REVERSE
朔(ついたち)
あの日の真相
「この子の歳? そうね、数えで言うと5歳ね」
国道18号線を南へ。
恭平は東京に向かって愛車を走らせながら、純子の言葉を反芻していた。
ほんの数ヶ月とは言え4年前まで恋人だった筈の女は、ひとり息子だという幼子を愛おしそうに撫でながら、悪びれもせずにそう答えた。
5歳か……。
ということは、あの頃はもう結婚していて子どもまでいたというわけだ。
恭平は自分の間抜けさが恨めしかった。
純子と出会ったのは高校2年の春休み。彼女は恭平のアルバイト先のコンビニの常連客だった。夜の店に勤めているという彼女は夕方になると店に現れ、好物の肉饅を1つだけ買うのが習慣だった。
恭平より5歳歳上の純子は水商売をしているわりに清潔感があり、それでいて大人の色気もあって、まだ女を知らなかった恭平をたちまち虜にした。
その頃の彼は学校の成績も落ち込み、両親との折り合いも悪く、友達の家を転々と泊まり歩くような荒れた毎日を送っていた。だから純子との関係にのめり込み、やがて純子と所帯を持つために中退して就職したいとさえ思うようになった。
それなのにあの頃既に夫はおろか子どもまでいたとは。
知らなかったとは言えとんだ茶番だ。
あの日……。
アルバイトをして貯めた金で買った指輪を渡そうとした時の純子の眼を、恭平は今でも覚えている。
まるで季節外れの幽霊でも見たかのような驚きと怖れ。そして哀れみが、恭平を見る恋人の目には浮かんでいた。
「無理よ結婚なんて、あなたまだ18歳よ。そんなもの、もっと大人になってから考えることよ。あなたは私が初めてだから舞い上がっているだけ。結婚と恋愛は違うの。いつかあなたにもわかる日が来るわ」
そう言い放つと純子は、恭平が買ってきた肉饅をベンチに残して立ち上がった。
せめてこれくらいはと差し出した恭平に、彼女はわざとらしくえづいてみせ、
「どんなに好きな物でも、そればかりだと飽きるのよね」
吐き捨てるように言い置いて去って行った。
あれから4年。
恭平は悔しさをバネに猛勉強し、みごと第1志望に合格した。更に努力を続けて都の採用試験にも受かり、4月からは東京都を象徴するあの高層ビルで社会人のスタートを切ることになっている。
だから今回の帰省は故郷への凱旋のつもりだった。
今の自分を純子に見せつけ、逃した魚は大きかったと後悔させたい。その一心で、昔行ったデートコースを巡り、ついに今日――帰省の最終日――に、ここ――デパートのフードコートで、なんとか純子を見つけたのだ。
「久しぶり、見違えたわ。すっかり大人っぽくなっちゃって」
そう言って笑う純子の足元に、ほんの小さな子どもがまとわりついていた。
「可愛いでしょう? ほらタカシちゃん、このお兄さんにこんにちは! って。
ごめんなさいね、人見知りなの。男の子だからお喋りもあまり得意じゃなくて」
「タカシ」と 呼ばれた子どもは肉饅を手に無言で恭平を見返している。親戚の5歳児と比べると、随分と体も小さく知能も発達していないようだ。そのせいで子育てに苦労しているのだろうか。恭平は純子の化粧気の無い顔や、後ろで簡単に束ねただけの髪、首元のヨレたトレーナーに視線を走らせた。
それでも子どもがいる生活というのは存外に満ち足りたものらしい。純子は恭平の自慢話を羨ましがるでも悔しがるでもなく、柔和な笑みを浮かべて満足げに聞いている。
「そう、都庁に勤めるの。公務員さんになるんだ、凄いね。私の旦那さん? 唯のサラリーマンよ。ほら、あそこで列に並んでいるのが彼。挨拶させるから、ちょっとこの子を抱いててくれる?」
純子はタカシを恭平の膝に乗せると、讃岐うどんの列の最後尾に並んでいた30代くらいの男に近づいた。男は純子と1つ2つ言葉を交わすと、恭平に向かって軽く手を上げ笑顔で会釈する。
これ以上もう話すこともない。
恭平はそう観念すると、戻って来た純子にタカシを返して立ち上がった。
「話せて良かった。お幸せに」
本心からの言葉だった。もう会うことも無いだろう。
もしも純子が独り身だったなら――と、用意していた言葉はポケットの奥に押し込めて、恭平はデパートを後にした。
久々に走る国道18号線。沿道の建物は4年前よりも一層寂れて見える。
恭平もまた寂しかった。この苦さを胸に、春からまた一心に働こう。目の前のやるべきことに忙殺されていれば、いつか自分の気持ちも人生も、落ち着くべきところに落ち着く筈だ。恭平はそう自分に言い聞かせた。
赤信号で止まり、左の車線に並んだ白いワゴン車にふと視線を送る。
すぐにはわからなかった。
だが、無意識に二度見すると、隣の車のドライバーも恭平に反応した。「さきほどはどうも」と口が動いている。
信号が青に変わり、隣の車が少し先のガソリンスタンドに入ったので恭平も後を追う。するとワゴン車の男は車から降り、笑顔を浮かべて近づいて来た。嬉しそうに自分のジャケットの襟元を指さしている。
「やっぱりわかります? これ、■■の1点モノなんですよ。服装を誉めて貰うなんて滅多にないから照れちゃうなぁ」
恭平には、なんのことやらわからない。
「あれ? さっき、デパートで声を掛けて来た女の人のお連れさんですよね? 旦那さんがこのジャケットをかっこいいって言ってるって話しかけてきてくれた赤いトレーナーのお母さんの――あれ? 人違いだったかな?」
いや、それは恐らく純子で間違いない。
だが「旦那さん」とは?
ガソリンスタンドを出て南に向かって車を走らせながら、恭平は考えを巡らせた。
頭の中で転がった情報の断片が、パズルのピースのように組み合されて行く。
突然変わった食の好み。
どう見ても3歳くらいにしか見えない子ども。
「
そうだった。「数えで5歳」なら、あの子はまだ4歳にもなっていない可能性があるのだ。
恭平はポケットに手を入れて、四角い箱の形を指で確かめる。
何をぐずぐずしているんだ。この日の為の4年間じゃないか。
恭平は大きくハンドルを切ってUターンする。
今来た道を北へ――彼女の住む町へと――戻るために。
REVERSE 朔(ついたち) @midnightdaisy1103
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