あなたを待つ小雨の仁沢駅で
成井露丸
あなたを待つ小雨の仁沢駅で
待合室はそっけないセメント床だけど、それは高校時代から慣れ親しんだ空間。ガラス扉から見える改札口。駆け込む女子高生の姿なら、簡単に想像できた。紺のブレザーに、膝丈のスカート。改札機にカードケースを当てて駆け込む。そして一緒に
「――遅いなぁ。
左手首に巻いた腕時計に目を落とすと、まだ十二時前。彼の乗る電車が仁沢駅に到着するのは十二時〇五分。
なんてことは無い、自分が早く来すぎたのだ。両親と三人で暮らす自宅で待っていても手持ち無沙汰だったから。
脇に置いていたトートバッグからスマートフォンを取り出して、カバーを横開きに開いた。
トモキ> ごめん! 新幹線、一本乗り遅れた! ちょっと遅れる!
「っ、嘘ぉ〜っ!」
思わず声を出して、口元を慌てて押さえる。
周囲を見回すと、老夫婦が「どうしたの?」と視線を向けてくれていたので、首を竦めて「なんでもないです」って、恐縮。
みなみ> わかった。いつもの待合室で待ってる。気をつけて来てね!
親指でポチポチと入力して、「了解!」って敬礼する女の子のスタンプと一緒に送信。待合室中央の時刻表を確認すると、次の電車は一二時五〇分着――つまり四五分後だ。
あ〜ぁ、物わかりの良すぎる彼女っていうのも考えものだなぁ、って思う。こういう時は、いつも待っている側が不利なのだ。だって、待つしか選択肢が無いから。――いつからこうなったんだっけ?
高校生の時、彼に突然告白された。
同じ街に暮らして、同じ仁沢駅から、同じ電車に乗って、同じ学校に通学する男の子。それが智樹だった。
勉強はよく出来たけど、どちらかというと大人しくてクラスの中ではそんなに目立たない男の子だった。
一方の私は、ギャルってわけじゃないけれど、高校生活をエンジョイしていた
その告白も、最初は断ろうって思ってた。でも、親友が「えー、いいじゃん。アイツだったら、絶対将来出世するって〜。アッタマいいし。
付き合ってみると、なんだか波長も合って、智樹と居る時間はどんどん楽しい時間に変わっていった。毎朝、待ち合わせて、同じ電車に乗って、学校に行く通学路が楽しみで仕方なかった。
時計の針は一二時丁度を指す。あと、五〇分もある。
小腹が空いてくる時間だけど、彼も昼食は食べてないはず。そもそもお昼ごはんは一緒に食べる予定だったし。
いつも行く喫茶店のランチタイムは午後二時まで。ちゃんと次の電車に乗ってきてくれたら、間に合うとは思う。
今日は彼と、学生時代にもよく食べていた定食を一緒に食べるんだ。
私は振り返り、窓の外、駅前のロータリーを見遣る。待ち合いのタクシー、赤い郵便ポストの向こうに、古びた喫茶店が立っている。
「どうしよっかなぁ〜? ――仕方ない。待ってやるか」
ひとり言で、唇を尖らせる私。なんだか察してくれたみたいに、斜向かいのお婆さんがニッコリと微笑んでくれた。
まぁ、答えなんて初めから決まっていたんだけどね。
それでも、私が「待ってやる」のだってことは、ハッキリさせておかねばならぬのだ。
私はトートバッグから、ブックカバーを掛けた文庫本を取り出す。
去年、見に行った映画のノベライズ。
本当は智樹と見に行く予定の映画だったけれど、彼が帰ってこれなくなったから、高校時代の友達を呼び出して二人で見に行った。
感動して、なんだかちょっと泣けた。
スマートフォンのワイヤレスイヤホンを耳に入れて、ボタンを押すと、音楽が流れ始めて――瞳を閉じる。
『すみません、明日はシフト
『いいのよ、
『え? あ、休日一日だから、日帰りなんです』
『あら、そうなの? 東京もんは忙しいわねぇ。それじゃ、尚更ね。ちゃんとお洒落して、お迎えしないと』
『え〜。いや、もう、五年以上付き合っているんで、そこまでじゃないですよ〜』
『何言っているの。女の子はいつだって、お洒落して、好きな男の子といる時が一番幸せなんだから』
『いや〜、私、もう女の子って年でもないですし……』
『
昨日、そう言って、職場の先輩が背中を押してくれた。
本当に職場には恵まれていると思うし、田舎だけどこの街のことは大好きだ。――智樹がいないことを除いては。
大学を卒業する前に、高齢の父親が倒れた。
父と母は二十歳近く年齢の離れたいわゆる「年の差婚」で、私は父が四〇代後半になってから生まれた一人娘だった。
母はまだそこまで年ではないのだけれど、気が弱くて何事も安心して任せられないタイプの人。そんなだったから、祖父母の介護に加えて父親の介護まで、母親だけには任せられなかった。
