今日のごはん 異世界変 『ちらしずし』

石束

ちらしずし


 昨日までの雨が嘘のように上がった午後。

 健太はわたがしのような雲が転がる空を眺めて

「……」

らしくもなくため息をついた。


 思い当たる理由のない集団転移で、現代社会とは何もかも違う異世界に飛ばされた人々が助け合って生きる小さな村があった。

 特に理由もなく、召喚されたものでもなく、勇者でも魔王でもない。死んでいないので帰りたいのだが、帰還方法のアテもない。

 何をすべきか? と考えた彼らは自分たちの生活を成り立たせ、帰還方法を探すためにささやかでゆるやかなコミュニティを作り、助け合って生きることにした。


 そんな少年の村は小さく、貧しい。大人たちが頑張っているおかげで日々の食事に困ったことはないが、いつだっておいしいものが食べたいのは彼だけじゃないだろう。

 でも、大人たちはいうのだ。


 ――贅沢はいけない。いつものご飯はお腹がいっぱいになって、明日頑張ろうとおもえるくらいで丁度いい。


 そして、きまってこう続ける。


 ――なにしろ、ごちそうってのは、命がけだからね。


「……」


 健太は不満だった。

 なぜ自分の誕生日は、年に一度の村祭りと同じ日なのだろう?

 違う日なら、ごちそうが二回食べられるのに。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 じりっ……じりっ。


