2100022Q

真野てん

第1話 2100022Q


 西暦2100年2月28日正午――。


 その日、男はある苦悩を抱えていた。


「なぜだ……」


「あん?」


 男のつぶやきを耳にして、電子版のニュースを読み流していた彼女が反応する。

 付き合いだして二か月と少し。

 こんな深刻な顔をした彼を見るのはこれがはじめてであった。


「ど、どうしたのよ、急に」


 ソファから身を起こした彼女は、なだめるようにして男に語り掛ける。

 しかし、


「ないんだよ……」


 男はいっかな表情を変えない。

 いまにも絶望に押しつぶされんばかりに、節ばった両の手のひらで蒼白となった自らの顔を覆うのだった。


「な、なにがないの?」


 彼女の問いかけにやっとのことで振り向いた男は、それでもなお切なそうにかぶりを振るのである。これには彼女も久しぶりに母性が刺激された。

 震える男の肩を抱いてやり、優しげに問う。


「もう一度聞くけど……どうしたの? なにがないの?」


 すると男はこう言った。


「俺の誕生日……」


「は?」


「は、じゃないよ! 2月29日はおれの誕生日なの! 四年に一度の!」


「う、うん、知ってるよ」


「でも今年はっ……今年はっ……く、くそおおおお!」


「そんなことであんな悲痛な表情を……」


「そんなことってなんだよ! おれにとっては重要なんだよ、四年に一度しかこないんだぞ誕生日が! それなのに今年は……2100年はうるう年じゃないなんてっ」


 グレゴリオ暦では西暦が4で割り切れる年をうるう年としている。

 しかし100で割り切れる年はうるう年ではないので、2月29日は存在しない。ちなみに400で割り切れる場合はうるう年なので西暦2000年には2月29日はあった。


 そんなことは2100年を生きる彼にとって、分かり切っていたはずなのに――。


「たとえ数字で割り切れようと、おれの気持ちは割り切れないんだよおお!」


「あんたそれが言いたかっただけじゃないでしょうね」


 彼女の軽蔑のまなざしが、本気で悔しがっている男の横顔へと刺さった。

 だが男の表情はけっしておふざけやその場の悪ノリがそうさせるそれではなかった。


 ただただ単純に前回の誕生日からさらに四年、計八年待たずば訪れることのないおのれの誕生日に対して、ある種の望郷の念にも似た寂寞の思いをつのらせているからである。


「くそ! おれ、行ってくる!」


 男は彼女の手を振りほどき、突如として部屋を出て行こうとする。

 またぞろ意味不明な彼の行動に驚きを隠せないではあったが、すんでのところで呼び止めることができた。「待って」と。


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! どこに行こうっての今度は!」


「宇宙だよ!」


「はあ?」


「銀河の中心、イベントホライズンでは時間さえ停まるんだ! おれはそこで一日分過ごして、自分の誕生日をお祝いするんだ! ハッピーバースデーおーれー!」


「話がデカいわ!」


「止めないでくれ! もう決めたんだ!」


「止めるわバカ! だいたい銀河の中心にあと半日で行けるわけないでしょ!」


「うるさいやい! うるう年生まれは不可能を可能にするんだ! おれは、おれは特別な……うえーん……今年も誕生日こなーい……」


 ふと彼女がテーブルを見ると、すでに空になった缶ビールが数本転がっていた。

 うるう年生まれの悲哀から、彼はこの時期になると深酒になる。

 それを最近付き合ったばかりの彼女は知らなかった。


「もう……バカ」


 付き合いきれないといった表情で彼女は、男のそばを離れた。

 ついに愛想をつかしたものだと思い、男は酔いも一気に覚める気持ちになる。


「あ、ちょ……」


「ほんとは日付けが変わってからにしたかったんだけどなー」


 そう言って彼女はキッチンから再び現れた。

 ローソクに火の灯った、手作りのホールケーキをたずさえて。


「ハッピーバースデー、おバカさん」


「あ……」


「四年後もまた一緒にお祝いしよ。ね?」


 優しい笑顔と甘いケーキ。

 たとえカレンダーにはなくとも、誕生日は誰にでも訪れる。


 おめでとう――。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

2100022Q 真野てん @heberex

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