第7話

 ひとりになると、狭い家なのに広く感じるようになった。柱に残る新しい傷跡も、もう増えない。

 さすがに同情した人が、いくつかお見合いを持ってきてくれたけど、断った。お山ではアタリも子供達も頑張っている。とても、そんな気にはなれなかった。

 それに。

 青葉が感じたはずの寂しさを、ぼくも抱えなければいけない気がして。


 おかしいもので、そんなことにも人は慣れる。

 黄金色の稲穂が重そうに頭を垂れるのを見て、雀が悪さしないように見張るカラスたちに手を振る。勝手な習慣は、いつの間にか村の子供達も真似するようになった。

 彼等が手を繋いで、童謡など歌いながら駆けていく後ろ姿を、眩しく眺めながら家路につくのも当然のように。

 真似をして、小さく歌を口ずさむ。


 我が家から細く煙が立つのに気が付いたのは、もう家の前に来てからだった。

 訪ねてくる人などいない。自分たちのように訳有りの人間でも入り込んだんだろうか。

 おそるおそる、中を覗いてみると、誰かが鍋を火にかけていた。

 誰、と声をかける前にその人が振り返る。


「アオバ、お帰り」


 驚きすぎて、動けなかった。夢じゃなかろうかと頬を抓ってみた。

 痛いと思ったとたんに、今度は青くなる。


「アタリ! 帰れなくなるって!」

「うん。いとまを頂いてきた」


 飄々と、変わらぬのんびりした調子で笑う。

 笑い事ではない。


「そんなことをしたら、アタリが!!」


 ぐいと手を引いて、何とかお山に帰そうとしてみるも、反対に抱き寄せられて動けなくなる。


「せっかく呪をかけたのに。いつまでもひとりでいるから。俺はアオバを一人にしないって決めたのに」

「ひとりじゃない。お山には子供達もアタリも姫様もクラマも……」

「うん。右近も左近ももう十八で、立派になった。だから、俺はまだ出来ることをしにきた」


 宮で出来ることは無くなったのだと、暗に告げる。

 アタリの大きな手がそっと腹を撫でた。


「俺の子を産んで。アオバ。出来るだけ早く。一日でも長く、俺が娘と居られるように」

「……姫様は?」

「起きたよ。相変わらずだ」

「クラマは?」

「毎日ぼやいてる」

「いなくなる方を、どうして選んだの」

「アオバだっていつかいなくなるだろう? アオバのいる時を、一緒に過ごしたい」


 一緒に……私は……私も……


「……アタリと……一緒に、舞いたい」

「もちろん。いつでも」


 姫様には、届かなくとも。


 来年には子を産んでいるだろう。きっと双子の女の子だ。

 時はまた飛ぶように過ぎてしまう。

 それでも、それぞれが、それぞれの、ありったけの幸せをかき集めて過ごせたら。


 ぼくは、アタリの腕の中で、敢えて未来は見ないことにした。

 見なければいけないものが、見えない未来ものに、目隠しをされないように。



 ※ ※ ※



エピローグ(右近)


