冬、白い烏は渡り来る。

瀬塩屋 螢

還る場所

 黒いしっかりとした扉。

 それは田舎の町外れにある、とても古い洋館の、重く閉ざされた扉だ。

 地元では、魔女が棲む。そう言われて、心霊スポットとしても名高い。もっとも、今は冬なので、そんな噂を種にここに来る物好きはいない。

 俺は少し躊躇してから、コートのポケットから、月の光で鋭く輝く銀の鍵を取り出して、鍵穴に差し込んだ。鍵は軽い音を立てて回る。


「ただいま」


 俺の声が虚しく玄関ホールで木霊する。玄関ホールは天窓から差し込む月の光だけで、仄暗い。本物の幽霊屋敷のようで、思っていたものと違っていただけに、俺は眉を潜めた。

 あの人はいないのだろうか。

 俺は両手に抱えていた買い物をほっぽりだして、リビングへ続く扉を開けた。


 リビングも暗闇の中だった。

 扉横の壁のスイッチを手探りでつける。


 一度ぱっと明るくなり、瞬きをするように電気が点滅してから、リビングの中を照らした。そこは記憶の中と変わらない。懐かしい空間だ。

 視界の中にあの人を見つけた。ソファに横たわっていた。姿を見つけた瞬間、あの人の元に駆け寄る。


魔冴まささんっ!!」


 横になっている彼女に視線を合わせるように、ソファの前で屈む。

 綺麗な形をした唇から「すぅ……すぅ……すぅ……」と、規則正しい寝息が聞こえた。胸のあたりも微かに動いているので、本当に寝てしまっているらしい。


 ただ寝ていると言う事が分かり、俺はソファに手を付いて長いため息をつく。

 ほっとしたような、心配して損したような。


 魔冴さんは魔女だ。魔女だが、黒い癖のない長い髪に、肌は雪みたいに白い。身体の線が細いから尚更、病弱に見える。

 長いまつげや赤い唇は化粧を施す必要がない位整っている。今日は服も黒いから、足や腕が殊更寒そうだ。本人は平気かもしれないが、毛布くらい掛けてやらないと。

 魔冴さんがいたことに安堵し、俺は二階の寝室へ上がった。

 玄関ホールから続く二階部分も、記憶とまるでたがわない。

 魔冴さんの部屋に入る。天蓋のついた簡素なベットから、毛布を引っぺがし、持って降りた。


 魔冴さんは変わらず、眠っている。魔力を使い過ぎたんだろうか。昔より眠りが深い彼女の様子に、俺は眉を潜める。


 見た目は何も変わっていない。十五年前俺を拾ってから、魔冴さんは二十代前後の若い姿のままだ。年齢は昔尋ねた時、まだ二百歳弱だと話してくれた。若作りをしているわけではなく、単に成長のスピードが遅いのだとも。


 ガキの頃、その話を聞いて嬉しかったのを覚えている。あと何年か経てば、彼女に見合う男になれると。


「そう思っていたのになぁ」


 その小さい身体に毛布を掛けた。

 魔冴さんは、変わらず寝息をたてている。


 魔冴さんとの出会いは、俺が小学生に上がってすぐの冬だった。

 実の両親は揃いも揃って、パチンコに不倫。挙句暴力を振るうようなろくでなしで、幼心に延々とその両親を恨んでいた。ましてや、小さい田舎街だ。そういう親がいる子供は、子供同士でも煙たがられ、度々攻撃の対象になった。

 ある日の放課後。俺が一人で帰っていると、突然後ろから突き飛ばされ、ランドセルを取り上げられた。同級生とその兄弟たち五、六人はいただろうか。

 遊び半分でランドセルを取り上げた彼らは、意地の悪い笑みを浮かべこの洋館の方へ走った。


 見てくれだけは気にする両親だったので、唯一買ってもらったランドセル。これが無くなったら、本当に親に殺されるかもしれない。そう思って、俺は必死に彼らを追いかけた。


 洋館に着くと、あいつ等はランドセルを乱雑に地面に投げて、蹴りだした。俺は必死になって喚いて、ランドセルをかばうように奴らの足下へ潜り込んだ。

 背中の痛みに何度も堪え、もう無理かもしれない。

 そう思った時、魔冴さんが現れたのだ。


『うちの前で、やめて頂戴』


 不思議と温かい気持ちになった。

 俺を蹴っていた奴らは、幽霊屋敷のはずの洋館から人が出てきたことに驚いて、転がるように逃げて行った。彼らの声が遠くなってから、俺はゆっくり顔を上げて、救ってくれた主を見つめた。


 魔冴さんとしばらく無言で見つめ合っていると、彼女は門扉を開いた。


『早く治した方がよさそうだな』


 声は冬の風みたいに冷たい声色だったが、今まで出会った誰よりも優しくて、俺は彼女の声に従う事にした。


 それから、俺の事情を聞くと鬱陶しがりながらも、魔法を使って俺を魔冴さんの子供にしてくれたり、世話をしてくれたりした。


 高校や大学はもっと広い世界を知るべきだと、半ば強引に都会の学校に行かされたけど、本当はずっと魔冴さんと一緒に居たい。


その為に帰って来た。


「いきなり帰ってくるな、びっくりする」


 食卓に並んだ料理皿を片っ端から綺麗にしていきながら、魔冴さんは半眼を俺に向けた。

 美人の尖った視線は、痛いがその理由が、照れ隠しなら話は別だ。寝起きに抱きついてきてから、ずっとこうなのだから、その言動をひどく愛らしいと思ってしまう。


「しかも、私と一緒に過ごしたいなんておかしなことを言い出して、」


「可笑しなことじゃないですよ」


「仕事はどうするんだ」


「今、貴女が食べてる料理なかなかいけるでしょ。魔冴さん、魔力使うのにご飯食べてないみたいだし、ここに一人でいさせるのすごく心配」


 貴女にこの家を追い出されてから、貴女が一度誉めてくれた料理の道に進みました。そして、向こうで就職して、腕を磨いて、また帰って来たんです。

 そうやって、俺は魔冴さんに畳みかける。


「こんな田舎で」


「最近はUターンとか言って、都会から戻ってくることは珍しくないですから」


「お前はそれでいいのか」


「?」


「ここはお前にとって嫌な記憶のある場所だ。私の為に戻ってきてよかったのか。そう聞いている」 


 魔冴さんの心配事に俺は頬が緩んでしまう。

 俺の貴女と会うまでの記憶は、貴女と会うためにあった話。

 貴女と出会えたのなら、それはもうどうでもいい過去のこと。

 誰よりも優しいこの人と一緒に居られるのなら、俺にとってこの街は最高の街だ。

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冬、白い烏は渡り来る。 瀬塩屋 螢 @AMAHOSIAME0731

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