四年に一度の神隠し

烏川 ハル

四年に一度の神隠し

   

 四年に一度。

 この言葉を聞いて、普通の人は、何を真っ先に思い浮かべるのだろう。オリンピックだろうか、あるいは、2月29日だろうか。

 俺の場合は……。どちらかと言えば後者になるのかな? だが言葉として頭に浮かんでくるのは『神隠し』だった。

 そう、あれは今から十六年前のこと……。


――――――――――――


 2月28日の夜。

「明日は2月29日……」

 俺しかいない部屋で独り言を口にした時、ふと俺は、思い立った。

 せっかく四年に一度しかやってこない日なのだ。何か特別なことをしてみようではないか!

「そういえば……」

 少し前、大学の休み時間。隣で騒いでいたグループが、肝試しの相談をしていた。

 俺は一人で本を読んでいたのだが、聞こえてきた話によると、この近くに『神隠しのトンネル』と呼ばれる場所があるのだという。

 もう使われなくなった、昔の道路。ポツンと取り残されたトンネルに入ると、別の世界に引きずり込まれて、帰ってこられなくなるそうだ。

 その時は「俺には、一緒に肝試しに行く友達はいないから、関係ないね」と思っていたのだが……。

「今や、ひとり焼き肉とか、ひとりカラオケとか、普通に行われている時代。ならば、ひとり肝試しも楽しめるのでは?」

 これこそ、特別な日に行う、特別なイベントに相応しい!

 早速ネットで調べてみると、問題の『神隠しのトンネル』は、思ったほど『この近く』ではなかった。あの連中はドライブで行くことを想定していたのだろう。車のない俺とは、距離感が違うらしい。

 だが、頑張れば自転車で行けないこともない。

 独り身の気楽さで、俺は、深夜に自転車を飛ばすことにした。


――――――――――――


 その場所に俺が到着したのは、午前2時ごろ。

「草木も眠る丑三つ時、ってやつだな……」

 つい俺は、一人でニヤリと笑みを浮かべてしまう。

 だが、残念ながら『ひとり肝試し』にはならなそうだった。俺の他にも大勢の人間が来ているらしく、道路脇には、自動車や自転車が何台も並べられていたのだ。

「まあ、でも。これのおかげで、場所がわかったようなものだし……」

 俺も自転車を停めて、辺りを見回す。車道の両側は大森林のようになっているが、木々の間に、小さな山道が一つ。

 そこに入っていくと、十分も歩かないうちに、アスファルト舗装された車道に出くわした。おそらく、これが昔は、先ほどの道路と繋がっていたのだろう。

 そして。

 その先にあるのは、ぽっかりとアーチ状の穴が空いたトンネル。入り口には蔦のような緑が生い茂っており、いかにもな雰囲気を漂わせているが……。


「そろそろですかね」

「でしょうなあ」

「四年に一度のチャンスだからな! しかも、ここが開くのは、わずか一時間のみ!」

「待ってるんだ……。俺を待ってる妻子がいるんだ……」

 トンネルの近くは、わいわいがやがや。

 肝試しとは程遠い、騒々しい空気に包まれていた。

 どちらかというと、行列ができるラーメン屋とか、遊園地のジェットコースターとかにワクワクしながら並ぶ人々みたいだ。

「……?」

 戸惑う俺。

 だが、見知らぬ他人に、声をかけて聞いてみる勇気はない。

 とりあえず、観察することで、少しは理解しようと思ったが……。

「何だ、これ? コスプレ大会か?」

 不思議なことに、そこに集まる人々の大半が、異様な格好をしていた。ゲームや漫画、それもファンタジー世界を舞台にした作品に出てきそうなスタイルだ。

 どれほどの防御力か怪しいペラペラの薄い戦士鎧とか、これみよがしに十字架のマークを目立たせた青い僧侶服とか、戦場ではなく舞踏会の方が似合いそうなくらいに布面積の少ない武闘服とか……。