 簡素な箱に、それを見つけたのは左近ウコンだった。

 母が使っていたという部屋がそのままにされていたので、掃除をした時に何か面白い物でも――父から母への恋文とか――ないものかと箪笥をひっくり返していて見つけたのだ。

 見つからないように、でも大事そうにしまってあった箱に、これだ! と思ったのに、蓋を開けてみると、刺繍の施された四角い布がいくつか入っているだけだった。


「何だと思う?」


 左近ウコンはしきりに首を傾げている。

 ひとつ取りだしてみると、細長い紐が左右上部についていて、短いふんどしのようでもあった。

 よく見ると、春夏秋冬季節ごとの色や刺繍を凝らしていて、改めて母は手先が器用だったのだと感心する。


「判らん。アタリに聞こう」


 アタリは宮では父と呼ばれるのを嫌う。つい、情に流されそうになるのだとか。

 夕餉の支度で厨房にいる時を狙って、箱を差し出す。


「何だ?」


 ふたを開けて、ちらと見るとアタリは目を瞠った。


「どこで、これを」

「母の部屋です」

「アオバの……ああ、らしい、な」


 小さく息をつくと、何やら考え込み始めた。


「それ、なんですか?」

「たぶん、姫様の面だと思うんだが……」


 ああ! と俺も左近ウコンも手を打った。それから同じように腕を組む。


「姫様、そういうのするかな?」

「いつも白い面だよな」

「多分、俺がいる間はしないと思うから、俺がいなくなったら差し上げてみてくれ。気が向いたらお使いになるかもしれん」


 アタリは暇をもらうと決めたようだった。

 寂しいけれど、母の元に行くのだと聞けば、送り出さない訳にはいかない。俺には左近ウコンがいるけれど、母はひとりだ。それが、十年に満たない暮らしになるのだとしても。

 朝、里に下りたカラスたちが夕方お山へ戻ってくる。アタリはことあるごとに里の様子を聞いていた。だから、俺を山へ返してから五年、誰とも暮らす気のない様子に業を煮やしたのだ。

 アイツはこのまま放っておけば一人で死ぬつもりだと。

 まあ、アタリが行けば行ったで、彼が元の時の流れに流されることを嘆くんだろうけど。


 ※


 言われた通り、アタリが宮を出てから姫様に奉納してみた。


「これは?」

「は。母……以前仕えていたアオバの箪笥から出てまいりました」

「アレの……?」


 顔を顰めた雰囲気が伝わってくるが、面の向こうではそうかどうかは分からない。

 姫様は箱の中を思いの外じっくりと眺めると、「本当に、可愛くない奴よの」と呟いて扇子で箱を押しやった。


「片付けましょうか?」

「よい」


 左近ウコンの問いにも素っ気なく答えるが、意外にも受け取るようだ。

 でも、脈はないな、なんて二人で軽口をたたいていたんだが、ある日冬の間で雪見をなさっている姫様が、紗を重ねたようなその面を着けているのを見てしまった。

 柔らかそうな衣装によく合っていて、お顔が見えないのにとても美しく感じる。

 母はよく「姫様はとてもお綺麗なの」と話してくれたけど、世辞でもなんでもなく、心からそう思っていたに違いない。母の作った面は、そう思わせるほど姫様にぴったりだった。


 母がどうして宮から追放されるようなことになったのか、アタリに聞いたことがある。

 彼は自重をこめてこう言った。


「姫様の尊顔を拝した時に、あまりにもアオバに似ていたから、その名が口から零れてしまった」


 姫様のお顔は見る者によって違うという。

 不用意に漏らした名のお陰で、アタリは母の罪を――母のせいではないのだけれど――曝してしまったことになる。

 母は姫様に従順に仕えていたようだから、姫様のお気持ちはどうあれ、黙っていれば、もしかしたら姫様は母を追い出すことはなかったかもしれない。

 しかし、とも思う。

 そうしたら、俺達は産まれていなかったかも。

 そもそも、姫様はどうしてアタリにお顔を見せたのだろう。

 父母ちちははにも、姫様にも、酷く複雑な想いが浮かんでくる。

 尋ねてみたくもあるが、姫様は答えてくれないだろう。


 そんなことを思い出して、不躾にもしばらく見つめてしまっていたら、姫様が気付いてこちらに顔を向けた。

 心臓が飛び出すのではないかというほど強く打って、頬が熱くなる。

 慌てて頭を下げたけれど、頭の中に面の向こうの姫様のお顔が浮かぶようだった。

 もしも拝顔する機会があったとしたら……きっと、とてもお綺麗に見えるんじゃないかな……


 どきどきと高鳴る胸が、それを予感させた。




 ※ 青葉眩しき山神さまの二葉葵・おわり ※

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