だから私はこの仁沢の街に残ることにしたのだ。
大学を卒業して、東京に出ていく智樹を、仁沢駅から見送って。
『大丈夫だよ。LINEもあるし、動画チャットだって無料でやり放題じゃん? ネット越しに繋ぎっぱなしで一緒にゲームすることも出来るし、どうにかなるんじゃないかな?』
あの時は「そんなもんかなぁ」って思った。
もしかしたら、そう思いたかっただけかもしれない。
違う街で離れ離れの暮らし、触れ合えない距離の遠さも知らずに。
腕時計を見る。一二時五〇分まであと少し。
元々、一緒に居られる時間は正午から午後六時までの六時間だけだったのに、さらに一時間も減ってしまった。胸の中で溜息ひとつ。
電車が来る。改札口まで出迎えようかな。
そう思いもするけれど、遅刻した彼にそれをするのもなんだか口惜しい。だから、私は音楽をかけたまま文庫本に視線を落とし続けた。
誰かの気配を膝先に感じる。その人の手が私の耳元に伸び、その指先でイヤホンが外された。
それを合図に、私は今気づいたみたいに顔を上げる。
「ただいま。
「――あ、おかえり」
「ごめん、待った?」
「めっちゃ待ったよぉ!」
でも、嬉しい。口惜しいけど、嬉しい。
「ははは、ごめんごめん。昨日、どうしても仕事を抜けられなくて、遅くなってさ。朝、目が覚めたら一時間寝坊してて焦ったよ。この埋め合わせはきっとするから!」
「ホントだよ。一時間、寒いし、暇だったんだからね〜」
「ごめんごめんってば。それにしても、こっちはやっぱり電車の本数、少ないなぁ」
「だって、仁沢だもん。仕方ないじゃん?」
「ま、そうだよな〜」
「今日は、帰り、六時過ぎの電車だっけ?」
「うん、それが終電。明日の朝はまた仕事だから、それには乗らないと駄目なんだ」
「そっか。じゃあ、あんまり時間無いね、五時間かぁ〜」
「ごめんね。あんまり時間無くってさ」
「ううん、いいよ。戻ってきてくれて、会えるだけで嬉しいから」
私の近くにいる智樹と過ごす一番大切な時間。
それが嬉しいから、逃した一時間が口惜しくて、限られた時間が切なくて、胸がきりきりと痛むのだ。
「おっ、可愛らしいこと言ってくれるじゃん。さすが
「ふふふ、東京にもこんな良い女いないでしょ?」
「あー、そーだなー」
「あれ? 感情がこもってない?」
「いや、本気だって。東京にはいないよ、美波みたいなやつ」
「
「――あぁ、そうだな。仁沢にしかいないな」
そう言って、智樹は照れたように視線を逸らす。ちょっとだけ「してやった感」が嬉しい。
外したイヤホンをスマートフォンと一緒にバッグに仕舞うと、私も立ち上がる。その時、少しだけバランスを崩した私の左腕を、智樹の右手が掴んだ。
刹那、突然触れた彼の手のひらの感触が、二の腕から全身へと、駆け上がるように広がった。
「――大丈夫?」
「……あ、うん」
思わず周囲を見回すと、さっきまで座っていた老夫婦はもう居なくて、待合室には私たち二人だけ。だから、彼のトレンチコートの背中に右手のひらを広げて、そして、その胸にそっと左頬を寄せた。
見上げると、ちょっと照れたような智樹の顔。
やがて、左腕を掴む手の力が緩んだかと思うと、私の背中は彼の両腕がゆっくりと包んでくるのを感じた。
「ただいま」
「……おかえり」
「とりあえず、昼飯行く? お腹減ったし」
「そうだね。いつもの喫茶店で、いい?」
「ははは。代わり映えしないな〜」
「――嫌?」
「ううん、いいよ。あそこのランチ美味しいし。仁沢に帰って来たって感じがする」
「良かった。私も好きだよ」
「ずっと、食ってるもんな」
「うん、ずっと」
体を離した私たちはお互いの手を取る。
そして、そっと頬に唇の感触。
見上げると、照れたような智樹の顔があった。
「じゃあ、今日は仁沢と、美波を満喫するぞー」
「はいはい。でもまずは、ご飯ね。『腹が減ってはデートも出来ぬ』ってね」
冗談を言って「なんだよそれ」「なんだろね」って手を繋ぎながら笑顔を交わす。
仁沢駅を出て、傘を開く。見上げた空からは小雨。
今日は私の大切な日。
五年以上の付き合いだけど、あなたと過ごす時間より幸せなことを私は知らない。だから、短くてもいい。あなたと触れ合っていたい。
智樹と二人で並んで歩く「曇り時々雨」の日曜日。
あなたの横顔の向こう、
あなたを待つ小雨の仁沢駅で 成井露丸 @tsuyumaru_n
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