病室の花火

大滝のぐれ

病室の花火



 脳裏によぎるのは、ミズノがどさりと教室の床に倒れ込む光景だ。ちょうど社会の授業の真っ最中で、ヒスパニック系に関して説明していた教師の朗々とした声が、重々しい音によって寸断される。ミズノさん、ミズノさん。どうしたんですか、大丈夫ですか。ぴくりとも動かない彼女を爆心地として、教室中にざわめきが広がっていく。しかし、誰も席を立とうとはしない。教卓に足をぶつけながら、教師がミズノの元に駆け寄っていく。ミズノさん。ミズノさん! 彼女の血の気の失せた顔やそれを彩る前髪が揺れる。それでもまぶたは開かない。部屋中に漂う無数の言葉も、収まっていく気配はない。それに加わらないまま、私は教科書と前方に横たわるミズノへ交互に視線を向けた。

「おそらく、例のあの病気だと思います。これじゃあ、定時砲撃にミズノさんは参加できないかもしれませんね」

 大小さまざまなノイズをかきわけ、教師の言葉が銃弾のごとく私の耳に届いた。クラス中の視線が、いっせいに彼の腕の中のミズノへ注がれる。ふいに窓の隙間から吹き抜けた風が、カーテンを揺らしていく。


「ちょっと、ちょっとニシミ。似合ってるかな、って聞いているのですが……無視ですかな。おーいおーい」


 あ、え? 自分自身の呆けた声で我に帰る。ベッドの上に裸足で立っているミズノが、全身を見せびらかすかのように体をよじる。その動きに合わせ、朝顔と金魚が封じ込められた水色の布がはためく。私が家の物置から引っ張り出してきた浴衣だ。彼女がどうしても着たいの、とごねたので、急遽持ってきた代物だ。祖母の代までうちは呉服屋だったので、簡単な着付けは幼い頃から習っていた。


「似合ってるよ」

「本当? やったあ」

 ぽこん。てのひらの中、開いたままの携帯の画面に吹き出しが現れる。それを一瞥し、私は電源ボタンを押し込んだ。不鮮明な自分の顔が映り込む。


「マジで嬉しい。浴衣なんて着たことなかったからさ。ニシミ、ありがとう」

「うん、って、ちょっと」

 ミズノは突然身をかがめて私の手を握り、感謝の言葉を述べた。携帯がシーツの上に置き去りにされる。その瞬間、耐えがたい冷たさが手から全身へと突き抜けていった。彼女の腕を、反射的に振り払ってしまう。

「冷たっ」

「あ、ご、ごめん」

 そうだよね、忘れてた。もう私死んでるんだった。ミズノが心の底から悲しそうな顔で私を見る。素早く目を伏せ、シーツの上の携帯へと意識を逃がす。消灯した画面に映る自分の顔を、先ほどのように直視することができない。


 あの日の教室で、ミズノはたしかに死んだ。だが厳密に言うとその表現は適切ではなく、実際には魂が体内に残っているのに(最近の研究で魂は明太子の形をしていることがわかっている)、肉体だけが死を迎えた状態になっていた。メメント小盛病というこの奇病は、今や世界中に広がっていて、まだ有効な治療法は見つかっていない。でも、特になにか発作が起きたりいくつも薬を飲まなくてはいけなかったりすることはない。患者は普通に生活ができるし、年老いたり別の病気に罹ってそれが悪化したりすれば、普通に死ぬ。


 だから、なんの問題もない。本来、ならば。


「いやこちらこそごめんね。ミズノ、病気で大変なのにこんなことして」

「ううん。むしろニシミのほうが心配。私がいなくなって、ニシミひとりにターゲットが集中してない?」


 私とミズノは友人であると同時に、共にクラス内で最底辺の地位におり、たびたびストレス解消のためのおもちゃにされていた。その行為の苛烈さは、日に日に増している。私は一年前も同じような地位と環境に身を置いていたが、現在受けているいじめはそれよりも断然ひどいものになっていた。とうぜん納得はしていないが、今のこの状況では無理もないことなのかもしれない。


「ううん、大丈夫。いつもと変わらないよ」

「そっか、ならよかった」

 明るい殺菌灯のような笑顔が、目の前に浮かぶ。彼女が病気になる前までは、当たり前に幸福な気持ちで眺められたそれが、憎たらしく思える。先ほどまであった罪悪感めいたものが、消えかけそうになっている。


