第393話 喜び

~ハルが異世界召喚されてから1日目~


 ハルは広がる荒野を前にして、なんどもここからやり直した日々を思い出す。何もない寂れた景色だが、これで最後かと思うと少し寂しい気持ちになった。


 ハルはマルセラ・アルヴァレスから回収した生体認証データを使って、この世界を書き換える。基にするのは、前回の世界線で父が造った喜んだら戻るスキルを付与された異世界だ。この世界がデータなら、父が造ったデータを基にあの異世界を復元することは簡単なことだ。


 ハルはステータスウィンドウのような半透明のモニターを前にして前回の世界線で作られた仮想世界のデータを書き出すと、割れた大地が音もなく修復し、綺麗な石畳が生成される。建造物がこれまた音もなく立てられ、喧騒が奏でられる。人の気配もしてきた。


「オイ!」


 いつもの少年達の声も聞こえてくる。


 ──ミラちゃんと会う前に、やっておかないと……


 ハルは瞬時に移動し、王都の南にある魔の森へと入った。誰もいないことを確認すると、前回の世界線で封印されたばかりのメフィストフェレスを解き放つ。


「がぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 息つぎをするように激しく空気を貪るメフィストフェレスにハルは声をかけた。


「やぁ、久しぶりだね」


「お、お前は……」


「大人しくしてね。まぁ動けないと思うけど。もうちょっと君を詳しく見せて?」


 ハルはペシュメルガから授かった黒い剣を一瞬にしてメフィストフェレスの胸に刺して、鍵を捻るようにして剣を回す。


「うがぁぁぁ!!」


 いつしか見た現実世界へと繋がる扉が顔を覗かせた。ハルは呻き声をあげ恐怖するメフィストフェレスに手を刺し込んだ。


 現実世界へと繋がる道は途中で途切れている。しかし今のハルならばそれを修復する技術を有している。前回の世界線で仮想世界やプログラミングについて粗方学んでいる。


 ハルは途切れた道を修復した。その道を見ながら思案する。


 ──この道を通るのは一度だけだ。もし何度も、或いは常に通れる状態にしておくと、現実世界の者に発見されてしまう恐れがある。 


 ハルはメフィストフェレスの身体から手を抜きながら告げた。


「あぁ、もう君はいらないよ」


 ハルはモニターを出現させて、メフィストフェレスのデータを削除した。


「何故貴様がそれをぉぉぉぉ!!!」


 メフィストフェレスの身体は消え、現実世界へと繋がる扉だけが宙に浮いて残った。


 そしてモニターに意識を集中させる。違う作業に勤しむ。自分とミラのスキルがそこには記されていた。


 ──KプランとMプラン……


 消去する前に、その文字列を指でなぞった。自分の父親との唯一の繋がりであるこのスキルを名残惜しそうにして眺めた。そしてハルはメフィストフェレスと同様にしてその文字列を消去する。


 消え行くスキルを眺めてから、ハルは空を見る。


「よし」


 ハルはそう意気込むと、細心の注意を払って現実世界へと渡った。


 ──さぁ、現実世界では何年の月日が流れているのか……


─────────────────────


〈東京〉


 父である南野ケイが仕事を辞めてから8年が経った。当時高校生だった南野ハルは、父親が何故仕事を辞めたのか理解ができなかったが、母の南野アイはそれに喜んでいた。


 普通、突然夫が仕事を辞めたら離婚問題に発展しかねない。しかし、あの日から夫婦関係は悪化することなく、寧ろ良くなっていった。


 また、父の辞めた職場は公安によって取り締まりを受け、何人か逮捕者もでたそうだ。それは父が仕事を辞めてから2年後のことだ。もし父がその仕事を続けていたらと思うとゾッとする。現在父の南野ケイは、ゲーム会社に就職している。


 ハルはというと、現在25歳にして無職だ。高校を卒業してからそこそこの大学へ入学し、そのまま新卒採用で上場企業へ就職を果たした。


 しかし、ハルは思い描いていた社会人生活とはまるで違う日々を送った。毎日精神をすり減らし、良心や今まで大切に育んできた心がこのまますり切れてしまうのではないかと思えた。実際に大切な何かを失ってしまった気分だった。


 1年と半年で折角苦労して入った会社を辞め、引きこもりへと堕落する。きっと両親はこんな自分に幻滅していることだろう。


 仕事を辞めてから2年が経過した。


 復職する気配のないハルに両親は何も言わなかった。同じ家に住んでいるというのに、何事もないように接してくれている。


 ──3人で笑いあったのはいつだろうか……


 ハルはそう思いながら、自分のベッドに横になりスマートフォンを眺める。毎日暇なハルはインターネットのニュースや動画投稿サイト、SNSを眺めてはドロップアウトした社会になんとなく繋がりを持とうとしていた。しかしネット上には常に言い争いが絶えない。何かを発信し、発言した人を誰かが叩く。その叩いた誰かをまた違う誰かが叩く。


「はぁ……」


 ハルは溜め息をついた。


 すると、画面が凍り付く。Wi-Fiの状態を確認するが通常のマークが画面の右上に表示されていた。たまに読み込みが遅く、画面がフリーズし、何処をタッチしても反応を示さないことがある。


 ──そろそろこの端末も寿命か?


