コート。
線を跨いで外に出たらアウトで中に入ったらセーフ。
ただの線なのに意味を明確に区切る線。
その中で先輩は私の全てだった。
でも、先輩は私を置いてバレーを辞めた。
私を置いて、この世の線の外へ出て行ってしまった。
どうして。どうして――。
――――――――――
先輩と私(木島)の視点の対照。
先輩の才能と、木島の才能の対照。
白線の内と外の対照。
この小説の魅力は全て、この対照にあるのだと思う。
何度も、何度も読む。
すると、この対照が光ってくる。
コートの中の先輩を特等席に置いて、神様みたいに見上げる木島。
全てにおける才能を先輩より持っているくせに。木島は見上げるのだ。
その才能ゆえに誰もが特別扱いして、そばに寄らなかった先輩に。
その才能を凌ぐ木島が見上げるのだ。
コートの中での自らの行く末を、先輩は分かっていた。
コートの中の先輩が私の全てだと、木島は思った。
才能の為に独りになった先輩を、才能がある木島が孤独にする。
木島のウロのような瞳に映り込んだ先輩は、コートの中にしかない存在なのか。
先輩を独りにした才能さえも無くなったら、木島のウロからは先輩はいなくなるのか。
何度も、何度も読む。
すると、全部が分かる。
「みんな頭が悪い」
この言葉がどれだけ、理解を示していたか。
理解を、こい、ねがっていたか。
神様は、コートの外でずっと待っていた。
それが、どういうことかを。
しばらくこの小説をフォローしたまま放置していた。
僕も書いてるし、書いている時はあまりカクヨムの小説を読まない。そういう、いつかは読もうと思っているフォローしたままの小説がずっとマイページに溜まっていってしまう。
かこいち、きゅうてい、あいしあう。
かこいち、きゅうてい、あいしあう。
僕は犬怪さんのエッセイが好きでよく読んでるのだけど、読んでて一度涙が出そうになった事がある。それは仙台から埼玉に戻る途中の新幹線の中で読んだエッセイで、特に「悲しいこと」が書かれてる訳でもないエッセイだったのだけど、何故か胸に「クッ」とキて、涙目になってしまったのだ。東京方面に向かう新幹線の隣には僕の友達が座っていて、多分僕はその人に「これ、すごく良くないですか? 何だか泣きそうになってしまったのだけど、読んでもらっていいですか?」と聞いてみるべきだったのだ。でも友人は眠ってしまっていた。それで、多分これは僕の寝不足からくる、情緒不安定によるものだろう、と思い込む事にしたのだ。
それから、「かこいち、きゅうてい、あいしあう。」を読むべきだ、という一種予感のようなものがいよいよのさばってきた。何しろ、題名が気になる。全部ひらがなだ。耳に残る題名だ。実際口に出して言ったことはないけど。
読みながら、やはり何度も涙目になってしまった。
普通に「泣ける」と書ければどんなに楽だろう。
読み進めるにつれ、悲しい、とは違う、憧憬に近い何かがじんわりと突き上げてくる。素朴な、誰かに向けた愛のうたのように、真摯に愛おしく文章を重ねた小説でした。
とある運動部の先輩と後輩の物語。
小説の構造を理解してからの驚きと没入感が素敵ですので、途中でやめてしまった方も、ぜひ日を改めて何度か挑戦していただきたい。幸い、何度読んでもお金は今のところ掛からない。御一読をお勧めします!