 そのとき、病室に設けられた窓の外に、美しい光の花が咲いた。お、始まったね。浴衣にしわがつかないように気をつけながら、ミズノはゆっくりと私の隣に座る。そこからは黒い空に広がる花火がよく見えたが、私は手元の携帯に目を落としたままでいた。ぽこん、ぽこん。吹き出しが生み出され、どんどん積み重なっていく。私自身が中の文面を入力したことを知らせる緑の吹き出しが現れるたび、そのペースは早まっていく。


「そういえば、定時砲撃ってたしかそろそろだったよね、うちの学校も。参加したかったな。校庭に砲台が置かれて、そこからいくつも弾が出て、炸裂して……ちょうど、この花火みたいに」

 違う、違うんだよミズノ。今見ているものはお祭りの花火じゃないんだよ。あんたの言う、定時砲撃なんだよ。そう言いたくなるのをこらえ、私は彼女に話を合わせる。最近お祭り多いよね。よく花火があがってる。りんご飴とか食べたいなあ。よくなったら行こうね。場を取り繕うために発した言葉が、どんどん私自身を引き裂いていく。しかし、それは悲しみや友愛のためではない。もっとおぞましい、グロテスクな感情のためだった。それこそ、現在進行形で空を覆っている、地球を滅ぼすとされる、でかい生き物の皮膚のような。


 魂の正体が公になった理由。それはそいつのせいだった。このよくわからない超生物を滅ぼすために、人から作り出された明太子が弾の原料として必要不可欠だったのだ。そして、研究の過程で十五歳から三十歳程度の魂明太子が適していることも、メメント小盛病でイレギュラーに魂が離れていった人とは違い、人為的にそれを取り出された人間は本当の意味で『死』を迎えることもわかった。だから、今ミズノがお祭りだと勘違いして見ている花火は、彼らの命が散っていくときに生じる、結末としてはあまりにむなしすぎる光にすぎない。


 でも、ミズノはそのことを知らない。定時砲撃があります、魂明太子がとれます、ということは倒れる前に聞かされていたが、そうなった人間が死んでしまうということは、その翌日にクラス全員説明された、隠し通されていたことだったのだから。もちろん、私たちもそのとき初めて、その事実を知ることになった。自分以外の、会ったことも話したこともない誰かのために、命を使え。未来を繋げ。そんなこと、納得できるはずがない。だから私はここにいる。ミズノが入院している、メメント小盛病専用の大病院に。


「元気そうでよかったよ、ミズノ。本当に」

「なに、どうしたの急に。こちらこそ、ニシミが友達でよかった。すごく辛かったの、いじめられてるとき。ひとりじゃ、耐えられなかった。本当に、感謝してる」

 体が安定したら、きっと外出できるから。そしたら、一緒にお祭り行こうね。ミズノは氷のように冷たい手を私のてのひらに重ねた。花火が激化するにつれ、携帯の画面の中で先ほどからずっと開きっぱなしになっているクラスのライングループも盛り上がっていく。そこに生じる吹き出しには、思いつく限りの呪詛の言葉が詰まっている。


『私たちがこんなになっているのに』

『ミズノは、あいつらは、そんなに元気で楽しそうにしているのか』

『許せない』

『死ね』

『消えろ』

『なんでお前らなんだ』

『病気のくせに』


「本当に、よかった。二度といじめられずに済んで、本当によかったね」

 ん、なにか言った? ミズノは私の言葉が聞き取れなかったらしい。なんでもないよ。そう言いながら、私はようやく携帯から手を離す。定時砲撃の音に混じり、怒声や罵声、なにかを叩く音がゆらゆらと立ちのぼってくる。その中には、明らかに中学生ではない大人の声も混じっている。誰かが声をかけたのだろうか。前々からそういう団体がいるのだと、クラスの男子が話していたのを聞いた覚えがある。

「お祭り行きたーい! はやくよくならないかなー」

 そんなこと言わないで、ミズノ。それなら今すぐ、お祭りに参加させてあげる。だってもう、すぐそこまで来てるんだよ。

 足をじたばたさせる浴衣の少女を眺め、ようやく私は笑うことができた。

 


 

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病室の花火 大滝のぐれ @Itigootoufu427

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