 ハルはまた大きな溜め息をついた。


「はぁ……」


 次の瞬間、『ピコン』とハルの握るスマートフォンから音が聞こえた。


「ぇ?」


 音が出ないようにスマートフォンは常にサイレントにしてある筈だ。ハルはサイレントモードになっているかを確認するが、直ぐに現在フリーズ中であることに気が付いた。


『ご用件は何でしょう?』


 機械音が聞こえる。ハルはこの機能だけがフリーズしていないことに腹を立てた。オフにしたいがフリーズ中の為、ホームボタンを押しても反応しない。


「用なんてないから」


 ハルはぶっきらぼうに話す。


『お時間があるなら、お話し相手になりますよ?』


 余計なお世話だと、ハルは心の中で毒づく。ホームボタンを連打したが、やはり反応しない。しかし、ハルは心にひっかかりを覚える。スマートフォンのAI機能の音声が少しだけ流暢に聞こえたのだ。


 日々の科学技術の進歩を目の当たりにしたハルは観念したようにスマートフォンに話しかける。


「…話すって言っても何を話すんだ?」


 自分でも何を言っているのかわからない。機械相手に会話の内容を考えるのも面倒だった。


『ん~そうですねぇ。貴方は何をしている時が一番楽しいですか?』


「今は…寝てる時かな……」


『今はってことは、昔は何を楽しんでいたのですか?』


「昔は…そりゃ毎日が楽しかったよ?」


 徐々に機械の声が流暢になっていく気がした。

  

『具体的には?』


「友達と遊んでる時とか、ゲームしてる時とか、歌を歌ってる時とか……」


『でしたら何故それらは楽しくなくなったのでしょうか?』


 ハルは押し黙った。暫し思考してから答える。自分はAIに対して何を話しているんだという思いはどこかに消えていた。


「そりゃぁ、友達とは会いたくないし。ゲームと歌は、今でも個人的には楽しいけどさ、何て言うんだろう。自分よりも上手い人がいると、萎えるっていうか……」


 仕事でもそうだ。自分よりもできる人がいれば、自分のやっていた仕事の無意味さに気付かされる。それは代替可能であり、自分は単なる上司や事務のストレスの捌け口となっている。


『ゲームや歌が向上するような情報を集めてきました。https://……』


 ハルはその羅列されたアドレスを眺める。さしずめゲームのプロやボイストレーナーのレクチャー動画が乗っているだけだろう。


 そんなもの腐る程見た。それでも自分よりも上手い人が世の中にはたくさんいるのだ。そんなんでプロに成れたら誰だって成れる。


「あのさぁ……」


 反論しようとしたハルに、搭載されたAIは言った。


『実は、私歌には自信があるんですよ』


「は?」


『宜しければ、私が歌を教えましょうか?』


 よくAIと会話を楽しむ動画が投稿されている。その中で、AIに歌を歌わせたり、ラップをさせたりするものがあった。ハルはAIが定型的な流れに入ったことに肩を落とす。


「はいはい、教えてみてよ」

 

『まずは、腹式呼吸をしてみましょう』


 歌は腹式呼吸が命。そんなのは昭和か平成の初期の話で、今はそれを否定するような動画が多数投稿されていることをハルは知っていた。


「あのさぁ、腹式呼吸って時代遅れなんだよ」


『いいえ、違います。腹式呼吸こそ歌を最大限表現できる鍵なのです。上手く空気を入れて、上手く吐き出す。その空気量や空気を入れる場所が非常に大切なのです。さぁ、今すぐやってみましょう』


 ハルは立ち上がって、腹式呼吸をやった。


「これで良いのかわかんないんだけど……」


『初めは誰にもわかりません。しかしわからないなりに毎日やっていくことで、身体の構造を掴めるようになります。ボクサーがパンチの打ち方を反復して練習するのと似ています。空気を痛いぐらいお腹にいれてみるのも良いかもしれません。お腹が破裂しそうな程吸ってみてください。初めはその量が多ければ多いほど歌声に良い響きをもたらすと思ってしまっても構いません』


 なんだよそれ。ハルは腹式呼吸をしながらそう思い、声に出して続きを言った。


「大きな魔法を撃つ時に必要な魔力みたい……」

『大きな魔法を撃つ時に必要な魔力のように』


 同じセリフを言ったハルはスマートフォンに笑いかける。


『何故上手くいかないのか、それは貴方が良し悪しを考えているからです。貴方が余程の才能を持っているのならそのまま突き進むことを薦めますが、そうでないと思うなら、一度自分の考えを止め、師と呼べる人の言い付けだけをただ守ってみてください。その教える人が信用できるかどうかはわかりませんがその時は、腹式呼吸を地盤に持っている方を薦めます。そういった方のいるボイストレーニング教室は調べておきました。アドレスを貼っておくので確認してみてください』


