまにはここに来たりするの?」


「……ううん、来ないよ。ここに来たのは早紀と来た卒業式の時以来」


 ベンチに腰かけていた早紀は、立ったままの私の顔を見上げた。その早紀の顔を見たまま続けた。


「『いつか、私が書いた小説を、早紀が舞台で演じる』そう約束して以来、来てないよ」


 高校生の頃、早紀は舞台俳優を目指していた。私は小説家を目指していた。この県では一番の進学校だった高校で私たちは浮いていた。だからよく放課後誰もいないここに来て、将来の夢を語り合っていた。


 違う大学だったが、一緒に東京に出た頃も同じようにあそこのオーディションに出たけどダメだった、あそこの新人賞に出したけどダメだった、そんな話をしていた。


 話をしなくなったのは、私が地元に就職を決めた頃だ。


「あはは、あー、懐かしいね。あの頃は本当に馬鹿だった、あんな簡単に夢みたいなこと。その夢に引きずられてこんな歳まできて。いい加減夢から醒める頃合いだよね」


 流石、演劇をずっとやっていただけのことはある。私ではなく、街を見下ろしながら吐かれたセリフは、軽やかで明るく陽気で、本当にあっけらかんと夢を諦めてそれを自分自身納得しているような調子だった。それでも、彼女の目に涙の膜が張っているのがありありと見えた。


「早紀には悪いけど、私は降りるつもりはないよ」


 早紀は弾かれた様に私を見上げた。


「私はあの頃の夢、諦めるつもりはないよ」


「だって、加奈、大学卒業で……」


「卒業でこっちもどってきて地元の銀行の一般職で就職したけど、諦めたなんて一言も言ってないよ。そもそも小説一本で生計立ててる人の方が珍しいし。それなら生活にコストのかからないこっちの方が有利だし。……まあ実際、諦めてないだけで鳴かず飛ばずだけど……最終選考にすらいまだにいったことないけど……」


 別に威張れるような功績を出せているわけではない私は思わず自虐してしまうが、それでも気持ちを奮い立たせて言った。


「だけどこの先だって諦めるつもりないよ。ねえ早紀、『いつか、私が書いた小説を、早紀が舞台で演じてよ』」


 言った途端、早紀の目から涙がぼろりと零れた。彼女は慌てて俯いて袖口で目元をおさえた。


「加奈の馬鹿。そ、んなこと言われたら、諦められないじゃない。わ、私だって諦めたくなんかない!」


 わっと声を上げて泣き出した先の隣りに座り、背を撫でながら思う。


 私が早紀にした願いは、恐らく呪いだった。折角諦めた彼女をまた引き戻してしまう呪い。けれども、駅で彼女を見た途端、こうして呪いをかけることを決めてしまった。


 私は、あの頃、一緒になってバカみたいな将来の夢を語り合った親友の、あんな抜け殻みたいな笑顔なんか見たくなかったのだ。




      了

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