悪狐の葬送

犬怪寅日子

葉の上をすべる朝露も今はなし



 みんな自分で死んでしまった。

 伝之助は仙狐に遠く及ばない野狐なので三までしか数を知らなかった。死んだ人間の数は遥か昔に三は超えたと思う。最初のうちは三回を三回繰り返し、また三回繰り返し数えていたが、三回以上の所で数えられなくなった。たくさんの人間が自ら首を切って死んでいった。

 伝之助は人間が腐る前に土に穴を彫り、埋めて、そこに引きちぎってきた枝を刺した。仙狐になるためにそうした。枝は枯れずに葉を生やし、むくむくと大きくなって緑の海になった。時が来ると白い花をつけ、そのうち黄色の丸い実をつけた。今も緑の海の墓にたわたと実がなっている。

 伝之助はその実の匂いが嫌いではなかった。

 今日も一人、泥濘み足を取られながら男がやってきた。男は伝之助と、星降る緑の海を不可解そうに眺めた。かつてこの先には道があったのだ。今では墓に埋もれた。

 伝之助は数が三までしか数えられないので、人間たちのこの不可解そうな表情も三以上という数でしか考えられなかった。みんな同じ顔をする。

「ここに我が王がいるはずだが」

 伝之助は久しぶりに人間の言葉を聞いたので得意になって答えた。

「王は死んだ」

 男は目を細めた。

「貴様は何者か」

「しゃれこうべだ」

「そうは見えぬが」

「見えぬようにしているのだ」

 人間は狐がしゃれこうべを被るものだと知らないらしい。知っていたのは王だけだった。王はひとつしゃれこうべを持っていた。誰のものかは知らない。王は一番最初に首を切って死んだ人間だった。顔だけがこの先の道を通っていった。

 男の眉根に皺が寄っているのが面白くて伝之助はその周りを走った。

「お前には私が何に見える?」

 男は律儀に伝之助の顔を見ようと首をくるくる動かした。

「小童に見えるが」

「ならばお前には私は小童だ。王はしゃれこうべを被った私を后と見た」

「后?」

「私は三まで数を知っている。私は一から三の人間に化けられる。人間が見る私は三つある」

 伝之助はもはや自分がなぜこうも走り回っているのか分からなかった。なぜかしら歓喜の情が湧き上がってきていた。泥が脛に飛ぶので心地よかったのかもしれない。男はまだくるくる首をふって伝之助の顔を見ようとしていた。やはり楽しくなって伝之助は叫んだ。

「王は死んだ!」

 叫んだ途端に走るのに飽いて伝之助は止まった。男の顔には白い髭が生えていた。それまでここに来た人間もみな同じような風貌をしていた。もっと前には若い人間がいたように思うが、上手く思い出せなかった。男は腰が曲がり始めていた。

「なにゆえ王は死んだのか」

 その言葉はやはり三つ以上の人間が言った。伝之助はすっかり舌の上に張り付いた伝令を述べた。

「王は言った。情勢を鑑みれば従うより他はないが、彼の国に従い生き延びることは出来ない。まして、かつてこの手で煮殺した男のハラカラの治める国へどうして身を寄せることができようか。顔を見せねば我が国と我が朋輩を討つというのならば、ここで首を切ろう。彼の国に首を届けよ。さすれば彼の国も我が国民や、モンカのショッキャクどもにも手出しはすまい」

 他の人間たちと違い、この男はそれを聞いてもすぐに首を切らなかった。

 伝之助はその顔を覗き込んだ。

「ハラカラとはなんだ」

 男はただ答えた。

「同じ血を分けた者たちだ」

「ではモンカのショッキャクとはなんだ」

「命を賭して主に使える者どもだ」

「お前もモンカのショッキャクか」

「いかにも」

 男は懐からぎらりと光るものを取り出した。それは首を切るための道具であった。

「私が最後の食客である。門下一番の若輩者だ」

「ジャクハイとはなんだ」

「年若く弱き者のことだ」

 伝之助には男が弱い者には見えなかった。声が野太く低かったし、白い髭は王のものより多かった。男は不思議そうに伝之助を眺めた。

「貴様はなにゆえここにおるのか」

「王がここに居よと言った」

「なぜ我が王に従う」

「仙狐になるには徳がいると聞いた。王の首を先の王に届け、王の体を土の中に埋めればそれが徳となると王は言った。ショッキャクが次々首を切るのでそれも届けた。私はここでたくさんの徳を得た」

 男は頷いた。

「王の墓はどこか」

 伝之助は緑の海を示した。

「これが墓だ。体を埋めたのち枝を刺し墓とせよ王は言った。枝を刺したら葉が生えた」

 男は瞳に涙を浮かべた。

「よき墓だ。ここには誰も近づかぬ。我が首も届け体をここへ埋めよ」

 伝之助は男がまもなく死ぬことを知り、悲しくなった。

「私はまだ王の言ったことを守れていない。それを守らねば私は仙狐になれない」

 男は刃を首元からのけ、伝之助を見た。

「言ってみよ。我が墓守よ」

「王は私の知らぬ数を言った。その知らぬ数の年が来る度、墓に酒をかけて祝えと言った。でもその数がわからない。私は三つまでしか数えられない」

 すると、途端に男は笑い始めた。地響きのような笑いであった。

 見上げると男は笑いながら涙を滂沱と流していた。しばらくそうして笑い泣き、しゃがみ込むと伝之助を前から力強く抱き締めた。

「私はその数を知っている。徳を積むのを忘れなければ、貴様はきっとよき仙狐になるだろう」

 伝之助の胸の内にまた強い歓喜が戻ってきた。男は耳元でこう呟いた。

「その数の来るとき、我が国は産まれたのだ。国王は我が国を永久に祝われた。墓守よ、三つ数えられれば充分だ」

 そう言って男は緑の墓の海を指し示した。

「この実が落ち、また新しく実がなるのを三回数えよ。その次に実のたわわに成った時、酒を注げばそれでよい。それが王の言った数だ。決して忘れるな。よき仙狐となれ。きっとよき仙狐に」

 男は立ち上がった。伝之助は男を見上げた。

「その数はなんと言う」

 しかし男はすでに首に刃を入れていた。

 男の首が伝之助の足元に転がった。いつ聞いてもごろりと重く、それはたわわになった実の落ちるのと同じ音をしていた。伝之助はその音が好きではなかった。言われた通りに首を先の王の元へ届け、体は土に埋めた。

 それから実の成るのを三つ数え、その次の年に酒を注いだ。酒を吸い込むと実は一層香りたち、伝之助はその年が来るのが少し楽しみになったが、どういうわけか何度三つを繰り返しても仙狐にはなれなかった。仕方がないのでショッキャクでない者の首も切った。首は王に届け、体は土に埋めた。実の匂いを嗅ぐたびに、きっとよき仙狐となるという男の言葉を伝之助は思い出した。


 これが首切りの森が閏の年に匂い立つと言われる由縁である。

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悪狐の葬送 犬怪寅日子 @mememorimori

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