 ハルはそう言われて、画面を確認した。新しいアドレスが記載されている。


『貴方は自分の考えを否定し、他者にその身を委ねたことはありますか?』


「……」


 ある。それはハルが挫折した営業の仕事でだ。ハルはどんな客にも誠心誠意に接し、客と信頼関係を紡いできた。しかしそれには時間が掛かり、契約を結ぶまでがなかなか難しい。そんな中、上司は騙してでも契約を取ってこいと言ってくる。そんな板挟みの状態で、ハルは自分でも信じられないようなミスを連発してきた。


 いつしか客を騙し、威圧的な自分が顔を覗かせた。自分の体裁ばかりを気にして、平気で嘘をつくような人間となった。自分の信条に反する行いは、心を抉り取る。それは顔や健康上の問題となって顕現した。ハルはなりたくない大人になってしまったのだ。


 心拍数が上がる中、スマートフォンのAIは優しく伝える。


『本当に好きなことなら、楽しいと思えることならそれを前向きに行えますよ。それに貴方が自分の考えを否定し、なりたくない人間になってしまったとしても、その経験は貴方を煌めかせる大事な過去になりえます。人間やその社会は複雑です。なかなか初志貫徹とした人生を送れない可能性を孕んでおります。それを知り、経験した貴方はこれからきっと、良い歌が歌えると私は思うのです』


 自分の人生での汚点を、縛り付けていた鎖を、このAIは良いものとして語る。その言葉にハルは涙を流した。


 そしてスマートフォンが正常に動き出す。


 ハルは先程のAIに教えられたホームページを覗いた。久しぶりに心が軽くなった気がした。


─────────────────────


~ハルが異世界召喚されてから1日目~


 ミラ・アルヴァレスは目を覚ました。瞼がいつもより軽い。そのせいで自分が大きく目を見開きながら目覚めたことに驚く。


 身体を起こし、自分のコンディションがいつもより良いことに疑問を抱いた。何か目覚めを良くする行いをしたのではないかと、昨日のことを思い出す。こんなにも気持ちよく目覚めることができれば、自分の習慣にしたいものだが、これといって特別なことをした記憶はない。


 ミラは身体を伸ばし、筋肉の収縮を味わう。違和感を抱くほど身体が軽い為、ミラは自分のステータスを表示させた。


 上から順にHP、MPと昨日と変わらない数値が羅列されている。指で辿って昨日と変わったことはないかと探る。スキルの欄を見てミラの指が止まった。時間も心臓も止まった気がした。


 自分にしか見えないスキル『M繝励Λ繝ウ』が消えている。このスキルがどういった役割なのかミラはわかっていない。もしかしたら自分に降りかかる不幸をこのスキルがもたらしているのかもしれないと疑った程だ。もし本当にそうなのだとしたらこのスキルが消えて、これほど嬉しいことはない。 


 一度このスキルについてマキャベリーに相談をしたことがある。それ以来マキャベリーはこのスキルについて古代人の文献や聖王国の禁書等を仕入れては調べてくれている。


 ミラはこのことを報告しようとマキャベリーの部屋へ向かった。自然と背筋が伸びる。


 ──やはり、身体が軽い


 笑みを浮かべながら、マキャベリーの部屋の前につくと一旦立ち止まり、緩んだ頬を引き締める。


 扉をノックし、中から入室を許可するくぐもった声が聞こえる。


 ミラはゆっくりと扉を開けた。


 マキャベリーが見える。その隣には見たこともない黒髪の少年がいた。


 ミラの焦点はその少年に吸い寄せられる。胸が高鳴り、柔らかい温もりを感じる。


 ──え……


 ミラは思い出す。この胸の高鳴りの直後に鐘の音が鳴り、全てが壊されていくのを。しかし、誰かを一目見ただけでこんな気持ちになるなんておかしい。


 ミラは部屋に入らず、一歩後ずさった。それを見たマキャベリーがミラに近付くのを黒髪の少年が制する。そして代わりにその少年がミラに近付いた。


 ──ダメ……


 少年が近付く度に、胸の高鳴りが上昇した。身体が、心が少年を求めているようだった。そんな欲求の激流にミラは溺れてしまいそうになるのを必死に抑え、抵抗する。自分の感情を押し殺そうとしていた。


「大丈夫だよ」


 少年の優しい声と言葉がミラを包み込んだ。ミラはいつしか夢であると思い込んでいた記憶を思い起こす。


 川に溺れている夢。自分を懸命に助けようとしている少年の夢。


 自然と頬を涙が伝った。


「…ハルくん……なの?」


 ハルが自分のスキルを消してくれた。ミラにはそれがわかった。そして塞き止めていた自分の感情を解放する。ハルもそれに応えてくれた。お互いに欠けた部分を埋めるように2人は抱き合った。


 どうやってスキルを消したのか、どうやって自分を見つけてくれたのか、今まで何をしていたのか、聞きたいことが山程あった。しかし今だけはこの最大の喜びを、記憶に刻み込もうとミラは思った。





               ──了──





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 皆様、最後まで読んで頂き本当にありがとうございました。近況ノートにてあとがきのようなものを書かせて頂きました。興味のある方は覗いてみてください。

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喜んだらレベルとステータス引き継いで最初から~あなたの異世界召喚物語~ 中島健一 @nakashimakenichi

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