また四年後もうるってるだろ

風乃あむり

「また四年後もうるってるだろ」

 例年になく暖かい二月の朝。下駄箱で上履きをつっかけた私は、市井公介に声をかけられた。


「なぁ、志津本しづもと。“うるう”って動詞かな?」


「は?」


 高校に入学してもうすぐ一年たつわけだけど、この男の発言には今でも戸惑うことが多い。


 陰キャでオタクの市井は、言動・挙動・顔面に不審な点が多い男だ。面長に細い目、背は高いけれど手足はひょろっと細く頼りない。脈絡もなく変なことを言い始めるし、持病としてオタク特有の妄想癖を抱えている。


「今年ってうるう年だろ? それで気になったんだけど、この“うるう”ってなんなの? 動詞? 形容詞とか形容動詞ではないよな?」


「そんなことどうでもよくない?」


 はぁ、と市井は大げさなため息をつく。


「そりゃ脳筋サッカー馬鹿の志津本にとってはどうでもいいかもしれないけどよ」


「おい未来のなでしこジャパンをばかにすんな」


「言葉ってのは大事なんだぜ。美しい言葉こそ美しい物語を奏でる楽器……言葉とは芸術そのものだ」


「うわラノベオタク、キモっ」


「違う! 俺が愛するのはライト文芸だ!」


 どっちでもいいわ、いや全然違う、と言い合いながら歩いてあるうちに教室についてしまった。


 私の後ろが市井の席で、その机上には文庫本が五冊ばかり積んである。この山は一冊減れば一冊増える“動的平衡”を保っていていっこうに消え去る気配がないし、なんなら四月の頃より標高が増している気さえする。


「で、結局“うるう”って動詞なのか?」


「まだ言うか」


 市井はこだわりだすと止まらない。ぼそぼそとこもった声で、

「うるわない、うるいます、うるう、うるう時、うるえば、うるうな」

 と唱え始めた。五段活用かよ。


「市井、落ち着こう。普通の年のこと“うるわない年”って言う? 言わないでしょ」


「“今年はうるいますのでご注意ください”ってカレンダーに書いてあったら面白いよなー」


「書かねーよ」


「“さー今年は気合い入れてうるっていこう!! そのぶん来年は絶対うるうんじゃねーぞ!!”」


「部活かよ」


 はぁ。もう、どんどん意味がわかんなくなってくる。

 ん? そもそも“うるう”ってどんな意味だろう?


「ねえ市井、“うるう”ってさ、四年に一度の一日多い年を示す以外に使い道あるのかな?」


「お、志津本も気になってきたか!?」


 そう言われるとしゃくだ。けど確かに市井の言う通り、私は“うるう”の正体を暴いてやりたい気になっていた。


「“うるう”に他の用途があったとして、どんな意味になると思う?」


「うーん、“余計に多い”とか? 例文。“志津本のふくらはぎの筋肉はうるっている”」


 おい。


「それを言うならあんたの文庫本の方が完全にうるってるでしょ。うるってる本はさっさと捨てなさいよ!」


「ふざけんな! 積んだ本の高さが俺の勲章だぞ!」


「育てあげた筋肉は私の誇りですけど!?」


 キーンコーンカーンコーン


 白々しいチャイムの音が響く。その冷えた音色に、私たちのテンションは一気に下降した。


「……なにしてんだろうな俺たち」


「なんていうかさ、これまでの私たちの会話こそマジでうるってたよね……」


 確かに、と市井は文庫の山に顔を沈めてしまった。しなびた野菜のようでなんだか気の毒だ。


「まぁ……私は意味のない会話も嫌いじゃないけど」


 と、フォローをいれると「俺も」とぼそりと返ってくる。


「というか俺はうるってないよりうるってる会話の方が好物だな」


「そうだね、私もうるってるの好きだよ」


 市井は顔をあげないが、耳がほんのり赤くなっている。


「……俺たちこのままずっとうるった会話できるといいよな」


「うるってない年もうるってたいよね。それにさ、また次の閏年もこんなふうだといいね」


「大丈夫だ。四年後も俺たちどうせうるってるから」


 その言葉に二人で微笑みあった――その時。


「おーい、市井ー、志津本ー」


 教壇の上から呆れた声が降ってきた。


 あ、しまった。慌ててあたりを見回すと、クラスメイトたちが春のお花畑を愛でるような目でこちらを鑑賞しているのに気づいた。担任は教卓に頬杖をついている。


「あんたたちさ、付き合い始めでラブラブなのは分かるけど、さすがにチャイムが鳴ったら控えなさいよね。こっちが恥ずかしくなっちゃうわよ」


「す、すいません……」


「申し訳ない……」


 あーぁ、と担任は出席簿で顔を仰ぐ。


「閏年ってだけでそんなに盛り上がれていいわねー。ぜひ四年に一度この恥ずかしい会話を思い出してまた燃え上がってちょうだいね」

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