 蜜蝋で作ったろうそくがかすかな音をたてる。

 橙色の温かい光がてらす、村の集会所で「大人たち」が車座にあつまっていた。


 今日は村祭りの相談するための寄り合いだった。だがいざ始まってみれば、しわぶき一つない重苦しい静寂が、立ち込めている。


 小さく息を吐いて、枡居寛治は口を開いた。


「ちらしずしを、作ろうと思う」


 声は上がらなかった。反対も賛成も。

 寛治は視線だけを滑らせて、問いかけた。

「和津紗。しいたけはあるか?」

 視線の先に、明るい髪色の少女がいる。

「干したやつを入れても全員分にはたりないわ。毒抜きしないと」

 この世界のしいたけは食中毒の末に死ぬこともある毒キノコだった。彼女は異世界にきて魔術の才能にめざめ、ついにしいたけを食用に加工することに成功した。

「錦糸卵はどうだ?」

 別の女性が手を挙げる。

「オオダチョウの卵を割りましょう。しばらく動物性たんぱく質が卵のみになるけれど」

 それは卵が鶏卵に近いゆえにそうよばれているだけの、翼のない竜種だった。

 もちろん卵を強奪するのは命がけになる。あとその小ぶりな冷蔵庫ほどもある巨大な卵は常温で放置して二年たっても食べられるというすさまじい食材であった。


「鈴木さん」と次に寛治が呼んだのは、長い黒髪の女性だった。

「えび。今年もお願いして、いいですか?」

「承知しました。」

 鈴木は静かに言って、うなずいた。


 準備はこれにとどまらない。

「絹さや」

「れんこん」

「のり」

「かんぴょう」

「すし酢」


 恐ろしい種類の食材が必要であり、同時にそれぞれの食材に相応の『困難』が必要だった。

 そして――


「米が……いるな」

 その声は、部屋の隅からした。

「健太も五つ。――向こうにいたなら、七五三だ。祝って、やらんにゃあ……」

 小柄な年寄りだった。壁に背を預けて、胡坐をかいている。

「じいさん……」

 寛治は口を濁した。迷いが見えた。それを老人が笑い飛ばした。

「わしがいくよ。いかせて、くれ。」

 そして、そのかわりといっちゃあなんだが。などと莞爾と真っ白い歯をみせて

「寛さん、サケとイクラ。任せてもいいかい?」

 そういった。

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 バケツをぶらさげ、道具を担ぎ、歩くこと半日。

 鈴木聡美は村からほど近い川の上流にいた。


 日は沈み、森は沼のような暗闇に浸りきり、水面には星の明かりがかすかに揺れてる。

 聡美はバケツをおろし、光魔法を施した光源をおおきな木の木陰に据えると、自分自身から見て、左の前方、野球の守備位置でいうところの二遊間にネットを張る。


 森は静かだった。濃く深い息吹とともに、青いヘルメットを身に着け、ケースからアオダモのバットを取り出す。


 足元は自作のスパイク。ヘルメットが某有名選手の日本時代のレプリカなのは、ファンである以前に彼女が左利きだったから。

「……」

 二度三度素振りをくれて、足元をならす。背筋を伸ばし、手元を一回転。

 こぶしを前方に突き出し、バットを垂直に立てる。

 一瞬の静止――闇の奥で「ばちん」と音がして何かが跳ねた。

 のみならず、その何かが彼女へ、正確には彼女が傍に設置した光源へ飛ぶ。

 それが視界に入った瞬間、聡美のバットが一閃した。


 かああん。と澄んだ炸裂音とともに打ち返された「それ」がネットの中に飛び込み――ぽとりと落ちた。

 落ちたのは そこそこ立派なサイズの川エビだった。


 このエビに似た何かは、見かけと味こそエビそのものであるもの、暗闇の川で光と熱に向かって飛ぶという非常に物騒な生態をしていた。

 しかもゆでる前の皮に魔力が宿っており、革鎧を貫通するくらいの威力があった。

 地元の人間は巨大な羽子板のような専用の道具を使うか、外した戸板を持ってきてその前で焚火をするなどして、捕獲する。


 だが聡美はその例にならわなかった。早々に見つかったアオダモのような木でバットを作り、打ち返すことを選んだ。事実これは効率的な方法だったが、そもそもバッティングセンターで設定169キロのストレートを弾き返せる聡美だから、可能なのである。こればかりは他の誰にもまねができなかった。


 鈴木聡美は事務を得意とする普通の会社員で、日々のうさをバッティングセンターで晴らすのがたった一つの趣味だった。次々に家庭に入る友人たちとおんなじテンションになりそこねた彼女は恋愛にも消極的でまだ独り身だった。

 そして、あの日、学生時代の親友の家を訪ねた時、集団転移に巻き込まれた。


 聡美は必死に友人をさがした。なまじか無事な自分が呪わしかった。

 友人は妊娠していたのだ。


「……――っ!」


 心のぶれが影響したのか、100を超えたところで、聡美のバットが空を切った。

 一度、バッターボックスを外し、素振りをする。

 自分自身を点検し、調査し、修正し、調整する。

 時計のように、精密なルーティーン。

 聡美は再び、バットを振り始めた。


 友人を聡美が見つけた時、彼女はすでに虫の息だった。

 集団転移に巻き込まれた中には医師も看護婦もいたのだが、限られた環境や設備ではどうすることもできなかった。

 かろうじて見つけた洞窟で雨をしのぎ、集まったものが祈る中、彼女は一つの命を産み落とし……そして、帰らぬ人となった。


 自分が死ねばよかった。

 友の忘れ形見を胸に抱き、そのあまりの弱弱しさに怯え、その温かさに涙しながら、聡美は慟哭した。

 自分なら誰も悲しまないのに、自分なら死んでもよかったのに。

 なぜ運命は、子供から母親を奪ってしまうのか。


 ――ああ! 自分が死ねばよかったのに!


 そう叫んだ聡美の頬を、友人を共に見送った女性の平手がうった。


「めったなことをおいいでないよ! 人はね。生まれて生きているだけで、奇跡なんだ! その子が奇跡なら、あんたが生きてその子を抱いているのも奇跡なんだよ! 泣いている暇なんてないんだ! その子はあんたが抱きしめてやんなきゃ、明日にも死んじまうんだよ!」


 聡美は呆然と、胸に抱いた嬰児を見た。今にも消えそうな命が生きようとしている。それを言葉ではなく、熱と鼓動で理解した。

 重く、熱いそれを、聡美は泣きながら抱きしめた。


 彼らが、この世界で初めて手にした新しい命。


 その命は「健太」と、すでに名付けられていた。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 数日を経て、ようやく、聡美は村へ帰った。

 前日に雨が降ったため、予定から遅れてしまったのだ。


 雨上がりの青空に、わたがしのような雲が転がっている。


 持って行った三個のバケツは川エビでいっぱいだった。用意の荷車にバケツと道具を積んでゆくと、やがて、村の境界の柵に腰かけて、こちらを見ている小さな人影がみえた。


 ――こまった子だ。

 聡美は、立ち止まった。

 ――いつから、あそこにいたのだろうか。


 一年たった時、ただ夢中でしかなかった。

 二年で安堵し、三歳を迎えてようやく祝う余裕ができた。

 四年で、村を挙げての祝祭になった。


 いつか、そんな村の祭りの始まりを、あの子に伝える日が来るだろうか。


 そんなことを思いその場に立ち尽くす聡美にむかって、柵を飛び降りた少年が駆け出すのが見えた。



 完

 

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