 俺は参加したこともないが、コスプレイベントの開場待ちは、こんな感じなのだろうか。非現実的な装いの者たちが、通勤通学の電車待ちのように、整然と並んでいる。

「こういうところは、日本人のさがだなあ……」

 と、小声で呟きながら。

 よくわからないまま、トンネル前の行列に、俺も加わってしまった。


 俺が最後尾ではなく、まだまだ人がやってくる。

「よし、間に合ったぞ!」

 俺の真後ろに並んだのは、俺と同じく、大学生くらいの男。変なコスプレではなく、ジャージ姿だ。連れはおらず、一人で来ているらしい。

 これならば、まだ話しかけやすいだろう。疑問解消のため、声をかけてみる。

「あのう、すいません。この列って、いったい……?」

「ああ、君も普通の格好で来てるんだね。僕と同じで、あっちに衣装は置きっ放しかい?」

「いや、それ以前に……」

「お互い、頑張ろうな!」

 気さくに返事してくれたのは良いのだが、俺の質問を聞こうとせず、まるで答えになっちゃいなかった。

 これは尋ねる相手を間違えたかな、と心の中で嘆息したタイミングで。

「おお、始まったぞ!」

 男は、歓喜に満ちた声を上げる。

 同時に、行列が動き出した。

 慌てて、俺は前へ向き直る。見れば、問題のトンネルから、眩しいほどの光が溢れ出していた。

 その中へ、人々の列が、次々と飲み込まれていく。

「……!」

 俺の混乱は最高潮。

 だが人々の流れに従い、俺も、その光の中へと入っていき……。


――――――――――――


 次に気が付いた時。

 俺は、緑の草原の真ん中で、心地よい風に吹かれていた。

 空には青空が広がり、太陽が燦々と輝いている。

 見回しても、先ほどまでの行列の人々がいるだけで、もはやトンネルも旧道も消えていた。

 そうやってキョロキョロしていると、ポンと肩を叩かれる。振り向くと、あのジャージ姿の男だった。

「その様子だと、初めてのようだね」

「ここは、いったい……?」

「簡単に言えば『異世界』だよ。僕たちは、さっきのトンネルを通って、異世界に転移したのさ」

 今度は、親切に教えてくれる。だが、まだ俺は理解できなかった。

「異世界……?」

「そうだよ。ラノベやアニメで見たことないかい? 剣と魔法の、冒険ファンタジーの世界さ。ほら、早速、モンスターのお出ましだ!」

 男が指差す方向に、顔を向ければ。

 ゲームに出てくるゴブリンのような怪物。緑色の肌で頭はツルツル、棍棒らしきものを手にして、二足歩行している。それが数匹、現れたのだが……。

 モンスターはコスプレ集団に取り囲まれて、ろくな反撃もできずに、一方的に暴行を食らっていた。

「これが、剣と魔法の冒険……」

 自分でも気づかぬうちに漏れた言葉は、呆れ声の響きになっていた。


――――――――――――


 ジャージ姿の男は、カズヤと名乗った。

「この世界には、名字はないからね。ここでは君も、ファーストネームだけにしておきなよ」

 世界を渡る前の態度が嘘のように、カズヤは色々と教えてくれたが……。

 一番大切なのは、二つの世界を行き来する方法だった。

「今日一日、たっぷり楽しむといいよ。行きのトンネルは一時間のみだけど、帰りのトンネルは、明日の正午まで開いているからね」

 アドバイスに従い、カズヤと一緒に冒険者の宿へ行き、そこで一泊。少しの金――こちらの通貨――を借りて装備も整え、モンスター狩りにも同行させてもらった。

「この辺りは、初心者向けのダンジョンだから」

 と案内された森で、ゴブリンやスライムを相手にするのは、完全にゲーム気分。現実感たっぷりの、最新式VRゲームだ!

 そして。

「今回は、僕は四年、こちらに留まるつもりだけど……。君は最初だから、今日のうちに帰るべきだろうね」

 と言って、彼は『帰りのトンネル』まで、俺を連れていってくれた。

 森の中、少し開けた場所に、そびえ立つ岩山。その岩山に空いた、洞窟へ入ると……。


 元の世界の、2月29日の午前2時ごろだった。

 ただし、場所は『神隠しのトンネル』ではない。二つも三つも離れた県にある、全く別の小さなトンネルの出口に、俺は放り出されていた。

「なるほど……」

 よく出来たシステムだ、と思う。

 異世界でいくら過ごそうと、元の世界では時間は経過していない。だからカズヤのように、あちらで四年間――次にトンネルが開くまで――滞在しても、まるで時間を巻き戻したかのように、最初の日に帰ってこられるのだ。

「……これじゃ異世界の出来事は、夢でも見たかのような気分だな」

 考えてみれば。

 毎回『神隠しのトンネル』で異世界へ行く者が大勢いて、彼らが長い時間、姿を消してしまったら、それこそ「神隠しだ!」と大騒ぎになっていることだろう。

 だが、噂レベルに留まっている。いや、少なくとも『噂』が発生するということは、本当に戻ってこない人々も、少数ながら存在するのだろう。異世界が気に入って、そちらに骨をうずめる者もいるのだろう。

「まあ、四年ごととはいえ、いつでも帰れると思えば、そういう油断も出てくるのかな……?

 などと、その時は、俺も思っていたのだが……。


――――――――――――


「行ってらっしゃい、パパ!」

「出稼ぎ頑張ってきてね、あなた」

 抱き上げた愛娘を下ろしてから、妻の頬に口づけをする。

「また四年、留守にする。サマーレをよろしく頼むよ、ラストラ」

 二人に見送られて、質素な木製ドアをくぐって、俺は家を出た。


 いつのまにか、俺も異世界にドップリはまってしまったのだ。

 元の世界では時間が進まないのをいいことに、今では毎回、異世界に四年間、居座ることになり……。

 ついには、異世界で家庭を持ってしまったのだから。


 一種の二重生活だ。

 異世界では、妻子と過ごす四年と、妻子に「都へ出稼ぎに」と告げて元の世界へ帰る四年と、その二つの期間を交互に。

 元の世界では、異世界で過ごした分の時間は進まないから、普通に大学を卒業して、就職して……。ただ俺の肉体だけが、二重生活の分だけ、微妙に老けていく。

 実は、異世界における『妻子と過ごす四年』を、四年ではなく八年や十二年に延ばしても構わないのではないか、とも思うのだが……。

 そんなことを考え出すようでは、いずれ俺も異世界に定住して、こちらの世界では『神隠し』扱いになるのかもしれない。




(「四年に一度の神隠し」完)

   

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